世界のカルト宗教元締め イエズス会とは?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1286838837?__ysp=44Kk44Ko44K644K55Lya77yd44Ot44O844Oe44Kr44OI44Oq44OD44Kv5pWZ5Lya 【世界のカルト宗教元締め イエズス会とは?】より
カトリック教会は、キリスト教の中の最大教派です。イエス・キリストの直接の使徒ペトロを初代ロ-マ教皇として、続いている教派です。ロ-マ教皇=カトリック教会の最高の教父(責任者)であり、イエス・キリストの直接の12使徒の1人ペトロの後継者です。
イエズス会は、カトリック教会の中の修道会の1つです。カトリックの中の修道会は、どの修道会でも、最低3つの公誓願を立てています。
清貧(贅沢をしない) 貞潔(生涯未婚を通す) 服従(上位者に従う)
イエズス会は、キリスト教(カトリック)が、浸透していない地域に行って、一生懸命にキリスト教(カトリック)を広める…宣教(教えを述べる)活動をする為に設立された修道会です。
なので、未開の地域へ最初に行く宣教師は、イエズス会員であり、『宣教の為ならば、自分の命も惜しむな』『前も、後ろも、右も、左も、上も、下も、わからない所へ行って、宣教活動をせよ』と、され、カトリック教会の内外で『ロ-マ教皇の軍隊』とも、言われています。
なので、世界史では、世界各地に最初に行った宣教師が所属する修道会が、イエズス会です。日本へ最初に来たキリスト教(カトリック)の宣教師…フランシスコ・ザビエルも、イエズス会員で、イエズス会の設立メンバ-の1人です。
https://ameblo.jp/walker-memo/entry-12204970615.html イエズス会とは?
イエズス会 世界史の窓 (引用)
対抗宗教改革の一つの運動体。1534年、ローマ教皇への服従を誓い、プロテスタントに対抗してカトリックの世界布教を目指す修道会。
イエズス会
ロヨラとザビエル
ローマ教皇への絶対服従、神と教皇の戦士として伝道に努めることを使命として、1534年にイグナティウス=ロヨラ(スペイン人)らによって結成された修道会。「イエズス会」というのは「イエス=キリストの伴侶」という意味で、「ジェズイット教団」ともいう。日本では「耶蘇会」と言われる。1540年に教皇パウルス3世から認可を受け、対抗宗教改革の先頭に立って、活動を開始した。まずドイツ国内のプロテスタント地域でのカトリックの復興が進められ、ついでアメリカ新大陸、アジアなどの新天地での積極的なカトリックの布教活動を行った。その一環として、フランシスコ=ザビエルは日本伝道を行った。はじめて中国伝道を行ったマテオ=リッチなどもイエズス会員であった。18世紀の中頃まで積極的な海外布教を展開したが、その間、他の修道会との対立(中国における典礼問題など)、絶対主義諸国の国家政策との対立などから問題が生じ、1773年には教皇クレメンス14世によって解散させられた。その後、1814年に再興され、歴代教皇の保護のもと、組織を拡大し、最大の修道会となった。イエズス会の中心思想はロヨラの提唱する『霊操』(宗教的真理に達するための瞑想)にもとずく会則のもと、徹底した教皇への服従と、軍隊的な規律であったと言われる。また布教にあたっては、子供の教育や女性を通じて自然に信仰心を育てるという手段を重視し、各地に学校を設立した。
(引用終わり)
※イエズス会のシンボルが黒い太陽に見える。また、3本の釘がある。私はイタリアロッジp2が黒い太陽を信仰していることを思い出した。また、ロッジp2広報レオ・ザガミと中丸薫(バランサー同士)の対談記事も思い浮かべた。
イエズス会創設 諸説
イエズス会の初期創設メンバーはわかっているのですが、その原型や創立を支えたスポンサーについては諸説あります。一説によるとイエズス会の前身はテンプル騎士団ともいわれています。
創立メンバー
イエズス会 Wikipedia
創設
1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志(スペイン出身のフランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、ポルトガル出身のシモン・ロドリゲス、サヴォイア出身のピエール・ファーヴル)がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ聖堂(現在のサクレ・クール聖堂の場所にあったベネディクト女子修道院の一部)に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てた。この日がイエズス会の創立日とされている。彼らは清貧・貞潔の誓いとともに「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」という誓いを立てた。
「モンマルトルの誓い」のメンバー(7人)
イグナチオ・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年)
ピエール・ファーヴル(1506年 - 1546年)
フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年)
ディエゴ・ライネス(1502年 - 1565年):第2代総長
アルフォンソ・サルメロン(1515年 - 1585年)
ニコラス・ポバディリャ(1507年 - 1562年)
シモン・ロドリゲス(1510年 - 1579年)
※良ければWikipediaを全文お読みください。
イエズス会を組織したのはヴェネチアの「黒い貴族」だった
「東方見聞録」で有名なマルコ・ポーロも、ヴェネチアの黒い貴族が送り出したエージェントだったのです。
・・・・・(中略)・・・・・
大航海時代の背景はポルトガルとかスペインとか英国とかという、それぞれの国家ではなく、ヴェネチアに浸透する金融寡頭権力だったのです。そのようにして彼らは世界支配をさらに進めたわけです。
そして最後はキリスト教・カトリック教会を大分裂させることでした。1517年、マルチン・ルターがローマ法王庁に挑戦して、免罪符を否定する抗議の紙を張り出したら、あっという間に非常にわずかの時間に、全ドイツに広がりました。しかし、そのルターの背後にいたのはヴェネチアの「黒い貴族」だったのです。ルターをヒーローに仕立て上げて、全ヨーロッパ、とくにドイツで、カトリックとカトリックに反対するプロテスタントという勢力が起こり、キリスト教会は真っ二つに分かれるわけです。
そして10~20年後にヴェネチアの「黒い貴族」はプロテスタントで脅かされているキリスト教会、カトリック教会に対して、プロテスタントと戦うための「イエズス会」という新しい修道会を組織したのです。イエズス会の創設者イグナチオ・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルを選抜して任務を与え、お金を提供して強固な組織にしたのはヴェネチアの「黒い貴族」だったのです。
また、ヴェネチアの「黒い貴族」はカトリックを分裂させて両方を嗾(けしか)け、両方に資金を与えカトリック教会の分裂とすごい殺し合いを、背後で操縦したのです。
※イエズス会は黒い貴族直営の組織だといわれています。イエズス会創設のスポンサーは、黒い貴族に間違いなさそうですが、具体的にどの勢力が設立したか…情報がまだ確定していません。ご存知の方はコメントください。
メディチ家説
イエズス会=ヴェネチアの黒い貴族=メディチ家=ヴァチカン=マルチン・ルター
・イエズス会を作った首謀者は、「ヴェネチアの黒い貴族」の中でも、最も高貴な家系の一つである、ロンギ(Longhi)家の御曹司、ガスパロ・コンタリーニ(Gasparo Contarini)である。
・コンタリーニ家は、7人のドゥーチェ(Doge)を輩出した。「ドゥーチェ」は、ヴェネチア共和国の「総督」のこと。
・コンタリーニは、ヴェネチア共和国のヴァチカン駐在大使に任命され、そこで、1527年、メディチ家出身のクレメント7世をローマ法王として擁立した。
・コンタリーニとその一門は、イグナチウス・ロヨラのイエズス会を育成し、ローマ法王庁内の反対を押し切って、イエズス会をローマ法王後任の修道会とした。
・ヴェネチアの黒い貴族は、15世紀、イタリアに生まれたルネッサンス運動を抹殺しなければならなかった。
・その仕掛けの一つが、キリスト教カトリック教会の分裂と弱体化である。
・そのために、ヴェネチアの黒い貴族は、ルターを使っていわゆる宗教改革運動を演出し、
・そして、次に、ロヨラのイエズス会を作って反宗教改革運動を演出し、
・かくして全ローマ・カトリック教会をまっぷたつに分裂させ、血みどろの殺し合いに持っていった。
イエズス会をつくったのはメディチ家(財閥)(※修正版)
サヴォイ家説
アメリカ・デフォルトは起きるのか!? -11 〜サヴォイ家・ヴェルフ家の世界戦略〜
補足
太田龍のメディチ家説の方が説得力はあります。
ただ、メディチ家もサヴォイ家もヴェネチアの黒い貴族には変わりありません、両家は深い関係にあります。現在、イエズス会はヘッセン陣営に乗っ取られつつあるそうですが、サヴォイ家とヘッセン家は血縁で結ばれているので両勢力は融合しつつあるのかもしれませんね。
イエズス会の歴史
日本のイエズス会関連年表
日本のキリスト教史 Wikipedia
イグナティウス=ロヨラとフランシスコ=ザビエルの正体
ロヨラ
https://es.wikipedia.org/wiki/Ignacio_de_Loyola
イグナチオ・デ・ロヨラ Wikipedia
イグナチオ・デ・ロヨラ(Ignacio López de Loyola、またはInigo Oinaz Loiola、バスク語:Ignazio Loiolakoa, 1491年10月23日もしくは12月24日 - 1556年7月31日)はカスティーリャ王国領バスク地方出身の修道士。カトリック教会の修道会であるイエズス会の創立者の一人にして初代総長。バスク人。同会の会員は教皇への厳しい服従をモットーに世界各地で活躍し、現代に至っている。イグナチオは『霊操』の著者としても有名で、対抗改革の中で大きな役割を果たした。カトリック教会の聖人で記念日(聖名祝日)は7月31日である。
フランシスコザビエルの正体
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-623a.html
フランシスコ・ザビエルはイエズス会の創立メンバーの一人で、イグナチオ・ロヨラ(1491~1556)に次ぐナンバー・ツーです。
中国に対しては、日本よりはるかに大きな世界最大の国家なので、これをどのように処分するかについても、ザビエルはしばらく中国に滞在して方針を立て、その報告書をローマ本部に送っています。その時以降、彼らの日本に対する方針は一貫しています。つまりそれは、日本に住む人々の精神を日本人でないようにするための方針であり、アジアに対して武力による侵略を行使するという方針を立てました。
天皇の陰謀を暴いたバーガミニ:太田龍講演録より(重要)
聖フランシスコ・ザビエルが、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着したのは、1549年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日)。そして、太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わったということだ。(8.15-8.15)
ザビエルが当時、表では聖職者の顔をしながら、密かに本国に申告していることばが実にその恐ろしさをあらわしている。
「日本はこの地上から抹殺されるべきだ」
「日本人はこの地上で生きていてはならない民族だ」
「これは我々にとって極めて危険な強力な敵になる可能性があるから、一刻も早く一人残らず皆殺しだ」そう伝えていたという。
ザビエルの布教活動の真意は?
日本を離れたフランシスコ・ザビエルのその後
イルミナティと表裏一体のイエズス会!
イエズス会の黒法王
【イルミナティの中枢はイエズス会総長】
最近のイルミナティピラミッド組織の(人間界)トップは実はイエズス会総長で、バチカン3法王の内の黒い教皇らしいのだ。
バチカンはイエズス会によって支配されており、イエズス会の総長がルシファーからの指令を直接に受ける地位にあるそうだ。
バチカンのローマ法王には白・赤・黒の3種類、3人の法王がいる。
白は「表に出る、ローマ法王」で、左右にあまり表に出ない「赤と黒の法王」が位置付けられる。
赤は「福音宣教省長官、枢密教」職で、黒は「イエズス会総長、修道司祭」職となっている。従って、カトリックの重職は白・赤・黒の3色で表されている。
※ルシファーからの指示というより、一部の貴族たちからの指示でしょうね。
「IMAGO DEI その1」
『一七七三年七月二一日ローマ教皇クレメンス12世(1773年とあるのは間違いではないか?教皇は1740年に亡くなっている)はイエズス会を廃止した。すると最も活動的で献身的なメーンンでホモだったプロシヤのフレデリック大王が、イエズス会を法王とブルポン家に対抗する勢力として用いるために擁護した。それから間もなく、イエズス会の勢力下の地域でイエズス会とはあたかも無関係のように装いながらイルミナティが台頭してくる。へクソーンや他の著者が書いているものによると、イエズス会の儀式とフリーメーソンの入会式や儀式に
は多くの共通点がある。』イエズス会=イルミナティ
補足
イエズス会はイルミナティの中で非常に重要な位置に存在します。(クリックで図の拡大)
イエズス会29代総長ピーター・ハンス・コルベンバッハは失脚しました。30代総長アドルフォ・ニコラスを経て、現在は第31代総長アルトーロ・ソーサ(Arturo Sosa Abascal)。
高位イエズス会の正体
イエズス会の修道院長が高位参入するための宣誓文がまたすごい。
"Subterranean Rome by Carlos Didier"という書物からの引用だそうだ。
「私は、機会があれば秘密裏にあるいは公然と、すべての異端者、
プロテスタント、自由主義者に対して情け容赦のない戦争を作り出し
遂行することを約束し宣言します。
その時は、地表のすべての場所において
彼ら異端者たちを皆殺しにし根絶させます。
彼らの年齢、性別、病気か否かを問いません。
彼らを吊るし、衰弱させ、熱湯で煮やし、皮を剥ぎ、絞め殺し、生き埋めにし、
胃と女の子宮を切り裂き、幼児の頭を壁にぶつけて打ち砕き、
忌まわしい異端者の種族を永遠に根絶やしにします。
公然と行うことができない場合には飲み物に毒を盛り、コードで首を絞め、
はがねの短剣か鉛の弾丸を用います。
名誉、身分、威厳、または地位を気にかけることなく、
健康であろうと病に伏していようと、
教皇または神聖な信仰兄弟団(the Brotherhood of the Holy Faith)
上司の代理人から、
私的にであっても公的にであっても指示された時にはそれに従い...」
以下略…。
十数億の信者を抱えるバチカンは巨大な利権であるとともに、人類の洗脳機関の役割を果たしています。バチカンにはイエズス会・ロッジp2、OPUS DEIを始め、複数の組織が寄生して裏から操っているようです。
ペーパークリップ作戦で、ナチス残党のアメリカ移住を支援したのもバチカンです。
イエズス会の正体
日本史との関係
明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧 と 現在の日本支配層の関係
※ほとんどオランダ東インド会社とイエズス会の人間ガーン
日本のキリシタン一覧 Wikipedia
伴天連追放令の真実
イエズス会の宣伝映画「沈黙」が依然公開されて、日本のTVでも大々的に宣伝されましたが、彼らが何故追放され処刑されたかはあまり知られていません。
http://eiga.com/movie/85561/
イエズス会士が始めた「奴隷売買」
そりゃ、追放するわ。
明治維新とイエズス会
イルミナティに利用された長州藩
フルベツキ博士の集合写真について
動画資料
#10 イエズス会の日本侵入Ⅰ / ビル・ヒューズ
CSIS創設者はイエズス会士
戦略国際問題研究所(CSIS)Wikipedia
ジョージタウン大学の戦略国際問題研究所(CSIS)は、イエズス会神父エドマンド・アロイシャス・ウォルシュ(Edmund Aloysius Walsh、1885年10月10日 - 1956年10月31日)が、1919年に同大学内に創った「エドマンド・A・ウォルシュ外交学院」(Edmund A. Walsh School of Foreign Service、略称SFS)が改組されたものである。ウォルシュは地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、その学問をアメリカに移植することを目的とした組織であった。
設立にあたっては、アーレイ・バークおよびデイビッド・マンカー・アブシャイア(David Manker Abshire)[4]が主導[5]。1987年にジョージタウン大学から独立した研究機関となった。設立の経緯から、アメリカ陸軍などアメリカの国家安全保障グループとの繋がりを強みとする。
キリスト教がローマの国教会となって中世期,ローマは滅んだといわれますが キリスト教(カソリック)は宗教改革の日まで国家権力と結びついたものであり、いまだにカソリックはローマ教皇、ローマキリスト教会などと呼ばれています。
そのうえ ユダヤ教徒もキリスト教徒も迫害していたローマはユダヤ教徒にもキリスト教徒にも共通の敵でした。
しかしローマはキリスト教を国教と定めユダヤ人はゲットーに閉じ込めてきました。
本来は宗教的にも近しかったものからさげすまれる中で 高利貸が生まれていったと私には思われます。(シェックスピアのヴェニスの商人に原型がある気がします)
秘密結社の原型をピタゴラス密教団に見る思いがします。グノーシス派はバチカン公会議で異端として排斥されています。カソリックが分断されざるを得なかった要素を見る思いがします。