バテレンとは?~意味と語源と歴史の解説
https://extraordinary.cloud/bateren-history.html 【バテレンとは?~意味と語源と歴史の解説】より
バテレンとは、カトリックの司祭を指す日本語です。ポルトガル語で神父を意味する「padre(パァデレ)」が語源で、パァデレを日本語的な発音で「バテレン」とし、「伴天連」という漢字を当てました。
元来バテレンはカトリックの司祭の称号でしたが、バテレンという語が広まるに連れ、キリスト教やキリスト教徒を指す語としても使われるようになります。
最初のバテレンは1549年に鹿児島に上陸したスペイン人のフランシスコ・ザビエル、最後のバテレンは1708年に屋久島に上陸したイタリア人のシドッチです。
バテレンの意味と語源
ポルトガル語で神父を意味する「pardre(パァデレ)」が語源で、日本語的な発音で「バテレン」になり、「伴天連」という漢字を当てました。
神父はカトリック教会、正教会、東方諸教会で司祭に対する敬称で、プロテスタントには神父はおらず、指導者としての牧師がいます。
元来バテレン(伴天連)はカトリック教会の司祭の称号でした。
ローマ・カトリック教会の司祭とは、司教の下位にあたる聖職です。
日本にキリスト教(カトリック)が伝来した当時、宣教師としてやって来たほとんどの司祭は、ローマ教皇の公認を得た「イエズス会」の会員でした。
キリスト教が広まるに連れ、バテレンはキリスト教やキリスト教徒を指す語としても使われるようになります。
当時の日本人キリスト教徒には正式な意味での司教はおらず、その意味において日本人のバテレンは存在していません。
バテレンと呼ばれた日本人の多くは「イルマン(入満/伊留満)」です。
イルマンとはカトリック教の修道士で、日本ではバテレンを補佐する人で、宣教活動も行っていました。
キリスト教の布教に熱心だった日本人はイルマンとは呼ばれずバテレンと呼ばれるようになり、いつしかキリスト教やキリスト教徒を指す語としてバテレンは使われるようになります。
バテレンの歴史
日本で初めてキリスト教を布教したのは、スペイン人のフランシスコ・ザビエルです。
フランシスコ・ザビエルはローマ教皇(カトリック教会の首長)の公認を得た修道会「イエズス会」の司祭です。
1549年8月:フランシスコ・ザビエル鹿児島上陸
1550年7月:平戸(現・長崎県平戸市)で布教活動を開始
ザビエル神父は山口・京都などでも布教活動をし、1551年11月に日本を去ります。
その後は、ザビエル神父とともに来日したスペイン人のコスメ・デ・トルレス神父が布教を続けます。
1552年:ポルトガル人の医師ルイス・デ・アルメイダがトルレス神父に出会い布教活動を手伝います。
その後、アルメイダ医師は、医師として医療に携わる一方で、イエズス会に入会し布教活動に従事します。
1557年:アルメイダ 豊後府内(現・大分)に病院・育児院を建設し医師として従事する一方で、布教活動を開始
1562年:アルメイダ 大村領主大村純忠に謁見 横瀬浦(現・長崎県西浦市)開港 大村で布教開始
1563年:大村純忠 初のキリシタン大名になる
1565年:アルメイダ 五島地方に伝導
1566年:アルメイダ 天草に伝導
長崎港が開港されると、貿易で財を成し、力をつけた大名が多く現れます。こうした大名の中にはキリシタン大名がいて豊臣秀吉の目にとまるようになります。
バテレンは「大名の力を削ぐため貿易の制限をする」目的で追放されることとなり、江戸幕府の「禁教令」「鎖国」へとつながっていきます。
1571年:長崎港開港
1587年:豊臣秀吉 バテレン追放令
1597年:フランシスコ会宣教師6名と日本人の信徒20名が処刑される(現・長崎市西坂町)
1614年:江戸幕府 禁教令
1619年:長崎の教会をすべて破壊
1635年:江戸幕府 海外渡航禁止令
1639年:江戸幕府 ポルトガル船来航禁止令
1657年:「郡崩れ(こおりくずれ)」 潜伏キリシタン608人が逮捕され、406名が打ち首(大村/長崎/佐賀/平戸/島原)
1708年:最後のバテレンと称されるイタリア人の宣教師シドッチ 屋久島に上陸
1709年:シドッチ キリシタン屋敷に身柄を拘束される
シドッチは1714年に病死し屋敷内に埋葬されたといわれています。
まとめ
元来、バテレンはカトリック教会の司祭の称号で、ポルトガル語で神父を意味する「padre(パァデレ)」が語源の日本語です。
キリスト教が広まり、バテレンという語は、キリスト教やキリスト教徒を指す語としても使われるようになります。
スペイン人によって伝来したキリスト教、キリスト教徒、バテレンは、江戸幕府の厳しい「禁教令」によって、日本から表面上姿を消しますが、信仰を続けた潜伏キリシタンは長崎県や熊本県に存在しました。
2018年7月に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、潜伏キリシタンの信仰継続にかかわる伝統の証です。