大日本帝國憲法と皇室典範を起草すべく英才らの中、伊藤博文は欧州留学中にプロイセン王国憲法を学び、底流する英米法思想をも学んで帰朝した。なお、プロイセン王国憲法は、後に成立するドイツ帝国憲法とは全く法思想を異にするものである。ドイツ帝国憲法は、フランスなどと同様の大陸法系成文法主義に立脚するものであるが、プロイセン王国憲法は、英米法系不文法(コモン・ロー Common Law)主義に立脚するものであったことを銘記しておくべきである。
また、金子堅太郎は早くよりアメリカに留学しており、ハーヴァード・ロー・スクールにて英米法思想を学んだ俊才であった。金子堅太郎は、アメリカ合衆国憲法を起草したアレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton)らの著書『フェデラリスト』などを研究し、帰朝後は英米保守思想のバイブルといわれる英国のエドマンド・バーク(Edmund Burke)の『フランス革命の省察』などの抄訳を刊行するなど、英米保守思想憲法学の第一人者であった。 エドマンド・バークやエドワード・コーク(Sir Edward Coke)などに通底する英米保守思想とは、父祖から相続した道徳や慣習、伝統などの「法(Law)」に、国王の命令や国会の制定法などの成文法は従わねばならない、と考える。これが、「法の支配(Rule of Law)」である。 そして、このような思想は、前述してきたように、我が國に於ける古来からの國政のあり方と、奇妙に偶然に一致するのであった。