(3)「視座を高めてきたことで導かれていく在り方への問い」 水地 一彰さん
ブラック企業、優良企業、監査法人、政府行政機関の環境で直面した「組織と個人」の在り方への問い。常に模索をあきらめなかったからこそ開かれた機会を活かし、今は何を思いどう生きるのか?
全3回、最終回。
「キャリア形成に葛藤。未来の見えない環境を変えたかった」水地 一彰さんの場合 (1)
「組織の論理に直面したとき、個人としてどう働くのか?」 水地 一彰さんの場合(2)
PROFILE
水地 一彰さん(40歳)大手監査法人勤務、シニアマネージャー。公認会計士、米国公認会計士。1980年生まれ。新卒で大手不動産会社に就職し、仕事上で接する税理士の姿に触発され2年に渡る勉強の末、晴れて公認会計士となり現在の職場へ就職。出向プログラムにより大手化学メーカーの経理部で3年2ヶ月勤務をし、働く人や組織についての貴重な気づきを得る。一度自社に戻った後、経産省の産業創造課へ出向したことでエネルギッシュな人々との関わりに刺激を受け、自身と組織との新たな関わり方を見出す。2020年現在、自社にてこれまでの経験を活かした広義でのベンチャー支援に勤しんでいる。
―― ここまで水地さんの現在に至る軌跡をうかがってきました。今日もとてもラフな装いで、私のなかの会計士さんのイメージとまったく違うのですが(笑)。
そうですか(笑)?基本的には早朝に英会話をしたあと、ヨガと瞑想をして子どもを送り出してから妻と掃除して散歩して、といった毎日で、服装も含めてとてもリラックスした生活をできています。自分と家族のために最大限時間を使うと決めて実践しており、仕事も基本、「サラリーマンとしてのやらされ仕事」はミニマイズするよう努めているんです。
仕事を含む生活全体をある程度はコントロールできているので、充実しているとは思いますね。もっと言うと、少なからず自分の意識のなかでは「自分をハックされない組織との関係性の構築」を心がけています。こういう生き方に至るうえではもちろん、これまでのキャリアとそのなかで経験からくる知恵がありますが、もうひとつ『WaLaの哲学』という私塾に通ったことでも影響を受けたと思います。
経産省でさまざまな立場の人と出会いましたが、そのなかにこの私塾を主宰されている方と出会いまして、一期生として通ったんですが初回の講義で結構ビビっときました。
―― ビジネススクールと違ってスキルアップやテクニックを学ぶわけではないですよね。
そう。主宰者の方が全体を構造的にとらえた知識を体系化して共有してくれていると理解していますが、自分のこれまでの人生が素地となり、「視野の広さ」に強く共感を覚えました。たとえば、視座を究極的に上げると社会を変えよう、となる。こういうことは経産省での仕事で知ったエキサイティングな価値観の人たちと相通ずるものがあった。
今、僕は自社に戻って広くはベンチャー支援をしているのですが、上司とも組織とも適切に向き合えるようになりました。要するに、組織に対する前提がこれまでの経験から外的にも内的にも崩れたことで結果として僕の意識のなかでは組織とも上司ともとの付き合い方も変わった。もっと言うと、上司とは(自分よりも社歴やキャリアの長い人ではなく)社会をより良い場所にするための同志であり先輩であって、組織とは(自分の時間を捧げた対価としてお給料を振り込んでくれるものではなく)社会をより良い場所にするために活用するべき手段であると思うようになりました。
すると、当然上司との関係にも変化が生まれて。会社というリソースを活用しながら、社会との関わりを一個人として模索できるようになったのも、『WaLaの哲学』が良い影響を与えてくれたと思っています。 “一人で立つのが自立ではない。もたれかかる仲間が多いのが自立”と聞いたことがあるのですが、それをこの頃実感しています。やっぱり生涯を通じて学びたいという思いを強くしていて、仕事をしながら学びの時間を確保することは非常に重視しているんです。まあだからこそ、組織とは適切な距離感を取る必要がありますが(笑)。
―― もはや進化系サラリーマン(笑)。水地さんは実績によって発言権を得て、交渉によって自分の働きたい理想の環境をつくってこられた。さて、今後の展望などはどんなものでしょう。
ひと言で言うと「自分の中に軸を立てたい」。これはずっと思い続けていることで、たとえばどんな環境の変化にあっても、自分の中の軸で生きていきたいと考えています。今はおかげさまで、ヘルシーでいられる仕事量と仕事内容、それによってヘルシーな精神を保つことができていますが、これを継続していくことは目標でもあります。生きて仕事をしていれば、社会とのさまざまなインタラクションがあるわけですが、そのうえでヘルシーさを維持していくこと。
けれど一方で、「自分がヘルシーならいいの?人生それで満足なの?」と聞かれたら「イエス」と答えられない自分もいる。問いを進めて、「なんのために生きているの?」に対する答えはまだ見つかっていないんですよ。この「なんのため」をクリアにしたい、向き合っていきたい、と思っています。