山本理顕の 街は舞台だ 「野毛」
街の姿は住民が決める。
野毛
街は生きている。街並や地区における役割など、刻一刻と、その表情を変える。人間の細胞が数年で全て入れ替わってしまうように、10年経てば住民がまるまる入れ替わってしまうこともある。神奈川県のような都市圏ならなおさらだ。中でも野毛は神奈川の歴史とともにその表情を大きく変えて来た。
幕末期、横浜開港に伴い、港を一望する野毛山は資産家たちの邸宅地となる。明治5年(1872)、現在の桜木町駅の場所に「横浜駅」が開業。名実共に横浜の中心地区として発展を続けてきたのだが、昭和20年(1945)の大空襲で焼け野原となってしまう。
戦後、横浜の主要部分がアメリカ軍に接収される中、野毛は数少ない日本人のための街として残る。そこに自然発生的に生まれたのが「ヤミ市」だ。「野毛に行けば、なんでも揃う」といわれた。数多くの劇場や映画館が生まれ、日本人のための一大繁華街として栄えた。
昭和27年(1952)サンフランシスコ講和条約が発効されると、徐々に接収が解除され、伊勢佐木町や関内といった隣接の商業地区が復活するのとは対象的に、場末の商業地区はその商業的地盤沈下を続ける。
そして残ったのが、どこか懐かしく猥雑な飲食街だ。地元の住民は誇りを持って「本物の場末」と呼ぶ。
その後も野毛の苦境は続く。昭和39年(1964)根岸線の開通で桜木町駅がターミナル駅でなくなる。昭和55年(1980)三菱造船所の本牧・金沢地区への移転が決定。つづいて横浜市の「みなとみらい21計画」により国鉄(現JR)・桜木町駅の北側への移転、さらには東横線・桜木町駅の廃止が決まる。
危機感を募らせた野毛の住民たちは、各町内会や商業組合が共同して「野毛地区街づくりを考える会」を結成する。
横浜市、国鉄、東急との説明会や協議が延々と開催される。その結果、桜木町駅と野毛をつなぐ「野毛ちかみち」の開通や駐車場の整備など、住民を中心とする街づくり案や財政案が決定された。
個性ある街づくりには文化が不可欠との考えのもと、独自の街おこしイベントを企画する。そして生まれたのが、今年で41回を迎えた「野毛大道芸」だ。いまでは観客動員数で横浜最大のイべントとなった。さらに「ジャズde盆踊り」や「野毛ハロウィン」など、新たな路上イベントが生まれている。
行政が中心となる街づくりが多い日本の中で、野毛は数少ない住民中心の成功例だ。
かつては「オヤジの聖地」と呼ばれた野毛に、ここ数年変化が生まれている。いま、野毛は古い店と新しい店が混在する新たな魅力溢れる街に変貌しつつある。若いオーナーのワンショット・バーや女性オーナーのバルなどが相次いで開店し、若者や女性客が増えている。週末ともなると県外や海外からの観光客が街にあふれるのだ。「本物の場末」は横浜有数の観光地となったのだ。
街の姿は住民が決める。行政が決めるものではない。常に変化する街に完成形はない。本来、完成形のない街づくりにおいて、行政が「こうしなさい」と全体計画を押し付けることなどできないのである。自ら行うべきことを自らが決める。それが住民自治である。野毛には本物の住民自治がある。「本物の場末」と住民が胸を張るのはそうした自負があるからこそである。
戦後の経済成長政策はその場所に固有の資産や文化を壊してきたと言っていい。地域経済はグローバル化されることによって再活性化ができると信じこんできたからである。多分、それは間違いだったのだ。地域に固有の資産や文化は地域住民によってつくられるのである。グローバル企業をただ誘致すればそれだけで地域が活性化すると考えるのは完全な間違いなのだ。野毛の人たちの自負はそれを見事に証明しているように見えるのである。「自ら行うべきことを自らが決める」そのためには、その内側で多くの議論があったと思う。住民による熟議の結果である。野毛はひょっとしたら近未来の地域社会のモデルなのではないか。
さてここからは余談だが、野毛の楽しみの一つ「はしご酒」についてだ。600店以上あるといわれる野毛の飲食店街にはチェーン店がほとんどない。1軒1軒が個性溢れる店ばかりだから、「はしご酒」の楽しみは格別だ。しかし、若い客が増えることでちょっとした問題が起きている。悪気はないのだろうが、はしごをするそれぞれの店に予約を入れるのだ。予約が入れば店は他の客を断らなければならない。客は「はしご」をしたいので軽く1杯1品ほどしか注文せず、次の予約までの1時間程度ねばることとなる。やはり粋な大人の飲み方=ルールというものがある、街のルールである。その街を楽しみたいのだったら、その街のルールに従う、それが飲み方のモラルであると思うのだが、いかがだろうか。(談)
取材協力:野毛地区街づくり会
住所:神奈川県横浜市中区野毛町、花咲町、宮川町、桜木町、日ノ出町
交通:JR根岸線「桜木町」駅から徒歩5分
京急「日ノ出町」駅から徒歩5分
横浜市営バス、江の電バス「野毛大通り」下車
野毛ハロウィン2016(最新情報は9月下旬UPの予定)
企画・監修:山本理顕(建築家)
1945年生まれ。71年、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。東京大学生産技術研究所原研究室生。73年、株式会社山本理顕設計工場を設立。2007年、横浜国立大学大学院教授に就任(〜11年)。11年、横浜国立大学大学院客員教授に就任(〜13年)。
Photoキャプション(上から)
ノスタルジックでかえって新鮮。野毛の街並
野毛の名を全国に轟かせる「野毛大道芸」(提供:野毛大道芸実行委員会)
野毛の新たな風物詩「野毛ハロウィン」。今年は10月28日(金)・29日(土)開催(提供:野毛未来研究所)
通りごとに個性が光る野毛の街
明治時代の野毛本通(提供:横浜市中央図書館)
野毛坂から都橋方面を眺める(提供:横浜市中央図書館)
終戦後のにぎわう野毛坂
いろんなエンターテインメントがいっぱいの「野毛大道芸」(提供:野毛大道芸実行委員会)
ジャズ喫茶「ちぐさ」でくつろぐ山本理顕