日本精神の考察
http://visnet.ne.jp/ep/chieikasu/column/column248.html 【■日本精神の考察⑤】より
前回には儒学と原始道教の時代に、丁度、三国時代の仏教伝来のところまでを記載したので、今回は、儒仏道が相互影響をしながらの展開していくところを述べていきたい。
○西晋・東晋・南北朝時代(265~589)
仏教・道教の受容が進み、鳩摩羅什が法典漢訳を多数行ったが、446年に道教信者である大武帝が仏教弾圧したり、471年頃には孝文帝が仏教保護をした時期もある。南朝・宋時代には朝鮮を経て日本に仏教や道教が伝来し始めた。インド人の仏僧・菩提達磨が禅修行を深めて禅宗を開祖した時期でもある。また「福禄寿(家庭の幸せ、金銭の豊かさ、不老不死)+老荘思想+仏教の慈悲と救済の思想」を融合して「道教」が本格的に成立し、446年には太武帝が道教を国教化したこともある。
○隋・唐時代(589~907)
隋の文帝は仏教を信じ保護し、学問としては儒学を基本にした科挙制度(官吏任用試験)を始め、清時代まで継続している。唐中期にはインドから密教も伝来し、天台宗・浄土宗・密教(真言?)・禅宗などが成立し興隆する中、仏教と道教との対立が激化していった。唐時代後半・武宗時代が道教を国教とし大規模な廃仏を行い、他の外来宗教(3夷教など)も衰退していった時期である。3夷教とは、一時唐王朝により保護された三大外来宗教のことで、景教(キリスト教ネトリウス派)、妖教(ゾロアスター教)、明教(摩尼教)をいう。
○五代・宋・元時代(907~1368)
新しい儒学ともいえる宋学(朱子学)が芽生えた。仏教・老荘思想をも取り入れ『大学』・『中庸』・『論語』・『孟子』の四書を学びの中心とした。儒学を朱子(性即理が基本)に歪められたとする陸象山(真即理が基本)がいた時代である。(真即理を説く流れが、明時代の王陽明の「陽明学」に繋がっていき、江戸時代に日本にも伝来することになる。)
仏教は宋代から禅宗が引き続き信仰されている。元時代(異民族支配)はチベット仏教(ラマ教)が国教化されたが、儒学も尊ばれ「科挙制度」も継続している。道教「全真教」も盛んで、キリスト教(景教)やイスラム教(回教)も伝来している。
宋代になると仏教が復興し、特に禅宗が急発展。
禅宗は宋学(朱子学)の形成にも強い影響を及ぼし、いずれも同時代に朝鮮を通して日本に伝来した。
道教の教えは次第に体制化(腐敗)して民衆から離反していき、道教は衰退に向かう。そのため道教は体制施策から外されていき、その反動で民衆道教として生き残ることになり、今でも台湾などでは盛んである。
○明・清時代(1368~1912)
元代から継続して朱子学を国学の要にしている。仏教と道教などの民間信仰が混合した白蓮教が邪教とされながら勢力拡大(白蓮教徒の乱)
中国は19世紀アヘン戦争や南京条約など、米英仏露からの侵略を受け植民地化され、その事実は江戸幕府にも伝わり大きな危機感を与えている。
○王朝終焉以降の時代(1912:辛亥革命~)
現在の中国につなげるように、天安門事件までの中国の変遷を記載しておく。
1911年の辛亥革命で二千年来の専制王朝が打倒、孫文政権で共和国形成
1921年に孫文が南京政府樹立、毛沢東などが上海で中国共産党創立。
1925年孫文死去、内紛後に蒋介石政権へ
1949年に中国共産党が大陸を制圧し蒋介石の国民党は台湾へ
1966年から10年間の文化大革命で実権派を一掃(紅衛兵、毛沢東語録、殺戮と弾圧、非林非孔などなど)で、過去の文化否定により中国精神の荒廃)
1989年に民主化運動の天安門事件勃発
儒教も原始儒教(孔子以前)から儒教(孔孟思想)、そして朱子学(朱熹)、陽明学(王陽明)へと。
仏教も大乗仏教から宗派仏教、密教、チベット仏教(ラマ教)へと。
道教も原始道教(老子以前)から道教(老荘思想)、確立道教(福禄寿)へと、相互影響を与えながら展開していったようである。
中国歴史の中で儒仏道の変遷が、日本には卑弥呼時代以前から非公式に伝来しており、日本の歴史や日本精神にも多大な影響を与えていることを改めて実感している。
その後、中国では文化大革命や天安門事件により、道徳観念が削がれることになり、昔からの中国精神が荒廃してしまい現在に至っている。ここ最近では、政府容認の中で、儒仏道に対する反省・見直し機運が高まっているようである。