恐怖の新年会
職場の来年の新年会が例年通りに1月4日月曜日に行われます。
コロナウイルスの拡大がまた大きくなってきているから来年は中止になるんじゃないかとほのかに期待していたのですが、ダメでした・・・・。それを知って泣いてしまいました。嫌過ぎて。
新年最初の仕事の日なんて年間で1,2位を争う位憂鬱な日なのに業務が終わってから数時間も宴会とか想像するだけで自殺したくなります。
余計な事で拘束されるのがまずは嫌なんです。年老いた今だからこそ余計に時は金なりを心底実感しています。
底辺職の新年会だなんてそんな無意味な事に貴重な時間を奪われたくない。そんな暇があるならVBとかHTMLのコードでも書いて勉強したい。
コロナウイルスの件ももちろんそうなんだけど、それよりも私はあの人たちの中に存在したくないというのが本当に大きいんだと思います。
お店の人から「〇〇業者www」って思われるのが本当に屈辱的だし嫌なんですよね・・・
お店の人はそんな事思わないかもしれないけど、でも私の中ではそのひとくくりの中に自分が存在しているのが本当に悲しくて悔しいのです。
それでも仕方が無い。生きていくためには、お金を得るためにはウンコやら下水やらを喰らうしかないのだから。
同じ職場の人を見下しているつもりはないのだけど、だけど恐らく見下してバカにしているのかもしれない。
だって、あの人たちと同じレベルの同じカテゴリーの人種っていうその事実がたまらなく嫌なんだもの。それが一番つらいんですよね。一緒に働いている人を尊敬できない、見下すなんて本来はその職場に居てはいけないと思うから。
誰よりも本来は私が一番辞めるべきなんだと思う、職場と従業員に対して失礼過ぎるもの。
どんなに見下そうがなんだろうがそのカテゴリーでしか働けない、働き口が無いという事実が何よりも私はそのレベルなのだという証拠だし、それはもう受け入れるしかない。今まではその事実から目を逸らしてきたのだけど、ちゃんとそれは正面から認めて受け入れたい。
で、あまり今の仕事を卑下しないようにしたい。実際に社会貢献度は最高レベルであるのは間違い無いのだし、そういう人たちのお陰で助けられている人は多い、大企業のお偉いさんだって、国家元首だってGAFAで働く正社員だってみ~~~~~~~~んな私の働く業種の作業員の人たちに助けられているのだ。
正直この仕事に全く自信は持てないし誇りも持てないし他人に対して胸を張ってどんな仕事をしているのか言えないけれど、とにかく「なければ世の中の全ての人が生命維持が難しくなるレベルで困る」仕事であるのは間違いないのだから。
インターネットが無くなったら不便にはなるしそれを生業としたりそれに頼る業者は困るだろうけれどそれを直接の原因として死ぬわけではない。けれど私の仕事は水や空気と同等なのだ。
とにかく自分の思う「成長」を目指して行動するのみ。
本当に自分が変化して今の環境とは異なる人間になったなら自然とここにはいられなくなるはずだから。つまりは今はまだ今の職場レベルだし自分に似合っているという事なわけだ。
その事実は本当に自分にとっては直視出来ない程辛いのだけど、だけど「ここからどうにかして抜け出すんだ、逃げ出すんだ」をモチベーションに変えるしかない。
どこまで変われるのか、環境が変わる程までに至るのか、分からない。それは誰にも分からない事だから考えても仕方ない、そんな考えても仕方ない事を考える時間があるなら動くのみ、進むのみ。
だって何もしなかったら間違いなく今のままだしもっと落ちていくかもしれないのだから。現状維持を目指す意味でもやはり動かなければならないのだ。
本日もご訪問いただきまして有難う御座いました!
ブログランキングに参加中です。応援クリック頂けると嬉しいです♪