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齟齬の落とし所〜明日は企画〜

2020.12.13 10:34

※画像は下記。

そご

【齟齬】

《名・ス自》意見や事柄が、くいちがって、合わないこと。くいちがい。

 「―をきたす」



人が2人以上いれば、否応無く生まれるもの。

否、思考の備わった脳味噌ひとつあれば、生まれるものである。

人はいろんなやり方で、その不和に折り合いを付ける。

定型文や雛形のような、判で押した思考処理から、力で捩じ伏せて自らの思想を押し通す、などなど。

私は、自分の中に感じた違和感は、きちんと理に適った形で消化しないと気が済まない質。

一度腑に落ちたと思っても後から、いや待てよ、と掘り起こす事も勿論ある。

先月名取芳彦氏の法話を聞きに行った際に戴いた布施についての本を読んでいたら、今まで考え倦ねいていた事象の糸口が、ほんの少し見えた気がした。

仏教って、すごい。

私は、死ぬまで心のいろんな不和を自由研究している心持ちなのだけれど、仏教の説いている要にとても近いものを感じる。

信仰とまではいかないかもしれないけれど、多くの人の心を解く、とても良く出来た発明だと思う。

まだちょっとかじっただけだけれど。



明日は、無善寺で共同企画。

長倉くんにお声掛け戴いて開催の運びとなった。

企画ライブは、大学時代にサークルのバンドに声掛けしてやったのが最初だった。

大学の休憩スペースに角材とインパクトドライバーでステージを作り、機材を運び込んで、七夕だとかなんだとか託けてライブを演った。

卒業前に初めて、八王子のクラブハバナを借りて学外でじゅんじゅん名義のイベントを打った。

松田性子、the tolchock、超人バンド、SABOTAGE、電氣ブランの5組。

だったはず。

各バンドに一曲ずつもらって、来場特典オムニバスCDも作った。

初めての箱借りでお金の事もあるし大学生価格でチケットめちゃ安くしてて、お客さんいなかったらどうしようとヒヤヒヤしていたけど、おかげさまで大盛況。

かなりバックが出たので、演者も客も引き連れ八王子の居酒屋でパーッと呑む。

一夜のギャラが、一晩で消えた。

今思い返しても、最高の使い方したと思う。

ライブハウスに出るようになって、2015年1月23日に新宿JAMで企画をやった。

スランキーサイドをはじめ、私の大好きなバンドだけ呼んだ。

この日は、本当に胃が千切れそうだった。

気を抜くと、眼球が後ろっ側にひっくり返りそうな塩梅だった。

普段JAMのフロアで泥酔してぶっ倒れたり、トイレで爆睡して立て篭もったりしているのに、変な所で小心者である。

"大胆なのか臆病者なのかわからない"と、ずっと言われている。

それからぽつぽつ企画をやらせて戴く機会があり、気付けば、お正月企画や生誕祭を毎年やらせて戴いたり。

…あ、来年のお正月企画どないしょ。

忘れてた。

それはさておき。

主催をやるのもすこし慣れてきて、私のスタンスもだいたい固まってきた。

そのせいか、最近、当初抱えていた不和に対しての折り合いがつけられてきた。


結論から言うと、

"どんな結果であれ、人のせいにしない"

ということ。


「あの人は予約したのに来なかった」

「今日来ないやつは損してる」

「他の演者が客を呼ばないから」

「雨なんて降らなければ」

などなど、挙げればキリがない。

でも、や、のに、の言い訳の羅列。

自分のせいではない。

それぞれの言葉の源にあるのは、

「こんなはずではない」

の一点張り。

そういう人は大抵、イベントの最中、気持ちのよい顔をしていない。

時折、陰りを見せたり、あわよくば、前述の様な悪態や皮肉を言って退けたりする。

自らの体裁を保つ為の行為なのだろうけれど、私には、今この瞬間を否定しているように見えてしまう。

「その人が来れば、大成功だったのですか?」

「今日"やつ"が来てくれなくて後悔しているのは、あなたの方ではないでしょうか?」

「あなたの企画ではないのですか?」

「晴れていれば、大成功ですか?」

その言葉を聞いて、その場に来てくれた人たちは、どうなりますか。

一緒になって、

「来ない奴が悪い!」

と、その一夜を蔑ろにしますか。

せっかく顔を合わせているのに、あると思っていたのに無かった現実を、嫉みますか。

その時に呑むお酒って、美味しいですかね。

私は、SNSで拡散されたいわけでも、100万人の署名が欲しいわけでもない。

ただ、心穏やかに、私の目が届き得る人たちと、なるべく楽しく、大切な時間を過ごしていきたい。

だから、心穏やかに生きるための思考や術を提示して生きていきたい。

生き方は完全に好みで、あやや派かRIP SLYME派かくらい違うものだから(古い)、別に洗脳したいとも先導したいとも思っていない。

だけど、日常に感じる齟齬に心を駆り立てられて、怒りや悲しみに振り回されて、どうしようもない、どうにかしたい、と思う人のヒントになれば幸いと思う。



私なりの主催のスタンスは、

"私が一番この瞬間を楽しんでやる"

である。

これは主催でなくても、ライブ全般において、そう。

だって、私が一番楽しかったら、来ない人も天気も、どうだってよくないですか?

全ては、心穏やかに。

その時その日、目に触れる人たちと笑い合うために。



ダムダム団の新曲「真実」の2番の歌詞に、


"期待と裏切りを他人の所業であると糾弾する以前の問題が

己の体内に存在するという耐え難い事実から目を背け声高に

自らの権利のみを主張し棚に上げるその技術たるや驚嘆に等しく

煩悩を人型にした肉塊と云うに相応しいであろう"


と書いた。

裏切りとは期待値の超過である。

自らが思い描いた対価が無い事に、人は怒り、悲しむ。

私の尊敬する名取芳彦氏は、

「でも〜、だって〜、ではなく、おかげさまで、と言いなさい」

と仰っている。

おかげさまで、という言葉を使っていると、思考もそれに準じて感謝する癖が付くという。

でも、や、だって、と言っている人は、幸せになれないと。

お坊さんに言われると、ちょっと浮世離れして聞こえてしまうが、幸せが心の平穏だとするならば、強ち空の上の話でも無いと思う。

人の所為にしている限り、問題は解決しない。

でも以前、奥さんから言われる小言を全て改めた旦那さんが、

「文句言うところ無くなっちゃったじゃない!」

と悪態を吐かれたという話を聞いた。

世の中には、文句を言う事を生き甲斐にしている方々もいるらしい。

だから一概には言えない。

けれど、自分の心の渦に疲れ果てた人がいるなら、

「それは思考ひとつでどうにかなるかもしれないよ」

と伝えたいと思う。

そんなわけで。

明日は無善寺で共同企画。

おつまみ差し入れ大歓迎です。

私も何かふるまい持って行く予定。

仲の良い人集めました。

もうそれだけで幸せですね。

久々に1人せんべろしちゃった。

高円寺の鎌倉酒店にて、肉味噌詰めピーマンと焼酎お湯割り

なにこれ、すごい美味しい。

カウンター席を詰めてくれた隣のおじさまが、

「俺の地元は土地があるからよぉ!呑み屋の2階はだいたいちょんの間でよお!!ちょんの間って分かるか兄ちゃん!!」

と威勢良く店員さんに突っ掛かっていて、本当に高円寺ドープだなァと思った。

明日は無善寺でドープネス。