おくのほそ道のもっとおくにある沢内村から届いたまめでらが
1702年刊の松尾芭蕉による紀行文「おくのほそ道」の序文です。
月日は百代の過客にして、
行かふ年も又旅人也。
(訳)月日は百代という長い時間を旅していく旅人のようなものであり、
その過ぎ去って行く一年一年もまた旅人なのだ。
道祖神のまねきにあったわけではないのですが、
芭蕉が「おくのほそ道」の紀行で通った平泉のさらに北へ、
学生時代の「文章表現法自主ゼミ」の先輩方と共に、
旅をしてまいりました。
向かった先は岩手県は西和賀町。
「沢内村」のあった場所です。
広がった自然に圧倒され、
いつか見た風景に懐かしさを感じ、
川、湖、星空、道、田園、そのすべてに目を奪われ、
そして、そこに居る人たちの温かさに触れてきました。
※以下、写真のほとんどは先輩の「ジャイアン・トランプ・カメラマン師匠さん」撮影
新幹線から。
山々の向こうに光。
橋の上から、川。 ※熊注意
新しい朝がくる。
どこまでも続く道。
銀河高原ビール最高!
美味しい料理と温泉最高!
大人の本気のババ抜き(ジャイアントランプ使用)最高!
優しい人にしか出会わなかった!
嘘みたいな星空。
幻想的な銀河高原ホテル。
嘘じゃないからもう一回。
そして、たまたま立ち寄った道の駅で、
こんなフリーペーパーに出会いました。
「元気な西和賀どっとこむ」
なんと残念ながら今号(vol29)で廃刊だそうなのですが、
とっても心に残る素敵な文章が載っていたので、
ノーカットで転載致します。
まめでらが(英語でHow are you?のような意味)、が文章のタイトルかな。
この辺り(西和賀)は特別豪雪地帯にもなってる雪の多い地域。
そこでの季節の移り変わりと、そこに住む人の想い、メッセージ、
色んなものが詰まっている宝箱のような文章です。
西和賀の春を貴方に伝えたい、と思ったとき、
どうしても「雪」を説明しないといけない。
勿論、吹雪の時は、ゴーゴーと音を立てるけど、
そうでないときは、それは、本当に「しんしん」と積もる。
音として認識するための振動を、
雪の結晶が吸収してしまうんだって。
とても美しい光景だった。
ここから来ている気がする。
その雪がだんだん減って、
だんだんまた遠くが見えるようになってきて、
あんなに冬が大変だったことを少しずつ忘れていく。
そしてね、少しずつ動き出していく。
空気も光も、音も。
目に見えるものも。私たちの生活も。
玄関の雪かきをしなくても外に出れる日、家の雪囲いを外す作業、
時期が遅いタイヤ交換、洗濯物が外でなびく様子、
モノクロの世界から少しずつ色づいていく風景、
雪の間から見えてくる土の色、その土から顔を出す緑の芽吹き、
連休になってようやく咲き出す桜、その桜の下で行われている運動会…
みんな其々に、
寒い時期から動く準備をじわじわ始めていて、
うずうずしていて、そして、見計らったように顔を出し合う。自然も物も人も、息を合わせたように、次々と動き出す。
でも、それを合図にみんな動き出し、
久しぶりの再会を楽しんでるようにも見える。
私もここで、春を楽しんでるよ。まめでらよ。
貴方はどう?まめでらが?
どうでしたか?
なんだかいい気分になりませんでした?
大自然の中で生きる人の、希望や元気が溢れてくるようです。
さ、興奮冷めやらぬで書き連ねてしまって、
ちょっと長くなってしまいましたね。
芭蕉は、「おくのほそ道」の中で、こう詠っています。
夏草や 兵どもが 夢のあと
諸行無常を詠った有名な句ですね。
そう。
人も、村も、町も、
確かに変わっていく。
だけど、例えば広がる大自然の素晴らしさや、
駅や町や場を包む人のやさしさや、
10年以上の時を経て、今もなおあの頃のように笑い合える仲間とのつながりは、
変わらないもの、って言える気がするなぁ。
楽しかったなー。
本日もHOMEにお越し頂き誠にありがとうございます。
「おくのほそ道」はちょうど中学生たちのテスト範囲。リズムに乗せて何回も読もうね。