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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 どの世界にも光があれば影があるという声優の世界

2020.12.11 22:00

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 どの世界にも光があれば影があるという声優の世界


 土曜日のエロの日になった。まあ、なんとなく年の瀬になって、だんだんと慌ただしくなってきたが、今年はそれでもあまり大きな動きは少ない。やはりコロナウイルスに関する内容であろうか。

しかし、先日夜の渋谷に行ったが、全く人が少なくなったというような感覚はない。欲「灯が消えたような」というような表現をするが、全くそんなこともなく、いつもの年末に少し人が少ないかなというような感覚である。最も変わったところは待ちゆく人のほとんどがマスクをつけているということdくらいであって、何か大きく変わったことはないような気がする。まあ、おおきな忘年会はないものの、それでも居酒屋などはかあり人が多く入っていたような印象がある。

さて、今週はそのように見ていても、あまりニュースのない一週間であったと思う。まあ12月8日にイギリスでワクチンの接種が始まったということになるが、日本はまだまだ先のことであろう。そしてそのワクチンもアナフィラキシーショックが出てくる人が5000人の接種のうちに2人出てきたということである。まあ、確率論から言えばそのようなこともあろうかと思うが、まあ、過去のそのようなアレルギー反応が起きた人は少し注意をした方がよいのかもしれない。しかし、野のワクチンが広まることによって「必要以上にコロナウイルスを恐れる必要がなくなる」という心理的な影響はある程度楽になってくるのではないか。経済活動が活発化することによってまた様々なことが元に戻ってくるのであろう。

さて、そろそろ今年を振り返らなければならないというような状況になってきて斬るのであるが、なかなか大変だ。毎年、このくらいになると「今年の総括」と「来年の予想」をしなければならない。まあ、週刊誌などは「解散総選挙」と「ポスト菅」ということが話題になっているが、少なくとも「土曜日のエロ」で話す話題ではないからやめておこう。やはり、土曜日はそのようなことは関係ないエロの世界で話を進めよう。

「ゆくゆくはAVに出演させるつもりだ」スポットライトの裏で搾取される“底辺声優”たちの苦悩

 鬼滅映画が空前絶後の大ヒットを記録した陰で、“底辺声優”に注目が集まった。きっかけは、今年2月に元声優の泉水みちるさんがnoteに投稿した「底辺声優の所感」という記事。声優養成所の内側で苦悩する若者の姿を赤裸々に綴り、大きな反響を呼んだ。

 今や30万人も存在するといわれる声優志望者たち。なぜ現代の若者たちはこれほどまでに声優に熱狂し、そして夢破れていくのだろうか?

◆◆◆

 まずは、日本における声優の歴史的背景を探ってみたい。

 日本の“声優第1号”は、1925年にさかのぼる。その年に開局した社団法人東京放送局(NHKの前身)が、ラジオドラマの研究生として採用した12名の女性たちがそれだ。戦後の’56年になると、東映動画によってアニメ映画がコンスタントに製作されるようになり、60年代に海外ドラマや洋画の吹替版が数多く放送されたことで声優の需要は急激に高まっていった。

 70年代後半から80年代にかけては群雄割拠のアニメブームが到来。そんな最中の’78年にアニメ専門誌『アニメージュ』が創刊され、“声優のアイドル化”が打ち出されるようになる。90年代に入るといよいよそれが具現化。’94年には初の声優専門誌『声優グランプリ』および『ボイスアニメージュ』も創刊され、’97年には椎名へきるが声優初となる日本武道館単独コンサートを開催している。

アイドル化が進んだ声優の世界

 2005年の『電車男』くらいを境にオタクカルチャーが一般化。’06年の『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけに平野綾がアイドル化したのは記憶に新しいだろう。子供の「なりたい職業ランキング」上位に声優が入ってくるようになったのもこの頃だ。そして10年代には、武道館で単独公演を行う声優やユニットが当たり前となり、ソシャゲやVTuberの勃興とともに、ゲーム実況、音声配信系アプリなど、ITによって誰でも声を通じて表現をすることができる時代になった。

 そして2020年、冒頭でもご紹介した泉水みちるさんの記事「底辺声優の所感」が投稿された。それによれば、声優はもはや役者としての演技力ではなく、容姿やフォロワー数などの付加価値を強く求められているようだ。キャラ作りのためにあえて変わった趣味に打ち込んでみたり、ワークショップ通いで不必要な教材を買い込んだ挙げ句、バイト出勤が不安定になってしまったりと、夢を追いかけていたつもりがいつの間にか夢に追われ、苦しんでいる底辺声優たち。

「夢は諦めました」

 実際に声優学校と養成所に通い、現在は別の活動をするようになったAさんは当時をこのように振り返る。

「中学校でいじめに遭い、生きる意味が欲しかったんです。声優の学校がきっと自分に合うと感じて、夢を声優に決めました。先生も向き合ってくれてオーディションの話もいただき、声優アイドルユニットに合格してその道に進む予定だったのですが、ゆくゆくはAVに出演させるつもりだという話を聞いてその夢は諦めました」

 声優学校卒業後、「今の自分に向いてなかったら、別の道を目指せばいい」と考え、アイドルへ転身したという彼女。それは恵まれたほうなのかもしれない。今や明らかに需要を超える、30万人の声優志望の若者たちが存在する時代だ。この人数は若者不足で悩んでいる24万の自衛官よりも、26万の警察官よりも多い。

 かつてアニメの声優という職業は、自分を受け入れてくれそうな貴重な受け皿であった。ところが注目を集めてマジョリティが流入してきた今、そこはただただ消費され、消耗してしまう場に。厳しい競争を勝ち抜いて武道館を熱狂させたスポットライトの裏側に、たくさんの“底辺声優の所感”がこだましている。

(ベズ柴崎/文春ムック 週刊文春エンタ! エンタメが私を救う。)

2020年12月9日 17時0分 文春オンライン

https://news.livedoor.com/article/detail/19353499/

 さて、今年の最も大きなヒットといえば「鬼滅の刃」の大ブームを上げなければならないであろう。ちなみに私はこのブログでも何回か扱っているのであるが、実は読んでもいない染みてもいない。しかし、周辺や家族が話しているのを聞くと、まあすごいことになっているというような気がする。

さて、アニメといえば声優である。私の世代ではまずは神谷明さん、それも「ケンシロウ」であろう。あとはルパン三世も、山田康雄さんのころである、渋いところでは今は俳優となっている伊武雅刀さんが、デスラー総統であったことなど、なかなか懐かしい。大変不謹慎な言い方になるかもしれないが「アニメの声優が代替わり」ということは、そのまま「そのアニメが長く続いている」ということを意味している。ドラえもんやサザエさん、ルパン三世やアンパンマンなどは、まさにそのような状況になってきているのではないかという気がしているのである。

さて、アニメーションブームと、そのアニメーションによる声優がアイドル化してゆくことから、声優を目指す子が多くなるという。しかし、当然のことながら芸能人やアイドルと同じで、「人に見られる職業」であり一方で「競争が激しい社会」であるということは、それなりに脱落者も多い。しかし、その実力差が数値などにってすぐに見えるものではないということから考えると、あきらめるのもなかなか難しい。

当然に「芸能界」というのは「自分を売る」職業である。それが「見た目」なのか「声」なのか、あるいは「体」なのかは別にして、斬れなところばかりとは限らないということになるのではないか。そうなってくれば当然に、「脱落した人々の問題」は出てくる。これは何も声優ばかりではなく、「芸能人」「モデル」「芸人」など様々な芸能関係のところにおいて話ができることになってしまうものであろう。

、声優はもはや役者としての演技力ではなく、容姿やフォロワー数などの付加価値を強く求められているようだ。キャラ作りのためにあえて変わった趣味に打ち込んでみたり、ワークショップ通いで不必要な教材を買い込んだ挙げ句、バイト出勤が不安定になってしまったりと、夢を追いかけていたつもりがいつの間にか夢に追われ、苦しんでいる底辺声優たち。<上記より抜粋>

単純に実力差が見えない場合は、何かを数値化しなければならない。当然にその内容がこのようなフォロワーなどになってしまうということになるのではないか。まあ、昔から「者」のつく仕事は、自分で自分の価値を高めて売り込まなければならない職業であるとされえている。「医者」「役者」「芸者」どれもそうであるが、そのような覚悟のない人がこのような世界に飛び込めば苦労するのは目に見えているといえる。

声優アイドルユニットに合格してその道に進む予定だったのですが、ゆくゆくはAVに出演させるつもりだという話を聞いてその夢は諦めました<上記より抜粋>

ある意味で「アニメ声」というのは、それなりの特徴である。しかし、アニメの声優というのはすべてそのような特徴を持っているのであるから、当然に、それが目立たない。しかし、「AV」となれば、それは別で、一つの特徴となることになる。当然に「売れなければその特徴が最も活かせる場所」というのはある意味で、本人たち以外は考えているのではないかと息がするのである。もちろん、「演技的な声」で男性を喜ばせたり魅力的な声を出せるのであるから、基本的には「向いている」と思う。もちろん本人はいやかもしれないが、周辺の大人はそう考えるであろう。

ある意味で、「厳しい社会」ということを知らないで言ったのであれば早めにあきらめるべきである。一方、そのようなつらい経験をして、その後アニメの第一線に立っている人も何人もいる。そのようなところまで、よく調べるべきではないのか。安易な人生設計が最も大きな間違いを起こすものである。

なお、私のような大人にしてみれば、アニメ越えのAVが出てくるのはそれはそれで楽しみなのである。