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シンガポール歴史散歩@Tanjong Pagar Road

2021.02.11 02:30

マレー語で”杭の岬”を意味するタンジョンパガー。これはかつて半島にあった漁村に由来するそう。

この名前は、海岸沿いに設置されていたケロン(木製の杭を使った沖合の柵式の釣り罠)からきているらしく、海岸のこの部分の名前はマレーの年代記にも出ていて、チョットした伝説なんかも残っている。

昔々シンガポールの海岸沿いの村々は、メカジキの群れからの悪質な攻撃に苦しんでいた。

そこへ賢い少年のアドバイスを受けて、スリ マハラジャは海岸沿いに硬いバナナの茎でバリケードを作った。

攻撃してくるメカジキが水から飛び出すと魚の長く鋭利な先がバナナの茎刺さる、そのタイミングでそれを捉えて捕まえることに成功したと言うはなし。

1840年代初頭に蒸気船が出現し、1869年にスエズ運河が開通したことで、シンガポールの貿易活動は盛んになった。

19世紀後半、最終的にケッペル港となったものの、開発はタンジョンパガーの経済成長の主要な推進力となり、 一部の港湾労働者はタンジョンパガーのショップハウスの都市部に住んでいたのだそう。

ニールロードとタンジョンパガーの角にある大きなレンガ造りの建物がジンリキシャ駅。1903年に建てられ、翌年には人力車のメインデポとしてオープン。1947年にシンガポールで人力車が禁止されて以来、建物は商業目的で再利用され、1987年にタンジョンパガー保護区となった。

※只今この周りがMRT駅の工事中なので、キレイになったら又人力車駅の写真を撮りにいきたいなぁ~

1980年代にこのエリアは最初のショップハウス修復プロジェクトのいくつかに選ばれたそうで、同じスタイルの3階建てのショップハウスがずらりと並ぶ。

今はリトルコリアと呼ばれるほど、コリアンBBQの店があるのも特徴的。

タンジョンパガーの近辺の開発は現代でも続いていて、シンガポールで最も高いビルがあるのもこのエリアだし、目立つHDBピナックルなどもある。