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本当の自分を知らないから、他人を使う。

2016.09.05 04:05

前回のブログ。

主語はいつも『 I 』でいい。

からの引用。


私ね、気付いたのだけれど、
他人を会話に登場させる時の真意は、
それは自分と他人を
「比べる対象」
にしているということ。
比べる必要がどこにある?
私はそれは全く無意味だと思っている
そして、
誰一人、同じ顔の人なんていないのに
「みんなと同じ」=安心
これっていい事なのかな?
と疑問に思っている。




って、前のブログに書いたけれど、、、



何を隠そう、この私が

他人とめっちゃ比較していたんだよ。




周りがこーだから

とか

常識では〜

とか、

世間的には〜

といつも言っていた。


なんの為にって??



周りがこーだから、いいのよ、これで。


そうでしょう!?って。(同意を求めている)


ねぇ、私合ってるよね?

私、正しいよね?


って、

なんなら、エライよね?


ってな具合に

自分のしてることを肯定するために。



そうね、でもね、本当はね、

本当は違うかな?とかちょっとモヤモヤ、ザワザワ〜と思ってたとしても

みんなが、周りが、って事を理由に自分の気持ちを見て見ぬ振りをしていたんだ。

そして、世間やら周りと同じ事をしている方が エライ・徳・常識的 と思っていたし

違う意見を発言する事が、なんだか ダメだ・損・非常識

と思い込んでいたから

自分の気持ちを抑えていた。


と思っていた。




だけど、




FBのコメントで、

「世間がとか他の人はとかいう人は自分の意見をハッキリ言っていない。」

って言われて、ドキッとした。

その通りだし、虎の威を借る狸 だったのよね。

私、正しいでしょう?って強くなった気がしたし、

そもそも自分の意見なんて見て見ぬ振りをしていたから

「他人」を使って、それを自分の意見にしていた。

「他人」を使っても本当はザワザワ、モヤモヤしてたけれど、

それを言葉にする所まで出来なかった。

そう、つまりそもそも自分の意見なんてなかったのかも。

って。

衝撃を受けた。


これって、

あまりにも自分を知らなすぎた。

と言う事よね。



そして、他人と勝手に比べて落ち込んで、、、

ムダに焦って、、、、


あとたちが悪かったのは、

私の方が幸せだって♪

とか幸せを勝ち負けのように測っていたってこと。


楽しんだもの勝ち


とか言葉があるけれど、

本当は勝ち負けなんてなくて


ただただ、自分が楽しいと思うことをやれてればそれでいいんだよね。


誰が悪いとか、誰が正しいとか、誰が勝っているとか劣っているとか

本当はない。

と思う。


あるのは、勝敗がつくゲームだけね。スポーツとかカードとか。

だから、smap も色々言われているけれど、

誰が悪いとかじゃなくて

ただ、5人が揃って見れなくなるのは悲しいな。

と言う事。 




これも、


あまりにも自分を知らなすぎた。


だから、人と比べたり、勝ち負けを意識するようになった。


私は◎◎だ。

私の意見は◎◎だな。

と分かっていれば、

他人がどうであれ、

へ〜そうなんだ〜🍃(ローラ風)で終わるのに。







もしかして、自分の意見を言う事は、

日本人らしからぬ事をしているのかもしれない。

とも思う。

空気を察するとか

間合いを読む

とか出来るのが日本人の気遣い、おもてなしの心だったりもするから。。。。



でも、私は思うの。

もう、新しい時代に入っているんだよね。

気付かないうちに。

人に合わせる時代は終わったの。

人と同じがいい。と言う時代も終りを告げているの



で、あなたはどう思う?

という問いに答えられないといけないんだと思う。

というか、私は、答えたい。



つまり

自分をもっと知りたい。



そうこれは、自分に言い聞かせているわけよ。

はい。

もっと素直に自分に向き合おうと思う。