「ルノワールの女性たち」23 裸婦(2)
ローマで賛嘆したラファエロの《ガラテアの勝利》に勇気づけられたルノワールは、裸婦を力強く確固としたフォルムで描くようになる。彼はアカデミー風の画家の擁護する生硬なフォルムをはねつけながらも、再び古典主義と和解する。アカデミー風の画家とは、理想化された裸体美のヴィーナスを最新のスタイルで描く、ブーグローやカバネルなどのことだ。ルノワールはこうしたゆがんだ完璧主義を排斥する。
ルノワールが描く裸婦に、打ち解けがたい気品が備わってくる。こうしてモデルから少し距離を置くやり方は、画風上の新たな探求と軌を一にし、デッサンは輪郭が強調されて鋭さを増す。
【作品44】「腰かける裸婦(アンナ)」1876年頃 プーシキン美術館
おそらくサン・ジョルジュ街のアトリエで製作されたもの。モネと最も親しくしていた時代には戸外で観察される光と色彩の問題の方が裸婦を描くことよりも先行していたが、この作品はルノワールが決して完全にこの分野を放棄したわけではないという一つの例。
このモデルはアンナといい、ルノワール好みの大きなお尻と透き通るような肌をもっているが、その点は後に彼の妻となるアリーヌ・シャリゴと共通している。背景は完全に混沌としており、渦巻き状になった布が部屋を飾っている家具を覆い、黒い瞳と黒い髪をもった裸婦の引き立て役になっている。この絵の構図は慎重に考えられたものであり、裸婦は肩越しに観客に視線を送るという、典型的な挑発するポーズをとってはいるが、背中と乳房の一部を視線にさらしているだけである。
ルノワールは生涯を通じて18世紀フランス絵画に影響を受けたが、この作品のような場合には彼はブーシェやフラゴナールの伝統を19世紀後半にまで引き継いでいる。
【作品45】「髪の手入れをする浴女」1885年頃 クラーク美術館 ウィリアムズタウン
ルノワールが実験時代に描いた裸婦像の中でも、輪郭が最も明瞭に描かれている作品のひとつ。明るい色調は、彼が賛美したイタリアのフレスコ画を想起させ、それでいて量感の滑らかな肌の周囲に、抜かりなく力強い線条で、風景を生き生きと表現している。
【作品46】「大水浴」1887年頃 フィラデルフィア美術館
1881年から82年のイタリア旅行によって古典的な絵画に目覚めたルノワールが、3年近くの歳月をかけて完成させた大作。彼には珍しく、この作品のためのデッサンや下絵を何枚も描いたことが知られている。こうした入念な創作態度は、新古典主義の画家アングル(1780-1867)の技法を研究した成果だった。全体の構図は、ヴェルサイユ宮殿の庭園にある、17世紀の彫刻家フランソワ・ジラルドンの浮彫りから想を得たという。そのためか、左の二人の少女のポーズなどはやや堅苦しい印象を与える。1887年にジョルジュ・プティ画廊で展示された時には、「浴女たち――装飾絵画の試み」という題名がつけられた。そして実際、建築の装飾壁画にしばしば用いられるフレスコ画のような描き方を試みたようである。ルノワールの心の中では、少女たちの生き生きとした動きを活写したいという思いと、イタリアの壁画のような堂々たる作品を描きたいという気持ちが、せめぎあっていたようだ。
ルノワールはこの絵がたいへんな成功を収めたことを喜び、デュラン・リュエルに宛てて次のように書いている。「小さな一歩ですが、大衆の承認に向かって一歩を踏み出したと思います」
しかし、すべての人がこの絵の調書を認めたわけではない。カミーユ・ピサロは息子のリュシアンに次のように語っている。
「彼が何をしようとしているのかはよく理解できる。立ちどまっていたくないというのは正しいことだし立派なことだ。だが線に集中したあまり、人物はすべてばらばらな存在になり、色彩への配慮を忘れて互いが分離してしまっている」
1876「裸婦 アンナ」
1885頃「髪の手入れをする浴女」
「大水浴」1887年頃
ラファエロ「ガラテアの勝利」ヴィラ・ファルネジーナ、ローマ
アレクサンドル・カバネル「ヴィーナスの誕生」1863年 メトロポリタン美術館
ブーグロー「ヴィーナスの誕生」1879年 オルセー美術館
1880「座る裸婦」ロダン美術館
1882「岩の上に座る浴女」マルモッタン・モネ美術館
1887「髪を編む女」エルミタージュ美術館
1888「水浴びのあと」オスカー・ラインハルト・コレクション