白土三平 著『忍者武芸帳』
そのとき歴史の闇から
忍者が姿を現したわけは
247時限目◎本
堀間ロクなな
『忍者武芸帳』を最近、初めて通して読んだ。幼いころ一部を目にした覚えがあるけれど、白土三平のマンガと言えばわれわれには『サスケ』のほうが親しく、かつて戦後世代の大学生がこれでマルクス主義の唯物史観を学んだとも伝えられる作品を敬して遠ざけてきたのが実情だ。その禁をせっかく解く以上は、貸本劇画の頂点ともいわれる雰囲気を噛みしめたいと、手軽な文庫版ではなく、大判18分冊を2冊ずつ函入りにした全9巻組みの、いまから半世紀ほど前のレトロな古書を入手してひもといた。
内容については多言を要すまい。織田信長が覇権をめざして各地の大小名や土一揆・一向一揆に挑みかかり、敵味方も定かならぬ権謀術数が渦巻く時代状況のもと、闇の世界に生きる忍者たちも入り乱れて血みどろの戦いを繰り広げるというもの。おもな登場人物が数十人におよぶ群像劇を特徴づけるのは、唯物史観と見なすかどうかはともかく、それまで大衆芸能で語り継がれてきたような忍者がドロンと煙になるといった絵空事を廃して、かれらの用いる忍術のひとつひとつに科学的な根拠が示され、また、その正体もいかがわしい超能力者ではなく生身の人間として造型されているところだ。
たとえば、主人公の忍者・影丸が率いる「影一族」のひとり、岩魚(いわな)に関してはこんな具合だ。ある貧しい村が飢饉に襲われたとき、人々はあらゆるものを食い尽くして餓死を待つばかりだった。ついに死者の人肉に手を伸ばした男は、鬼畜の振る舞いが露見しかけると、近くにいた女に罪を負わせて他の村人とリンチにかけ、石の重りをつけて湖に沈めてしまう。残された息子は悲しみのあまり、母の姿を追って水に飛び込むことを1年、2年、3年……と続けていくうちに深く潜れるようになり、とうとう水底に眠る母親と再会を果たす。そこは水温が低いうえ塩分濃度も高いため、母の遺体は生前そのままに保存されていたのだ。やがて、かれは湖の生態系の一環と化して魚介を食糧とし、エラ呼吸の機能をよみがえらせたのち、「影一族」にスカウトされて水中行動では随一の忍者となっていく……。
もちろん、多少とも現実離れした設定であるにせよ、荒々しい描線が力強く描きだす無名の者どもの歴史絵巻は、わたしの目にはNHK「大河ドラマ」などよりずっと人間臭く胸倉をつかまれるような迫力に満ち、ページを繰る指先がもどかしい、といった気分を久しぶりに味わうことができた。作者もよほど秘めたる自負があったのだろう、およそ3000ページにわたった全篇の筆を擱くにあたって、
「歴史は、個人の力で動かしうるものではない。だが、ある決定的瞬間に、個人の力が大きく全体に影響をあたえることもある。ある個人なり階層に、時代が大きな超人的行動を要求する場合もある。だからこの物語の場合も、あの戦国の世を戦いぬき、時代を前進させる原動力となった人びとを、影丸という人物にしぼって現わしてみたかっただけだ」
と、最後に主題を明かしたうえで「1962年10月19日 完」と書き添えている。
この日付は、まことに興味深い。と言うのも、時代小説において忍者をリアリズムで捉えた嚆矢とされる村山知義の『忍びの者』が同年5月に日本共産党の機関紙『赤旗』での連載を終えて、ただちに山本薩夫監督・市川雷蔵主演によって映画化され、年末には劇場公開となり大ヒットを記録しているのだ。どうやら、『忍者武芸帳』完結の前後は、忍者という存在にとってエポックメーキングな時期だったらしい。60年安保と70年安保のはざまで国家のあり方をめぐって体制・反体制が激しくしのぎを削る一方、高度経済成長により金満国家への階梯を駆け上がりながら大衆の疎外が露わになっていくという、あたかも戦国時代のように価値観が分裂・交錯するタイミングだったからこそ、歴史の闇に埋もれていたはずの忍者にスポットライトが当たったのかもしれない。
実のところ、体制・反体制のいずれからも距離を取りながら、独自のトレーニングの積み重ねで特殊な戦闘能力を身につけ、たとえ個々は非力であっても集団的規律のもとに、ときには国家権力とも対決して「時代を前進させる原動力」の存在とは、世界史のなかでもおいそれと見当たらない稀有なものだったろう。かくして、やはりこの時期から忍者は日本だけでなく、NINJAとして海外へも広く雄飛していくことになる……。