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蓬莱に聞かばや伊勢の初便

2020.12.11 05:09

http://www.basho.jp/senjin/s1201-1/index.html 【蓬莱に聞かばや伊勢の初便】より

芭蕉(炭俵)

 物みな改まる正月に、中国伝説で不老不死の霊山とされる蓬莱山をかたどった飾りものが「蓬莱」、「蓬莱飾り」である。飾るものは地方や時代によってさまざまのようであるが、いずれにしても、松竹梅や鶴亀、或いは穂俵、海老、搗栗、野老、橙などのめでたいものである。

 掲出句は、床の間に飾ってある「蓬莱」を前にすると、伊勢神宮のある伊勢からの初便りを聞きたいという厳粛な気分になることだ、と言う意。

この句は『去来抄』の最初にも取り上げられて、当時からわかりにくい句という論評があったようだ。

深川よりの文に「この句さまざまの評あり。汝いかが聞き侍るや」となり。

去来曰く「都・故郷の便りともあらず、伊勢と侍るは、元日の式の今様ならぬに神代を思ひ出でて、便り聞かばやと、道祖神のはや胸中をさわがし奉るとこそ承りはべる」と申す。

先師返事に曰く「汝聞くところにたがはず。今日のかうがうしきあたりを思ひ出でて、慈鎮和尚の詞にたより、「初」の一字を吟じ侍るばかりなり」となり。

 芭蕉が言葉を借りたという慈鎮の歌は、その家集『拾玉集』に、「このごろは伊勢に知る人おとづれて便りいろある花柑子かな」とある。

 先日、この句碑のある神奈川県愛甲郡愛川町の八菅(ハスゲ)神社を訪ねた。鳥居をくぐると、八菅山修験場跡要図があり、「この八菅山を前にした丹沢山塊一帯は山岳信仰の霊地として修験者(山伏)たちの修業道場として盛んであった」とある。また神社の社叢林はスダジイをはじめとする高木層の自然植生林が、神奈川県指定天然記念物となっている。

  句碑は鳥居右側の石垣の上に立っていた。台座の上に高さ2メートル位、人が身をよじったような形で先端が尖っている。表に掲出句と「芭蕉翁」、裏に、安政七年次庚申正月吉辰造立焉とある。建碑の事情については、後日教育委員会から送られた資料「愛川町の野点文化財=中津地区」に次のようにある。

「現在の句碑は再建のもので諸国翁墳記に記載のものは石彫りの蓑亀の甲羅の上に烏帽子形の根府川石が立ち、二重の台石でりっぱなものであったらしい。(略)この碑が安政二年十月二日の大地震で崩壊したので五年後再建されたものと言われている。

  谷地先生に見せて頂いた「諸国翁墳記」に、この記載どうり、蓑亀の甲羅の上に立つ見事な句碑が描かれていた。本書は一頁あたり4~5基がシンプルに紹介されることが多いが「相州八菅山光勝寺有境内」と刻むこの碑は一基に一頁を割いて、その二重の台石の上にはみ出すほど大きな亀を載せ、その甲羅の上に烏帽子形の句碑を立ててある。亀は蓑を大きく靡かせて蓬莱の国に行こうとしているようであるが、何故かその顔は鹿のようにも見える。私がこれまで見てきた芭蕉句碑は基本的に墓石を連想させるような縦型の自然石が多いので、この形式には驚くばかりである。

  なお「蓬莱に」の句は、元禄七年(1694)、芭蕉最後の新年の句である。

(文) 根本文子


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/iseyori.htm 【蓬莱に聞かばや伊勢の初便】 より

元禄7年元旦。江戸にて作られた句。歳旦句として京都で出版する予定であるとしているがその歳旦帖は現存しない。この句の解説は芭蕉自ら、「曲水宛書簡」、「意専宛書簡」、「許六宛書簡」などで説明している。

 元禄7年は芭蕉の人生最後の年である。新春を寿ぐめでたい句でありながら、歳旦吟に伊勢が出てくるのは、無意識の中に最後の旅への情念が萌芽していたためであろうか。

蓬莱に聞かばや伊勢の初便

 蓬莱は、ここでは正月の飾り物の蓬莱飾りのこと。三方に松竹梅を立てて、白米・歯朶・昆布・ゆずり葉を敷き、橙・蜜柑・柚・橘・かちぐり・野老・ほんだわら・ころがき・伊勢海老・梅干しなどをその上に飾る。新春の景物である。その蓬莱にそっと耳を寄せてみると、伊勢神宮の清浄な空気が伝わってくるようで、これが伊勢からの初便りだというのである。 (『去来抄』参照)

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/letter/kyokusui12.htm 【菅沼曲水宛書簡】より

年始之貴墨、忝致二拝見一候*。愈御無異、御家内・御子達御息災に御重年之事共、珍重候*。愚夫不レ相替春をむかへ申候*。

当年は武府之俳者、新三つ物共出し候とてさは(わ)ぎのゝしり申候へ共、正秀には我を折申候*。愚句京板*にて御覧可レ被レ成候へ共、

蓬莱にきかばや伊勢の初便

伊勢に知人音づれてたよりうれしきとよみ侍る慈鎮和尚の歌より*、便りの一字うかゞひ候*。其心を加へたるにては無二御座一、唯、神風やいせのあたり、清浄の心を初春に打さそひたるまでにて御座候。

去年は当府に御入*、初春の出合、初笑の興もめづらしく候へば、一入ことし御なつかしく奉レ存候。まれまれなる雑煮を御振舞申候*。ことしは御宿にて御あぐみ候ほど、おうは(さ)しいで被レ申候。委細後便可二申上一候。頓首

    正月廿九日

曲翠雅公

竹助殿*御成長、其妹御、見ぬ内より御なつかしく候*。御染女*、御息災たるべく候。

 近江の門人菅沼曲水からの便りに返事した書簡。季節の挨拶と自分の歳旦吟「蓬莱に・・・」の句の紹介以外には重要な意味はない。

年始之貴墨、忝致二拝見一候:<ねんいしのきぼく、かたじけなくはいけんいたしそうろう>と読む。

愈御無異、御家内・御子達御息災に御重年之事共、珍重候:<いよいよごぶい、ごかない・おこたちごそくさいにごじゅうねんのことども、ちんちょうにそうろう>と読む。

愚夫不レ相替春をむかへ申候:<ぐふあいかわらずはるをむかえもうしそうろう>と読む。私も元気に新春を迎えました、の意。

正秀には我を折申候:正秀は膳所の水田正秀のこと。正秀の三つ物の出来のよさに感服したというのである。他の書簡にも同様の記述がある。

京板:京都の出版社井筒屋庄兵衛 発行を指す。

伊勢に知人音づれてたよりうれしきとよみ侍る慈鎮和尚の歌より:慈鎮和尚の歌「このごろは伊勢に知る人音づれてたより色ある花柑子かな」を引用。芭蕉の引用と細部が異なるのは芭蕉の記憶ちがいか、芭蕉持参の『拾玉集』のミスプリントであろう。

便りの一字うかゞひ候:「・・初便」は慈鎮の歌の「たより」を一字頂いたものです、の意。

去年は当府に御入:去年は貴方は江戸に居られましたね、の意。曲水の江戸勤番は元禄5年以来約1年間であった。

まれまれなる雑煮を御振舞申候:風変わりな雑煮で貴方におもてなしをしましたね、の意。

竹助殿:曲水の息子。

其妹御、見ぬ内より御なつかしく候:芭蕉が膳所を去った元禄3年以後に生まれた曲水の娘で、芭蕉は未だ見ていない。

御染女:<おそめじょ>。曲水の娘


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/letter/isen6.htm 【意専宛書簡】より

百とせの半に一歩を踏出して*、浅漬歯にしみわたり、雑煮の餅のおもしろく覚候こそ、年の名残も近付候にやとこそおもひしられ侍れ*。去年の春、まだ片なりの、ときこえ候梅のにほひも*、今としは漸々色香しほ(を)らしく、御慈愛之ほど推察致候。

久々便不レ仕無音*、去年中は何角心うき事共多く取重候段、同名方迄具に申遣し候間、御聞可レ被レ成候*。早々東麓庵の桜の比はと*、漸々旅心もうかれ初候。され共いまだしかと心もさだまらず候へ共、都の空も何となくなつかしく候間、しばしのほど成共上り候而、可レ懸二御目一と存候。定而歳旦、承度候*。愚句京板に出候而*、門人の引付ごとに書とられ候間*、いづれにて成共御覧可レ被レ成と、書不レ申候。便り一字、慈鎮和尚より取伝へ申候*。

    正月廿日                         はせを

  意専老人

尚々状数取重候間、追而腹一ぱいに書つくし可レ申遣二之一候

 元禄7年正月、江戸から意専(猿雖)宛の書簡。「蓬莱に聞けばや伊勢の初便」の元禄7年の歳旦吟についての記述を含む時候の挨拶書簡。

百とせの半に一歩を踏出して:<ももとせのなかばにいっぽをふみいだして>と読む。この年芭蕉は51歳になった。百年の半分を生きたというのである。

年の名残も近付候にやとこそおもひしられ侍れ:「年の名残」は、死を暗示する。事実、芭蕉はこの年10月12日に死去した。もとより、この記述は偶然の一致に過ぎないのだろうが。 

便り一字、慈鎮和尚より取伝へ申候:「曲水宛書簡」に詳しい。

まだ片なりの、ときこえ候梅のにほひも:元禄6年意専の歳旦吟「元日やまだ片なりの梅の花」で初孫の誕生を喜んだ句を詠んだのを受けて、其の孫もすくすくと御成長のことでしょう、の意。

久々便不レ仕無音:<ひさびさたよりつかまつらずぶいん>と読む。御無沙汰しています、の意。 

同名方迄具に申遣し候間、御聞可レ被レ成候:<どうみょうかたまでつぶさにもうしつかわしそうろうかん、おききなさるべくそうろう>と読む。「同名方」は実家松尾半左衛門方を指す。去年(元禄6年)は、楢子桃印の死、古参の弟子嵐蘭の死等々、芭蕉にとって災厄の年であったことは、兄の家からお聞き及びのとおりです、の意。

早々東麓庵の桜の比はと:<そうそうとうろくあんのさくらのころはと>と読む。「東麓庵」は意専の草庵で、庵名は芭蕉の命名による。そこの桜が咲く頃には一度訪ねたい、の意。

定而歳旦、承度候:<さだめてさいたん、うけたまりたくそうろう>と読む。今年の貴方の歳旦句を聞かせて頂きたい、の意。

愚句京板に出候而:<ぐくきょうはんにいでそうろうて>と読む。京板は、京都の出版社井筒屋庄兵衛 発行を指す。

門人の引付ごとに書とられ候間:当時の歳旦帖には、巻末に門人・知人・家族などの句が掲載された。 


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/letter/kyoroku9.htm 【森川許六宛書簡】より

(元禄7年2月25日 芭蕉51歳)

書簡集/年表/Who'sWho/basho

上略

一、「神矢の根」*「螻蓑」*、少分ながら御用に立ち、満足申し候。おのおの感心、「関の足軽」*、よきころあひの奇作に候。過ぐれば手帳の部に落ち候*。世に鳴る者の三つ物*、総じて地句*など、みなみな手帳のほかは三歳児童の作意ほども動かず候。町者のこしらへの俳諧にも、わが党五三人は見あき候へども、いまだここを専と句をこしらへ候者どもも歴々相見え候。よき句をうるさがる心ざし感心あるべきことにや*。歳暮の大荒れ、目をさまし候*。「みなと紙の頭巾」*は、人々空に覚えて笑ひ候*。

一、愚門三つ物、京板*にて御一覧なさるべく候。江戸他家の事は、評判無益と筆をとどめ候。其角・嵐雪が儀は、年々古狸よろしく鼓打ちはやし候はん*。

一、桃隣が五つ物は、半ば愚風に心をよせ、ところどころ点取口を交へ、はかばかしくも御座無く候へども、かれなほ口過ぎを宗とするゆゑ、堪忍の部のよきかたに定まり候。

一、宝生沾圃*が三つ物は、力なき相撲取の、手合せを見事にしたるばかりか。されども、力相撲のねぢ合ひ*には増り候はんと、収め候。

一、野坡*が三つ物は、去秋より愚風*に移り、いまだうひうひしくて、さぐり足にかかりはべれども、年来の功すこし増り、器量邪風に立ち越え候ゆゑ、見どころ多く、総じての第三、手帳の場を打ちなぐりたる、一つの手柄ゆゑ、これ中の品の上の定めに落ち着き候。愚句*は、子供の気色荒れたる体に見うけ候へば、一等しづめ候て、目にたたせず候。かの「伊勢に知る人おとづれて便りうれしき」と詠みはべる、「便り」の一字を取り伝へたるまでにて候。

一、美濃如行*が三つ物は、「軽み」を底に置きたるなるべし。総じての第三は、手帳の部*にありといへども、世上に面を出だす風雅の罪*、許し置き候。

一、膳所正秀*が三つ物三組こそ、あとさき見ずに乗り放ちたれ。世の評詞にかかはらぬ志あらはれて、をかしく候。彦根*五つ物、勢ひにのつとり、世上の人を踏みつぶすべき勇体、あつぱれ風雅の武士の手わざなるべし。世間、この三通りのほかは、手に取るまでもなきものに候*。

   二月二十五日

森川許六丈                      ばせを

   御返事

 この年の正月の歳旦帖が彦根の許六から送られてきたものをみた感想と、他に江戸情勢や膳所の如行からの近江のものとを評論した書簡。「軽み」に対する執拗な関心と、評論の力点もそれを基調としながら批評する形となっているのが特徴である。蕉門以外の江戸俳諧の愚劣さへの怒りは、この時期ともなると「無視」へと変り始めている。

 嵐雪や其角との間の確執は内心我慢ならないところまで来ているのが行間ににじみ出ているのが興味深い。

「神矢の根」:許六の句「春風や歯朶にとどまる神矢の根」をさす。

「螻蓑」:許六の句「完領負ふ賎が螻蓑あたたかに」を指す。

「関の足軽」:木導の句「三月に関の足軽置きかへて」をさす。

過ぐれば手帳の部に落ち候:これ以上奇抜になると、手帳俳諧になってしまう、の意。「手帳」とは奇怪な俳句のこと。軽蔑の意味で使われる。「手帳俳諧」。

世に鳴る者の三つ物:大物と称する俳人の歳旦句。

地句:平凡で保守的な句。なんの変哲も工夫も無い古臭い俳句。

よき句をうるさがる心ざし感心あるべきことにや:良い俳句を評価しないような志ではどうしようもないです、の意。ここに「よき句」とは、「軽み」の句のこと。そういうもののよさに気づかない者をあげつらっているのである。

歳暮の大荒れ、目をさまし候:歳暮吟の大胆な作品には驚嘆しました、の意。先に歳暮吟が許六から贈られていたのであろう。

「みなと紙の頭巾」:黄逸の作品「煤掃きや頭を包むみなと紙」を指す。先の歳暮吟の中の一句。

人々空に覚えて笑ひ候:江戸の弟子たち(上記53人)皆で多いに笑って暗記してしまった、の意。芭蕉の褒め言葉である。

京板:京都で版木に起こして出版した江戸蕉門の門人達の歳旦句。井筒屋庄兵衛俳諧書林のこと。

古狸よろしく鼓打ちはやし候はん:其角や嵐雪は古狸で何をしているか、私は知らない、の意。この頃、其角・嵐雪とは心理的な齟齬が生じていて、それを抑圧して付き合っていた。

宝生沾圃:沾圃の歳旦句をこの歳旦帖に納めた。沾圃が、「軽み」を修得しようとしていることに、芭蕉は好感を持っている。沾圃についてはWho'sWho参照。

力相撲のねぢ合ひ:腕こきのただ力ばかりの作品、の意で、ここでは嵐雪あたりの歳旦句を指している。芭蕉の「軽み」の提唱に素直に応じていないことを揶揄しているのである。

愚風:私の作風、つまり「軽み」。

野坡:Who'sWho参照。

愚句:「蓬莱に聞かばや伊勢の初便り」を指す。

美濃如行:如行については、Who'sWho参照

世上に面を出だす風雅の罪:歳旦帖として発表する俳諧(業界)の風習ゆえ仕方が無い、の意。

膳所正秀:膳所の重鎮水田正秀。詳細は、Who'sWho参照。

彦根:森川許六の彦根蕉門の五つ物を指す。許六については、Who'sWho参照。

世間、この三通りのほかは、手に取るまでもなきものに候:これら如行、正秀、許六らの作品を除けばあとはみな「手帳俳諧」に過ぎない。