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11月15日礼拝

2020.12.12 08:42
創世記12章1−3節

創世記の物語をユダヤ・キリスト教は数千年、語り伝えてきた。

ここにリアルがあるから。

ここに私の物語があるから。

創造物語。

天地創造。

神が言葉で世界を造る。

そこは寸分違わず、神の思いが実現している。

神と世界が一致している。

ところがこの一致にヒビが入る。

人が動き出し一致が崩れる。

エデンの園で何不自由なく暮らしているアダムとエバ。

神が「食べるな」と言った善悪の知識の木の実。

彼らはこれを食べてしまう。

一致が崩れる。

そしてエデンの園を追放される。

アダムとエバのこどもたちカインとアベル。

それぞれの捧げ物に対しての神の対応をめぐって諍いになる。

カインは弟アベルを殺してまう。

そして「さすらう者」にされてしまう。

洪水物語。

ノアの家族を残し全てがこの地から消されてしまう。

ノアの子孫たちが起こしたのがバベルの塔。

天に届く塔を作ろうと建築をする。

だが、神に言葉を乱され、実行できない。

混乱し、散り散りになる。

ここにリアルがある。

私の物語がある。

この創造物語に共通しているものは何か。

どの物語も神のよって散らされている。

自分の場所を奪われている。

私たちにも経験がある。

自分の場所だと思っていたところから追い出される。

愛するものと別れざるをえなくなる。

予定、計画、夢、希望、それらが現実と離れていってしまう。

乖離、分離

私たちはそれを知っている。

暗い道に、寂しい道に放り出される。

その道でうずくまるのも私たちの選択。

だが聖書はその先を語る。

バベルの塔から散らされ、地の果てにいる家族。

その家族にアブラハムというものがいた。

このアブラハムに神は語りかける。

「私が示す地に行け。

そこであなたを祝福する」

神によって散らされたもの。

そのものに神は「行け」と言う。

示しているから「行け」と言う。

暗く寂しい道に私たちは入り込む。

それが私たちのリアル。

だが、その道で行くべきところが示される。

暗い道は私が行くべき所につながっている。

ユダヤ・キリスト教はこの物語を大切に守ってきた。

ここにリアルがあるから。

私の歩んでいるこの道は行くべき所につながっている。

信じる。

祝福。

永遠の喜び。

すでに備えられているところへ私は行ける。

聖書は数千年、語り伝えられてきた。

これがリアルだから。