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蓬莱羊歯

2020.12.12 04:38

https://blog.goo.ne.jp/gajimaru18/e/09cde7969d202f7deeae7f182235465f 【ホウライシダ】 より

 私は怒鳴るのも嫌いだが、怒鳴られるのも嫌いである。大学生活で東京にいる頃、バイト先で怒鳴る人のいるところはストレスとなった。怒鳴り合うことで気合が入り、仕事が上手く行く人もいるかもしれないが、「大声出さなくても聞こえるし、むしろ、静かに語った方が何を言っているのか理解しやすいです。」と私は言いたかった。

 怒鳴るのも怒鳴られるのも、何しろ煩い。私は煩いのが嫌い。車のクラクションもテレビの大音量も嫌だし、音だけでなく、前髪が伸びて目に当たるのも煩いと思う。

 シダ植物は既に数種紹介しているが、ワラビは大きすぎて、ホシダは広がり過ぎて煩いと思う。ワラビを庭の景色として植えているのを見たことが無い。ホシダは庭でよく見るが、雑草扱いされている。煩いのは庭の景色に向かないのだと思う。

 タマシダやオオタニワタリ、オキナワウラボシなどは景色となる。オオタニワタリは大きいが、形が整っている。タマシダやオキナワウラボシはこじんまりとして、広がり方も遠慮勝ちである。控えめなので煩くない。なので庭の景色に向く。

 今回紹介するホウライシダは、小さいシダだが、壁の一面に広がったりしているのを見るので、私は初め雑草の部類に入れようと思った。文献に「庭の材」とあった。そう言えば、壁の一面に広がっていても煩さを感じない。丈が低いので遠目に見れば緑の壁掛けに見えないことは無い。大きめの苔と思えば、そう思えないこともない。

 ホウライシダ(蓬莱羊歯):石庭の装飾など

 イノモトソウ科の常緑シダ 関東南部~南西諸島、他に分布 方言名:カヌッワ

 名前の由来は資料が無く不明。蓬莱は「中国の伝説で、東海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされる霊山」(広辞苑)のこと。前にホウライチクを紹介しているが、その頁では「蓬莱は中国伝承の神仙境の意でこの竹を賞賛して名付けられた」と書いたが、本種は「賞賛する」ほどのシダとは思えない。おそらく、「霊山のような深い山の中に見られるから」ということではないかと思われる。

 石灰岩質で日陰の環境を好み、岩肌や井戸の周辺に生える。根茎は短く、それが岩などに吸着する。葉柄や葉軸は濃紫色で光沢があり、葉は密に出る。葉の小羽片の上部がいくつかに裂け、その部分が裏側に折れ曲がって、そこに胞子がある。

 初め、雑草扱いしようと思ったが、『沖縄園芸大百科』によると庭の装飾や鉢物などに使われるらしい。鉢物と言えば、観葉植物で有名なアジアンタムと同属とのこと。アジアンタムに比べると全体に小型で、高さは10~25センチ。

 日本の他、台湾、中国、その他熱帯地方に広く分布する。


蓬莱も、高天原も自分の心の中にあるとは考えられないのでしょうか???

一人一宇宙。 現象界は脳が生み出すマトリックス。


http://yaeyamaocean.com/camp/yaeyama-kamigami.htm 【八重山の神々と南夢楽園】 より

海の彼方

八重山には「ニライカナイ」という言葉があり、これは海の彼方、海の底または地の底にある、われわれ人間にとっての理想郷のことを指す。

理想郷、そこは八重山ではニライカナイであり、キリスト教圏ではエデンの園(エデンの園:「旧約聖書‐創世紀」の神話で、神が人類の始祖アダムとイブを住まわせた楽園)であったり、仏教圏では極楽(この世界の西方、十万億の仏土を経た彼方にあるという、一切の苦しみを離れた安楽の世界)であったり、中国では蓬莱山(中国の神仙思想で説かれる仙境の一つで、方丈、瀛州(えいしゅう)とともに三神山の一つ。渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海中にあり、そこには不老不死の仙薬があり、仙人たちが永遠の命を保っていると考えられていたところ)であったり、また、西洋では「パラダイス」や楽園(悩みや苦労のない、楽しい世界、苦しみのない安楽に暮らせる所)だったりもする。

かつての大航海時代、西洋の船乗りたちは「黄金の国ジパング」を目指し、ろくな航海機材のない時代、北極星だけを頼りに自分たちの位置と方角を知り、塩漬け肉と乾パンをかじり、水代わりのラム酒を飲み、当時は未知の病だった壊血病とも戦いながら、はるばる太洋を越えて、とうとう海の彼方にある東洋の端っこの島、日本までやってきたのだ。

この長い航海の間、彼らを支えたものは、唯一、純粋な理想郷への憧れだけだったに違いない。

坂本竜馬もクック船長もマゼランも、コロンブスも、かのナポレオンでさえも、道を拓く者はみな、海の彼方を目指したのだ。

いったい、この世界の外に理想郷や異境があるという発想はどこからくるのだろうか。なぜ、我々人間は、世界は一つにして全てであると考えないのだろうか。

心のなかの「ニライカナイ」

八重山のニライカナイは何処かについては、海の彼方、海の底、地の底と人によって議論は分かれるが、いずれにせよ、そこが人間にとっての理想郷であることには異論がない。浦島大郎が行った「竜宮城」もニライカナイのひとつの形と考えられる。しかし、人が行くのではなく異境であるニライカナイから神が来て現世の人々を救うという考えかたもあって八重山の神々は、どちらかというとこちらの方である。

この種の神々は来訪神と呼ばれ、年に一度そこからこの世界へやってきて、人々に福を授け、また帰ってゆく。これが南西諸島の宗教の基本型である。

八重山の来訪神は、島によってアカマター・クロマターと呼ばれたり、フサマラーであったり、またミルクやアンガマーであったり、マユンガナシとも呼ばれたりする土着の神々である。

人が住む島としては日本最南端にあたる波照間という地名は、ここが世界の「はて」であるという意味で「ハテルマ」と名づけられたという説があるほどの離島だが、この島には、「この島の南に実はもう一つ夢の島がある」という話がずいぶん昔から広く信じられてきた。

日本最南端の街に住む八重山人は何事においても「南」を中心に夢を語る、過去の歴史において「北」から来たものは薩摩(日本:ヤマト)からの収奪であったり琉球王府からの圧政だったりした。ともかくも北からは良いものが来たためしがないのだ。

日本最南端の波照間島の、さらに南の夢の島、そこは言うまでもなく八重山人の理想郷ニライカナイであり、飢えや貧困や差別のない夢の楽園であり「南夢楽園(みなみのゆめのらくえん)という名で語り伝えられた。

現実に、1648年には少なくとも40人以上の人間が、時の琉球政府の圧政から逃れ(波照間を脱走して)帰ってこなかったという、ずいぶん具体的な記述が『八重山島年来記』という八重山に伝わる歴史書に載っている。

波照間の民衆は琉球王朝の重税にあえいでおり、これを救ってくれるニライカナイからの神を待ち続けたが、神はそうそう易々とは現れてくれなかった。

待ちくたびれた彼らは、とうとう琉球政府の公用船を奪い、船に積んであった米などを持って、逆にこちらのほうからニライカナイを探しに海に出て行き、そのまま二度と波照間には帰ってこなかった。

波照間からまっすぐに南下しても島影ひとつないが、西に向かえば、すぐそこに台湾があるし、南西に進めば小さな島は数多い、もしかしたらルソン(現フィリピン)まで行ってしまったのかもしれない。

果たして、波照間を後にした彼らは、彼らの理想郷、海の彼方の南楽園(みなみのらくえん)ニライカナイを見つけることができたのだろうか。

現世に対し不満や不幸を感じる結果、それのない世界を夢想する。人の方がそこへ行くとなると異境はまさに理想の地となる。

ニライカナイ信仰がいまも素朴に息づくここ八重山こそ、(内地から見た)海の彼方の理想郷、すなわち南の夢の楽園なのだ。

でも、本当のニライカナイは海の彼方でもなければ海の底でもない、あなた自身の心の中に在るのです。

あなたは、あなたのニライカナイ、南の楽園に行けますか・・・・行きますか。