Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

塩田バレエスタジオ Shiota Ballet Studio

2003年

2020.12.12 08:35

来年、改編するiタウンページ用の写真を探していました。現在は、母(知子先生)が振付指導していた時の舞台写真が掲載されていますが、親子でも、作風が全然違うので、私自身が振付だ舞台写真に変える事としましたが、2003年の舞台しかありません。

時のすぎるのは早過ぎます。もう、そんなにたっていたの?って感じです。


この頃は、幼児科と大人は知子先生担当。

初等科、中等科は私が担当していましたが、振付となると、古典(プティパさん等の振付だからね。)と、母の時代から引き継いだ数点の小品(指導は私)以外は、プログラムの表紙にしていただいた物語の作品の構成・振付も大人の作品も私が担当していました。


その分、母は作品の衣装制作を引き受けてくれていました。


私は先にある程度の構成や衣装を考えてから振付を始めるので、振付を始めるのが遅くなるのですが、母が振付を始めた頃、母が脳溢血で入院してしまいました。


当時はまだ、付き添いが病院に泊まり込まなければならず、私は3日間、1時間毎に腰を撫でてくれとか、寝返りを手伝ってくれと私を起こす母の隣の簡易ベッドで夜を過ごし、退院する迄の3ヶ月毎日母に洗濯物を届け、全てのレッスンと振付。公演(発表会)準備をしなくてはいけなくなりました。


覚えているのは、左の真ん中のピンクの衣装の踊りを母が16小節程振付ていたので、


「知子先生病気になっちゃったから、私が見るね」


って言って、出来ているところまで見せてもらったら、最後のポーズがバラバラ。

 

「誰があってるの?」


って聞いたら、3人が3人とも


「私!」「私!」「私!」


って言う。

そりゃそうだ!

可愛いかったなあ。


母のノートには、ポーズとしか書いてない。

だから、母の病床にノート持ち込んで、


軽く踊ってみせて、

「これ、どれが正しいの?」


って聞いても、覚えてない。

その後の振付は、私がすることにして、


「知子先生も忘れたみたいだから、3人のどのポーズでもない、このポーズにします!」


本当にどたばた。


モモはこの頃には、音作りも脚本もある程度終わっていたけど、例年の大人のクラスは、振付したら、指導は母も手伝ってくれていたので、全クラスやらなきゃならなくて、ぼーっと考えごとする時間もない。


それでも、時間泥棒たちに簡単なマジックをしてもらったり。

タンゴに振り付けたコンテンポラリーが映画のようだったとほめていただいたり。


何よりも、スタッフの皆さんも、応援してくださって、本当に思い出深い年の舞台です。


私自身が、この後、スタジオに行けなくなるとは思っていなかったし、将来を夢見ていた頃。


改めて見直すと、皆んなこんなに頑張ってくれていたんだと、感慨ひとしお。

ごめんねー。この後できなくてごめんねー。


って悲しくなってしまう。


スタッフさんにも、お見舞いしていただいたのに、この年以降、知子先生がスタッフ方を入れ替えたので、お世話になったスタッフさんに、不義理をする事になってしまって本当に申し訳ない思いでいっぱいです。


で、逆に。

振り返るのではなく、新たな形でここに戻そう!って心に決めました。


ずっと、みんな上手にして発表会しようだったんだけどね。先見過ぎ!まずは小さくても、発表会!

わかってるけど。


私が動けなくなってしまってるけど、なんとかなるでしょ。時間かかるけど、なんとかなるでしょ!

寿命も延びてるからなんとかなるでしょ!

喘息持ちだけど、肺年齢若いから大丈夫!


いつか、大きな舞台で、塩田バレエの公演ができるように生徒さんを育てましょう。


舞台は楽しい。

ここには、ありませんが、生徒たちのオフショットの弾ける笑顔が、力をくれます。


生徒さんが増えます様に。

みんなが上手になりますように。