愛と哀しみの傑作(マスターピース)「美しき水車小屋の娘」
フランツ・シューベルト
「美しき水車小屋の娘」
フランツ・シューベルトは「歌曲の王」といわれ、わずか31年の生涯で600曲以上の名作歌曲を生み出しました。中でも『美しき水車小屋の娘』、『冬の旅』、『白鳥の歌』は「3大歌曲集」と呼ばれています。
最初に作られた『美しき水車小屋の娘』は、1823年、シューベルト26歳の時の作品。修行の旅に出た粉引き職人の若者が、水車小屋の娘に出会い恋に落ちるが、狩人の若者の出現により失恋し、小川に身を投げるという、ドイツ・ロマン派らしい青春の物語です。同時代のドイツ・ロマン派の詩人、ヴィルヘルム・ミュラーの『旅するワルトホルン吹きの遺稿集からの77篇の詩』を元にしています。
この傑作には不思議な特別版があります。全20曲の中から3曲のみを取り出し移調したもので、 若者の娘への溢れる熱い想いを歌う「第7曲 いらだち」、若者の挨拶に顔を隠す娘へのとまどいと不安の「第8曲 朝の挨拶」、川辺に咲く青い花は娘の瞳の色、その花に浮かぶ朝露は若者の涙、という 「第9曲 粉引き職人の花」の構成です。
この版は、一人の女性に捧げられたものといわれています。その女性はカロリーナ・エスタハージ伯爵令嬢。シューベルトは、1818年と1824年にエスタハージ伯爵家で音楽教師を務めます。
シューベルトのカロリーナ嬢への想いは、友人たちの間では広く知られていました。友人で作家のバウエルンフェルトは「カロリーナ嬢はシューベルトにとってのミューズ」だったと回想しています。有名なシューベルティアーデ*を描いた絵の中で、部屋の中央に飾られた肖像画の女性こそカロリーナ嬢その人です。伯爵令嬢と一介の作曲家では、当時の社会に於いては告白すらも許されぬ身分違いだったのです。シューベルトは、1台のピアノを二人が並んで演奏する「四手ピアノのための幻想曲 ヘ短調」をカロリーナ嬢に献呈しています。
フランツ・ペーター・シューベルト Franz Peter Schubert(1797〜1828)
オーストリアの作曲家。特に歌曲の分野で数多くの傑作を残し、「歌曲の王」、「ドイツ歌曲の創始者」と呼ばれる。代表作は「交響曲第7番 未完成」「弦楽四重奏曲第14番 死と乙女」「歌曲 野ばら」など。
*シューベルティアーデ:シューベルトの友人たちがシューベルトの作品を聞くために開いたサロンコンサート。友人の画家シュヴィントによる絵が残されている。
イラスト:遠藤裕喜奈