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松浦信孝の読書帳

問いの方向性が明暗を分かつ

2020.12.19 02:20

人から見ればなんてことのない水たまりが、自分には沼に見えることがある。


人間にはそれぞれ得意なこと、苦手なことの、能力の凸凹があり、その山と谷が少ない人が標準的で常識的な社会人とされる。


ここ最近、やっと時間に間に合うように出勤する、毎日同じルーティーンで動く、なんて事のない繰り返しすら、安定して繰り返すことの出来ない自分に気づいた。


そしてこの時、「なんで?」の方向性をどこに向けるのかで、大きな違いがあることをこの数ヶ月で学んだ。


どうやら自分は時間を守ることが苦手、何かに追われると全体的な視点を失う、物事の並列処理ができない、基本的な知識を中々覚えない、など・・・枚挙に暇がない「欠落」が自分のそもそもの性質から来るのか、一般からかけ離れた価値基準、マインドセットから生じてくるのか、単に努力不足なのか、工夫が足りないのか、自問自答の日々が続いた。


ここで、「なんで、できないのか?」と問うと人間は非生産的な思考のループに突入する。


一般的な幼少期のトラウマワード「なんで、他の子みたいに出来ないの?」に似た問いという形の詰問、人はその問いを自分に向けると己の欠落に視点が向き改善へと向かわない傾向にあるらしい。


逆に「どうやったら、できそうか?」で考えると知恵が湧いてくる。


前者の問いは繰り返すことで理性の暴走が生じ、正常な人間の心を簡単に傷つけ、壊していく。

他人からの攻撃ではなく、自分の脳内で永遠に自分を傷つけ続けていく、暗く悲しいループである。

周りの人間に悪意がなくとも、自分で自分を傷つければ認知が歪み、なんてことのない仕事の助言や注意、自分には出来ないことが出来る他者の存在すら全て自分への攻撃と受け取る心が出来上がる。

誰も自分を責めてないのに、責められていると錯覚すれば、日常の景色が簡単に地獄に変わる。


後者の問いは生産的で強かな、自分だけの武器を探しに行く創造の旅へと繋がる。

世界は自分用に出来ていないから、自分の道を自分で作るのだ。それは躓きながらも次の手を模索する、同じ状況でも景色の先に希望を追う旅路となる。


認知を歪めて理性を暴走させれば、簡単に人間は心を病むし、そこには他人なんてもはや関係なかったりする。


その入り口を覗き見することが出来たというのは、一生を変えうる学びだったと思う。


ここまで書くと松浦病んでるんじゃないのか、大丈夫かと心配してくれる諸兄や、

このブログをしっかり読んでる実家の父が心配して電話してきたりするのだが、安心してほしい。


あのトンネル、夜になると白い人影が見えるらしいよ、と地元で噂の心霊現象を夜見に行って、

「幽霊は見えなかったけど、やっぱ怖かったね!」という程度のプチ恐怖体験を安全地帯で共有しているだけである。


ただでさえ楽して生きてきてしまったという罪悪感を抱えながら日々を過ごしているのだから、自分にだって毒を飲む権利くらいはある。

子の苦難を厭う親は無能を再生産するばかりでなく、そのバカが世の中の多数を傷つける存在になる可能性について思いを馳せて頂きたい。


長い学生生活で増長した自我を叩き折り、人並みのこともまともにこなせない等身大の自分を呪い苦しむ時間くらいなければ、どこかエラそうで、流れるように人を傷つけてその事にも気づかない人間になってしまうのではないか。歩んできたレールの上にそんな将来が待っているとしたら、そこには自分が生きている価値など感じない。


そんなことを考える3か月だった。霊性の世界に足を踏み入れながらも、現実との狭間で葛藤する一念の締めくくりにはふさわしい。


ようやく人間というものを本当に考え始めた、そんな体験である。