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「情景を踊る」

音について/型について

2020.12.16 14:46

情景を踊る、の情景は、翔くんの音によってもたらされるものです。

ですが、12月に入ってから、きやまときたさんによるduoのパート、

ほとんど無音で稽古してしまった!

稽古場に2人しかいない、ことが多い、としても、

ならば、音が情景なんだから、稽古方法をもっと考えるべきだった。

そして無音というのは最強の音楽なのかもしれない。

わたしは音について無理解でした。

無音の時間帯を無造作にぶっこむとは無意味なことでした。


反省しきりの今日このごろ、反省文を特設サイトで書いている。

なんじゃこれ。


先日インタビューを受けました。

京都の舞台人にインタビューしている高橋さんの企画

「頭を下げれば大丈夫」

でも音の話をしています。

作品についても、こと細やかに聞いてくださいました。

ありがたいことでした。

(公開はもう間もなく)



クリエイションが進むにつれて、つまり一回一回の稽古を経る中で、

音とは。音楽とは。

という問いはどんどん膨らんでいきます。

先日はきたさんが「音も共演者だ」と言いました。

ダンサー2人が関わって、さらに音とも関わって、これはduoではなくtrioです。

trioの稽古をしなくては。


インタビューでは型の話にも及びました。


「なんでこの作品の中に型を使おうと思ったのか」

「そもそも型とは」

稽古場でも翔くんに、どうして型をやるのかと、とてもストレートに問いかけられて、

わたしは絶句したのです。

わたしにとって型とは、ダンスをはじめる以前に吸収したものです。

踊るよりも身近でなじんでいるものかもしれない。

だからか、型から出ていくことがなかなかできないでいる。


今日あらためて型の稽古をしてみると、、、

ちょうど羅針盤が北を指す様子や、地球儀の地軸、地図の緯度経度、そういったものの一部になる感覚がある。

すでに無色の線がいくつもあり、じぶんの身体や意識がその一部になっている。


踊るという日々の中で、型がイメージを受けとめる「器」のように感じられるようになってきたのは大きな変化です。

なにか「通り道」のように感じることも。

ただ、いよいよ、型の外に出ていく時なのかもしれません。

それがどういうことか、今まさに模索しているところです。


きたさんが「イメージからダンスを導いている」と、これまでのクリエイションのプロセスを紐解いた上で、ダンスからイメージをもたらす必要性について話をしました。

型とダンスの間を行ったり来たりしています。