蓮咲いて科戸の風をもらひけり
http://kinoshita.adam.ne.jp/log/log4/eid1595.html 【科戸(しなど)の風】より
ちょっと気温が低くなるだけで、寒い感じがします。この時期に風邪をひくと長引くので気を付けたいと思います。今日は役所の方との打ち合わせ。いつも思いますが3年経つと皆顔が代わり、また最初から同じ説明を繰り返す。新しく赴任する方も大変だと思いますが、この「蓄積のされないシステム」を何とか変えることはできないものでしょうか。さて、話はかわりますが、昨日博物館に行く途中でちょっと道を間違え、そこで出会ったのが草津市内にある惣社神社です。近くに三大神社というそこそこ有名な神社がありますが、ここはとても小さいところ。由緒をよく見ると志那津彦命・志那津姫命、意布岐神とありますから、完全に「風の神」です。志那(しな)とは中国のことではなく、「風(かぜ)」や「息吹(いぶき)=意布岐=伊吹」のことで、「科」とも書きます。風の神を「科戸辺・級長戸辺(ともに「しなとべ」)」と呼ばれ、戸辺ですから女性の神であるようです。短く科戸(しなど)と言うことがあり、「科戸の風」という言葉は、「いっさいの罪や汚れを吹き払う風」という意味があります。つまり風による「祓い」です。この地に風神が祀られているということは、昔から「風」や「台風」にまつわる何かがあるか、関係していると思われます。ここにも藤棚があり、藤原氏との関係が色濃いですが、なぜか紋は笹紋と橘紋でした。なぜだろう?滋賀県にはとても古く面白い痕跡が至る所にありますが、ほとんど整備されていません。とにかく、風の神に風邪にならないようにお祈りしました。また、皆さんの厄も吹き飛ばされますように。今日のスイーツは舶来もの。同僚の先生がウィーンに行かれたとのことで、そちらのチョコレートでした☆なんかゴージャス。ありがとうございました。
http://www.okunijinja.or.jp/ooharae/ 【「大祓おおはらえ」その歴史と伝統】より
~古代から続く祓い・清めの伝統~
大祓は、古代から毎年6月の晦日と12月の大晦日に、半年の罪や穢けがれを祓い除く儀式として行われてきたもので、現在も宮中を始め全国の神社などでおこなわれています。
小國神社「大祓」その歴史と伝統
古代においては、都の朱雀門という大内裏正門の前に、親王・諸王以下百官の男女、またその周辺の里人などが集まり、中臣氏によって「大祓詞おおはらえのことば」が読まれ、卜部氏によって罪・穢れが祓われました。この時に読まれた「大祓詞」は平安時代に編纂された「延喜式えんぎしき」巻第八に記載されていて、現在も見ることができます。
今日神社で用いられている「大祓詞」は、その「延喜式」祝詞の一部省略し、読み方も少し改めているものが奏上されています。
「祓はらい」
~罪つみや穢けがれを取り去り清浄へと導く~
漠然と「お祓い」という言葉を聞くと、厄祓いなど、多くの皆さんは「何かわるいものを取り除く」ようなイメージをもたれる方が多いと思います。
本来、「祓」とは罪や穢れを取り去って清浄になることです。
その究極は生まれ出たときの様な清らかな本性が現れること、つまり、神さまから授けられた本来の自己に帰ることを指します。そのため、清浄を尊ぶ神道では、様々な祭りや神事あるいはご祈祷などの前には必ず「修祓しゅばつ」と言われるお祓いをおこないます。
これは神職や神具そして参列者などを清浄に導くために必要不可欠な神事です。もちろん、大祓式の前にもおこない、清浄に清浄を重ねて儀式に臨みます。
「罪」とはなんでしょうか
罪の観念は時代とともに変遷しますが、恐怖を抱かせる反社会的行為・疾病・災禍などのことを指します。
「穢れ」とはなんでようか
「穢れ」の解釈は時代と共にその捉え方が拡大したり細分化されますが、自然発生的な現象により、物事の清浄、心の静謐を乱すものを指します。
「祝詞のりと」
~お祭りの中で神職が神前(神さまの前)で唱となえる言葉~
日本人は古くから、言葉には魂があると信じてきました。
これを「言霊ことだま」と言います。
古来より、言葉には神秘的・霊的な力が宿っていてその言葉を口に出す事で言葉に宿っている霊力が発動される、という「言霊」に対する信仰があります。万葉集では日本のことを「言霊の幸はふ国」や「言霊の佑くる国」などと表現していることからも「言霊」の重要性が伺えます。
神さまに感謝の気持ちを表わす時や、お願いごとをするときに「言霊」を込めて読み上げる文章が、「祝詞」の意味です。「言霊」は言葉に出すことが大切とされています。
「祝詞」を声に出して読むことを「奏上そうじょう」といいます。奏上することで、一層のご加護があるとされています。祝詞の代表的なものに、大祓詞おおはらえのことば、神棚拝詞かみだなはいし、神社拝詞じんじゃはいし、略拝詞りゃくはいしなどがあります。
「大祓詞」は仏教の「般若心経」にあたるものです。
祝詞の中の祝詞
古くは「中臣祓詞(なかとみのはらえことば)」ともいわれ、奈良時代以前から存在したともいわれ、1200年以上の歴史をもつとても古い祝詞です。
平安時代に編纂された延喜式の中にも、長文の祝詞は沢山ありますが、大祓詞が一番長く、現在奏上されている大祓詞も最も長い祝詞の一つです。
祝詞の中の祝詞とも言われるほど完成度の高い文体で、文学的にも高く評価されています。また、恒例の大祓式以外にも様々なお祓いで用いられることから「万能祈願祝詞」とも言われることがあります。
作者不明の不思議な祝詞
大祓詞は、約900の文字から構成されています。(仏教における「般若心経」は276文字の3倍)この祝詞の文章については諸説ありますが、誰が作ったものかは未だ明らかになっていません。
神道には教祖や教義や教典がないように、大祓詞も特定の個人が創り出したものではなく、私たちの祖先が神々と営みを共にすることで自然に出来上がってきたものです。また、大祓は、個人を対象にしたお祓いに留まらず、全体、公に対するお祓いでもあります。いわば「国民全員」、「社会全体」の罪穢れ、災厄を取り除くためのお祓いといえます。
恒例としては、6月、12月の晦日、大晦日に行われていますが、悪疫が流行したり天災などの異変があったとき、あるいは天皇崩御の際や大嘗祭のときなどの重要な国の儀式が伴うときなどに行なわれてきました。