知れば、知るほど、好きになる『「義太夫節」という音楽』、「ヴァイオリンと名器」
音楽の小箱
「義太夫節(ぎだゆうぶし)」という音楽
「浄瑠璃(じょうるり)」という文学・音楽は、室町時代に成立しましたが、三味線の伝来以後、伴奏楽器が琵琶から三味線に交替した段階で、近世期・江戸時代の文学・音楽となりました。人形の操作をみせた芸能「人形戯(にんぎょうぎ)」の集団と、「浄瑠璃」が結びついて、新しい演劇「人形浄瑠璃」という人形芝居が成立したのは江戸時代の初め・慶長年間と考えられています。
「義太夫節」とは、人形浄瑠璃の歴史の中では、最後に成立した流派で、初代竹本義太夫(のちに竹本筑後掾)が大坂道頓堀で初めて興行した時(貞享初め・1684-85)をその創始時期としています。
江戸時代に行われた三味線音楽は数多くありますが、中でも義太夫節が誇る随一の特徴は、その詞章本・台本・脚本である「浄瑠璃本(じょうるりぼん)」を日本全国に流通させ、伝本を今に残していることです。いわば義太夫節だけが、江戸時代の日本・六十六か国にまたがる、〈ユニバーサル〉な音楽だったのです。
それほどの隆盛を誇った「義太夫節」も、残念なことに近代の東京において興行の拠点を持たなかったことが影響するのでしょう、社会的な認知度の点で歌舞伎や能楽に後れを取ります。
竹本駒之助さん(1999年女流義太夫の人間国宝に認定。2012年神奈川文化賞受賞)は秦野市在住の神奈川県民ですが、ご出身は兵庫県淡路島で、戦後間もなく大阪へ修行に出た方です。大阪という経済都市の、日本近代史の中での退潮に伴い、それに支えられていた義太夫節の演奏者たち(男女問わず)の少なくない人々が東京に拠点を移しました。
KAAT神奈川芸術劇場では2013年から「KAAT竹本駒之助公演」を主催し、駒之助・鶴澤津賀寿両師の演奏を通して「義太夫節」という音楽、日本の伝統芸術の紹介に努めています。
文:神津武男(早稲田大学演劇博物館 招聘研究員)
Photo
竹本駒之助 鶴澤津賀寿 KAAT公演より(2016年) photo: 西野正将
<関連情報>
『摂州合邦辻』下の巻ノ切「合邦内の段」を読む(講師:神津武男)
楽器ミュージアム
ヴァイオリンと名器
豊かで華やかな音色のヴァイオリンは楽器のスーパースター。
あの美しい響きは、4本の弦(上からミ-ラ-レ-ソ)を弓で擦って振動させ、その振動が弦を支える駒を通ってボディに共鳴して生まれます。ボディは湾曲した表板と裏板を側板でつないだ優美な曲線が特徴的で、その内部は空洞で、振動をボディ全体に伝えて響きを豊かにする小さな棒(魂柱)が立っています。
現存する最古のヴァイオリンは、1565年頃にアンドレア・アマティが製作しました。アンドレアの息子ニコロやその弟子のストラディヴァリ、グァルネリの一族が18世紀半ばまでに作ったヴァイオリンは、本誌巻頭のファウストはじめ世界的な名手たちにより現代まで奏でられ、これらを凌ぐ「名器」はないといわれています。
19世紀、演奏の場が宮廷の一室から大きなホールに変わると、ヴァイオリンは音量や華やかさをより強く求められ、駒や指板の位置を高くするなど弦の張力を増すよう改造されました。20世紀には、羊腸で作ったガット弦から力強い響きのスチール弦に代わっていきます。「名器」はこうした変化にも対応できるものでもあったのです。
近年、作曲当時と同様の楽器、奏法で演奏するという機運が高まり、ガット弦の柔らかい響きも再評価されています。誕生から5世紀を経てもなおヴァイオリンの表現の幅は広がり続けています。
表板の二つのf字孔は共鳴の機能を持ち、fの横棒の溝が駒や魂柱の位置の目印となります
<関連情報>
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)&ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)&アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)