維摩経から(令和2年12月法話)
お釈迦様の10大弟子の代表格、舎利弗と目連尊者の見舞いもかないませんでした。
その後、お弟子の皆様を始め、菩薩衆までも撃沈します。
そして最後に、文殊菩薩を指名され、文殊菩薩もそれを受けられます。
維摩居士と、文殊菩薩の問答の間に、舎利弗との有名なお話があります。
それは、
維摩居士と文殊菩薩の掛け合いを聞いていた天女が歓喜して、花びらを降らします。
その花びらは、菩薩方の身体にはつかずに、はらりと落ちていきます。
しかし何故か、舎利弗をはじめとする声聞の方々には花びらが落ちることなく、身体についていきます。
修行者は身体に飾りをすることは許されていません。
ですから、身体についた花びらを振り払おうとしますが、落ちません。
その様子を見た天女は問いかけます。
『何故、花びらを振り払おうとするのですか』
すると舎利弗が答えます。
『身を飾ることは許されていませんから。
しかし何故、菩薩方には花びらが身体につかず、落ちていくのでしょうか』
『それは、この花には分別の心はありません。
花が菩薩方につかないのは、分別心を菩薩方が脱しているからです。
あなた方は、法を差別的に見る考えが未だに尽きないので、花が身体にひっつくのです』と。
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分別の心。難しい問題です。
分別がなければ、人間として生きていけません。
しかし、仏様はその分別の心を脱しなさいと説かれます。
分別の心を脱したならば、菩薩になれるよ、と言われます。
分別の心とは、何も考えてはならないということではありません。
正しく物事を見て、正しく物事を判断できる心のことだと思います。
それは、仏の法に沿ったものであらねばなりません。
仏の法(教え)に沿った考え、行動が出来れば、その人は菩薩と呼ばれます。
そのことを私達に伝えようとしておられるお話だと思います。