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国定忠治とジョン・レノン

2020.12.08 04:34

国定忠治から連想する 今日の投稿記事です。


Facebook清水 友邦さん投稿記事 「ママ 行かないで」

12月9日はジョンの命日です。(ニューヨーク時間12月8日の夜11時頃)

ジョン・レノンは1940年10月9日第二次世界大戦中のイギリス・リヴァプールで生を受けました。

1939年に戦争が勃発して24歳の母親ジュリアと結婚した時の父親フレッドは26歳で船で臨時に雇われていたウェイターでした。

ジョンが生まれて父親と一緒に過ごしたのは2年間だけでした。

父親のフレッドはジョンが2歳の時に母子を置いて出ていき完全に姿をくらましてしまったのです。母親ジュリアは別な男性を見つけたので、ジョンは母親ジュリアの姉ミミに預けられました。

ジョンが5才になった時に、突然父親のフレッドが舞い戻りました。

そしてジョンに「お父さんとお母さんのどちらと一緒に居たい」と選択を迫ったのです。

最初、ジョンは父を選びましたが、その後、母に会ってから、結局母を選びました。

このことはジョンの心に大きな影響を与えました。

自己中心的な自我から異なる他者との関係性において自己を認識する重要な時期だったのです。ジョンは10歳の頃自分のことを天才と思っていました。

「書いた詩を捨てると僕が有名になってから後悔するよ。」といったのに「早く勉強しなさい。」と詩を捨ててしまうミミおばさんを、ジョンは絶対に許さないと思いました。

ジョンはくだらない人間になるように大人はなぜ強制するのだろうと思っていました。

ジョンの内側には強い怒りがありました。

ジョンは母親とたびたび会っていましたが母親のジュリアはジョンが14歳のとき親友の目の前で車にはねられてこの世を去ってしまいました。

ジョンには父親が家出して母親が亡くなったトラウマがありました。

ジョンは心の傷に気がついて解消しようとしていましたが身体感覚を封鎖していたために抑圧したエネルギーを自覚することができませんでした。

1970年ジョンはそれを癒す為にアーサー・ヤノフの「プライマル・ スクリーム・原初療法」を受けました。

「アーサー・ヤノフ博士は、私自身の恐怖や苦痛の感じ方を、示してみせてくれたのです。それがわかったので、私は以前よりも恐怖や苦痛に対処できるようになっています。それだけのことなのですよ。私自身は変わっていません。恐怖や苦痛を追い出す回路がひとつできただけなのです。恐怖や苦痛はもう私の体内にのこりません。体内をめぐって出ていってしまうのです。」(回想するジョンレノン)

心と体の相互作用に着目した精神科医にウィルヘルム・ライヒがいます。

ライヒは精神的な病に陥る人が自分の悲しみ、恐怖、怒りを感じなくさせるために筋肉を緊張させて閉じ込めてしまうことに気づきました。

子供は欲求が拒絶されると現実に背を向けます。

あるがままの自分では愛してもらえないという絶望を感じると、その耐え難い苦痛から逃れるために自分の感情を抑圧するのです。

それは筋肉を緊張させて「鎧」のように固くして自分を脅かす世界から自分を守る方法でした。子供は自分がなにを要求されているか素早く読み取り、「仮面」と「鎧」をつけてまわりの大人が期待するようにふるまいます。

しかし、今度は作り上げた自我という「鎧」がブロックとなり生命エネルギーが自由に流れるのを阻害してしまいます。

自分自身で自分を拘束して、可能性を狭めて、その中で苦しんでしまうのです。

親は子どもの自由なエネルギーをしばしば制限します。

怒りは言葉で表現したり、物を殴る蹴る壊す、などで緊張を発散します。

しかし親が自分より強い場合には報復をおそれておとなしく服従するだけです。

子どもは親に依存せざるをえません。子どもが見捨てられる恐れを抱くと親に腹を立てても自分を抑えるしか方法がないと思ってしまうのです。

親に怒られると子供は奥歯を噛み締め、肩をすぼめ、拳を握りしめます。

心の中にある怒りや悔しさを外にでないようにします。

子供は欲求が拒絶されるたびに自分の筋肉を緊張させて感情が出ないようにします。

感情をおし殺すことで苦痛をしめだすのです。

しかし、発散せずに繰り返し感情を抑制していると子どもの内部で緊張は無意識化されてしまいます。

人はもはや感情を抑制している事実に気がつきません。感受性を失ってしまい緊張を感じないからです。抱いてもらいたいと思っても抱いてもらえない。

無視されたり、無理強いされたりして、幼児期に十分な愛をえられないと、人は痛みを感じないないように仮面をかぶり鎧を着てハートを閉じた人生を生きる様になります。

ハートを閉じているため母親から離された子供の様に恐怖と漠然とした不安に苦しまなければいけないのです。

人々は自分の感情に触れようとはしません。

感情的であることは、弱い人間のすることと思い込まされてしまったからです。

感情を感じると慌てて思考を使って蓋をします。健康な人間はあらゆる感情を感じることができます。愛を感じることができます。愛を受け取り愛を与えることができます。

感情に蓋をして来たジョンは自分の感情を感じることができませんでした。

ジョンは泣くことで自分本来の姿を取り戻していきました。

「泣くこと、すすり泣くことは緊張を解放する最も早道だ。マッサージやエクササイズで緊張を取り除くこともできるが、最も深い効果を発揮するのは泣くという行為である。」(アレクサンダー・ローエン「ナルシズムという病」)

「原初療法は、絶え間なく感情を感じ取れるようにしてくれるわけで、感情が感じ取れると、たいてい泣きたくなってしまいます。私は感情を遮断していたのですね。で、情動が伝わってくると、泣いてしまうのです。そんなふうに簡単なことなのです。」(ジョンレノン)

ただ感情をだして泣くだけでは駄目で、その奥にある本当の痛みを自覚しなければなりません。

ジョンはアーサー・ヤノフの原初療法を集中的に受けて子供の頃の苦痛を再体験しました。

ジョンはようやく自分の感情を感じ取れるようになりました。

ただし、トラウマの再現は衝動を受け止める観察的自我がクライアントに育っていないとトラウマに巻き込まれて退行してしまうので、プロセスを助けてくれる経験豊富なセラピストのもとで行う必要があります。

プライマル・セラピーの後ジョンはアルバム「ジョンの魂」で「マザー」を作詞作曲しました。

母さん 僕はあなたのものだったけど   あなたは僕のものじゃなかった

僕はあなたを求めていたのに       あなたは僕を求めてはいなかった

だから 僕はいうんだ          あばよ さよなら

父さん あなたは僕を見捨てた      僕はあなたを見捨てなかったのに

僕はあなたを必要としたのに       あなたは僕なんか必要としなかった

だから 僕はいうんだ          あばよ さよなら

子どもたちよ 僕のやったことを     繰り返してはいけないよ

僕は満足に歩けもしなかったのに     無理に走ろうとしたのさ

だから 僕はいうんだ          あばよ さよなら

Mama Don't Go ママ 行かないで  Daddy Go Home ダディ 戻ってきて

繰り返し (山本安見 訳)

ジョンはあるがままの自分をだしていくこと、虚飾を取り払った自分に帰ろうと努力しました。

ギターを弾き、歌い、絵を描き、詩を書くこと、悪さをし、アルコール、LSDを浴びるほど飲み、大麻を吸い、瞑想をして、インドのグルにのめり込みました。

アルバム「トゥーバージン」では文字通りジャケットの写真で素っ裸になりました。

自分が自分でなかった時のことをジョンは夢だといいました。

私たちは現実を見ることなくマインドが作り出す偽りの夢を見ているのです。

そのことに気づけないで苦しんでいる人が大勢います。

ジョンはビートルズの虚像からはなれることで自分自身を取り戻しました。

ヨーコとの間に子供が生まれたジョンは家庭生活を大切にしました。

子供と遊び、パンを焼いたり料理を作る事に喜び満足しました。

再び音楽のスタートをきろうとした1980年12月8日の夜11時15分ジョンは凶弾に倒れたのです。

ジョンはイマジンで「Imagine there's no countries」と唄いました。

世界を分ける境界線はどこにもありません。

世界が苦しみから解放されるにはマインドが作り出す共同幻想から目を覚ますしかないです。


Facebook・澤江 昌範さん投稿記事

ジョン・レノンを撃ち殺した犯人は、次に照準をオノ・ヨーコに合わせ引き金をひいた。

『 あの日、ジョンが撃たれたすぐあと、こちらに向けて弾が飛んでくるのが見えました。

本当に一瞬のことでしたが、弾が向かってくるのが見えたんです。

横にずれていたから私には当たりませんでした 』

オノ・ヨーコさんは、1980年12月8日、あの日のことをこう回想しています。

当時は、ふたりで多くのを語ったベッドにひとり横になると、涙がでてくるばかりで、立ち上がる気力すらもてなかったそうです。

ごはんも喉を通らない。

しばらくはジョンが好きだったチョコレートしか口にすることができなかったとか。

それまではオノ・ヨーコさんはチョコが大嫌いだったのに……。

ジョン・レノンが亡くなったあとのオノ・ヨーコさんのもとには、追い討ちをかけるように、いろんな人がイヤなことを言ってきたそうです。

でも、ここはなんとしてでも耐えないといけない。

息子ショーンのことを思うと、『 絶対に生きながらえなくてはいけない 』と思えた。

しかし、前へ進もうにも、彼女の足をひっぱろうとする人たちが多数で、どうにもこうにも動けない感じだったんだそう。

このままでは自分がだめになってしまう…。

そんな精神的にギリギリのときに始めたのが、『 Bless 』だそうです。

『 Bless you Jack ,Bless you Norman,Bless you Fred… 』

夜ベッドの中で、頭に自然に浮かんだ名前を『 Bless 』していくのです。

『 Bless 』=『 祝福 』です。

『 おかしなもので、口をついで出てくるのは私に対して嫌がらせや誹謗中傷をしている人たちの名前ばかりでした。「なんでこんな嫌な人たちばかり祝福してるんだろう」

と思いながらも続けました 』すると、1週間ほどした頃、気持ちに変化が現れたとか。

嫌がらせをしたり、自分を傷つけようとした彼らに対する恨みが薄れてきたのだそうです。

すると、同時に不思議なことが起きた。

攻撃していた人たちが忙しくなったり、彼女に向けられていた嫌がらせの矛先が鈍ってきはじめたのだとか。

『 その出来事の中で、ひとつ気づいたことがあります。

「 私の体をメチャメチャにしていたのは、自分の中にある恐怖や怒りなんだ 」ということです 』『 Bless 』人のために祈っていたつもりだったけれど、自分の中にある恐怖や怒りを追い払うことだったんです。『 Bless 』=『 祝福 』

相手に祝福を送ることは、自分に祝福を送ることとイコールなんだと思います。

わだかまっている人がいるなら、その相手に1週間、祝福を送ってみよう。

それは自分を祝うことになります。〜 Bless you 〜