第1章 その9:「後悔」
前述(※第1章その2)のとおり、5か月前、私は子宮頚部高度異形性(CIN3)(しきゅうけいぶこうどいけいせい)と診断され、手術をした。いわゆる「子宮頸がん」の一歩手前というところだった。生まれて初めての手術に、とまどいや不安を抱きながら、仕事を慌ただしく片付け、入院の準備をしているときのことだった。
もともと定期検診で見つかった子宮頚部高度異形性。その子宮の手術をしている頃、クリニックから、「検診の結果、乳腺症の疑いがありますので、早めに受診にお越しください」と書かれた葉書が送られてきていたのだった。つまり、その時から乳がんの芽はあったことになる。
一応、夫にその葉書を見せながら、「乳腺症ってなんだろうね」といったような軽い会話を交わしたことは覚えている。だけど、「乳腺症」という文字は、先に発見された「子宮頸がんの可能性がある」という事実には取るも足らないほど印象の薄いものだったので、二人とも送られてきた葉書のことは、すぐに忘れてしまった。
(どうしてすぐに再検査しなかったのだろう…。)
後悔してもしきれなかった。
うじうじとこのことを思い出しては、忘れようとし、また思い出す…その繰り返しだった。
私は、「再検査の結果、早期発見で、大事には至らずにすんだ」という、起こりもしなかったその仮想と現実を重ねて、家で仕事をしながら何度も何度も涙をぬぐった。
世の中には「がんを宣告されても、涙を流さなかった」という強い人もいるらしい。どうやったらそんなに強くいられるのだろう。
母親にも電話をしたりして、話を聞いてもらったりもした。母親はもともとメンタルが繊細な人だから、このことでひどく気落ちしていたはずなのだけれども、私の前では気丈にふるまっているように見えた。だから、余計に申し訳なかった。
「後悔してもしかたがないよ。もう、受け入れるしかないんだし。」
私の心情を察して、ある日、夫は言った。
夫は、私がこんな困難を乗り越えたことがないのを、よくわかっていた。そして、変に励ましたり勇気づけたりすることが、今の私に効果的でないことも、よくわかっていた。夫は私の一番の理解者だった。
後悔してもしかたがないけど…。でも、この病気さえなければ、幸せなのに。
木曜の夜。明日はクリニックで結果が出る。私と夫は自宅で夕食をとり、思い思いに、寝るまでの時間をゆっくり過ごしていた。それはまさにふだん通りの光景だった。
「もし、結果が良くなかったら、たぶん手術したりしないといけなくなるよね…?」
と私は夫に言った。ここのところ、左胸には、少ししびれているようなジンジンする感じと、力を入れたときにつっぱるような違和感があり、不安なのか痛みなのか、よくわからなかった。
「今の姿じゃなくなるかもしれないよね…。」と私は続けた。
「いいんじゃない?」と、案外あっさり夫は言った。「かわいい帽子を買いにいこうよ。今の姿じゃなくなったって、杏莉は杏莉だよ。」
夫は静かにテレビのモニターを見つめていた。
明日はXデー。
明日の私、何を思ってる?