岩戸伝説と天照大御神の意義
前回につづいて「岩戸伝説」の古事記編纂に於ける意図はなんなのかを探ってみたいと思いますが、今回は、なんと申しましてもこのシーンの主人公である、天照大御神を中心に考えてみたいと思います。
さて、まずなぜアマテラスさまは岩窟なんかにお隠れになったのでしょうか?
そして、ご自身がお隠れになったことで、どんなことが起こるか想定できたのでしょうか??
そう、もうお分かりの通り、この「岩戸伝説」はなにを表しているかというと、「日食」、または「冬至」なのです。
よくどちらだろうという意見もありますが、筆者は「両方」です。これは現象に捉われるのではなく、それぞれの立場で見ればよく分かります。
で、アマテラスさま的には「冬至」なのです。冬至は、一年間でもっとも太陽の力が落ちる時期です。そう、アマテラスさまは、弟神スサノオに対峙をし、誓約を行い、更にスサノオを庇い、挙句の大惨事で、もう、身も心も疲れ果ててしまい、力が落ちてしまいました。
それで充電が必要になりましたが、ついつい自身が太陽神だとお忘れになった(ほど、疲弊されていたのか)のでしょうか、なにを思ったのか、疲労回復のために岩窟にはいって閉じこもってしまいました。これによって太陽が隠れた、日食が訪れたのです。それも、天津国だけでなく、葦原中国まで真っ暗になったことで、アマテラスさまが支配されているのは天界だけでなく地上世界の至る所までということが証明されるのです。
さて、次のポイントは、八百万の神の集結になります。この詳細は前回記しましたが、ひとつは、アマテラスさまという絶対的な権威を介さなくても物事を決めたことになります。実は、これはちょっと嫌らしい表記なんです。古事記が編纂された時代、この書物は、天皇の系統の正統性を書いている一方で、政治は有力な豪族だけでも執行していく(この場合絶対的権威のアマテラスさまが不在の状況ですから)事も含みがあるのです。そして、ついにはスサノオさまをも追放してしまいます。これもアマテラスさまの意思というより、八百万の神の総意です。
そしてもうひとつ重要なこと、それは、天照大御神ご自身におこります。
アマテラスさまは古事記においては、生まれながらにして、イザナキさまから、高天原の統治権を譲位されます。一方、「日本書記」では、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)と呼ばれていましたが、これは、誕生の際に光り輝く女神だったので、「太陽の高貴な女」という意味で命名され、しかもその光輝いた霊光の強さと姿ではとても地上には住む訳にはいかないと天へ送り返らされ「天照大神」と呼ばれることになりました。つまり記紀に於いて、岩窟に閉じこもるまでは、「太陽神」というだけだったのです。
しかし、自分より尊い神がいると聞き、その神を見たくて扉を少し開けたところを鏡を出され自分の姿を見せられ、その高貴な顔かたちに見とれている間に、外へ連れ出され、さらに、岩屋に結界を張られてしまいます。この鏡、高貴な姿、結界には大きな意味があり、記紀共に、アマテラスさまは、岩屋から出てきた途端、以前のただの太陽神ではなく皇祖神に変貌を遂げられたのです。これから後、アマテラスさまが地上の支配は行わなくなります。また、行動は愚か、言動を発してなにかをなさることは一切なくなります。そう、太陽神だった時代のアマテラスさまの御心は岩窟の中に置きざれにされ、結界を張られ封印されてしまったのです。
これから後、天照大御神からは「詔」という身体ではなく、「言葉」の威力を発揮されます。「神勅」であり、「託宣」です。
つまり、天の岩戸屋の最も大きな意味は、このことによって、アマテラスさまが太陽神というだけでなく皇祖神というこの世界の最高神になるための儀式だったといえるでしょう。
そして、地上の支配は??
それは、スサノオさまが、アマテラスさまのご威光に沿って、動くという、更なる中央集権体制を強固にすることを示唆する、そんな思惑を詰め込んだ物語へと進行していくのです。