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富士の高嶺から見渡せば

韓国「燃灯会」無形遺産登録は歴史の偽造?創作?

2020.12.19 16:50

ユネスコ(国連教育科学文化機関)は16日、無形遺産保護条約政府間委員会で、韓国が提案していた「燃灯会(ねんとうえ・ヨンドゥンフェ)」の無形文化遺産への登録を決定した。

登録決定に際し、ユネスコの委員会は燃灯会について、「時代の変遷とともにその形を変えつつも、国籍、人種、宗教の境界を越えて喜びを分かち合う重要な役割を果たしてきた。社会が困難な局面にあるとき、燃灯会が危機の克服に貢献するほか、包容力を持っている点を評価した」とコメントしている。

KBS日本語ニュース12/17「韓国の仏教行事「燃灯会」 ユネスコ無形文化遺産に登録決定」

新型コロナウイルスという人類の危機の局面でも役割を果たすと大言壮語しているのだが、本当か?そんなに大した行事なのか?

韓国文化財庁のもとに国立無形遺産院という組織は、無形文化遺産の記録を保存するために、デジタルアーカイブで映像記録の保存活動を行なっている。2016年に撮影したというその燃灯会の映像をみると、それはもはや仏教行事でも何でもなく、ただ人々が朝鮮時代の韓服を来て、手に手にさまざまな形の提灯や蓮の花の作り物をもち、人々が大通りを埋め尽くし、練り歩き、歌い踊り、いわゆるマダン(お祭り広場)を形作っている。

これが仏教行事だとしたら、仏教国のタイやミャンマー、それにチベットでも見ることができない、熱狂的な仏教信者の壮麗壮大な大法会ということになるだろうが、こんなに雑駁で、ケバケバしく、騒がしい祭りは、おそらく仏教本来の静寂さ、執着を断ち切り、空=悟りの境地を求める仏教の精神からは、はるかに離れた、対極の存在といってもいい。仮に彼らがみな仏教徒だとしても、おそらく4月8日の釈迦誕生日以外には、仏様のことは思い起こすことはない、その程度の信仰の持ち主ではないか。

国立無形遺産院は、燃灯会について「宗教を超えた全ての人々の祭り」と称している。つまり、そう説明する時点で、もはや仏教行事ではないことがわかる。国立無形遺産院デジタルアーカイブが作った映像を見ても、僧侶が出てきて仏像に水をかけるシーンはあるが、人々の祈りというシーンは全くと言っていいほど見られない。そしてその映像が巧みなのは、人々の集まりや活動の輪の中に必ず西洋の外国人(黒人やアジア系ではない)の姿を映し、あたかも、その行事が世界から注目され、高く評価されていることを印象づけることだ。


燃灯会は、釈迦の生誕を祝い、旧暦の4月8日を中心に行なわれる。日本では、明治以降「花祭り」という名称で呼ばれるようになったが、それ以前は中国でも日本でも灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、降誕会などと呼ばれた。灌仏会の「灌」とは「そそぐ」という意味で、「灌沐(かんもく)」(水を注ぎ洗い清める)といって、日本では水盤の中の小さい金銅の誕生仏の像の頭上に甘茶を灌(そそ)ぐ儀式となっている。

仏教が中国に伝来して以降、釈迦の生誕日は旧暦の4月8日とされるようになり、釈迦誕生を祝う儀式は、中国起源であることは間違いなく、北伝仏教の中国、朝鮮、日本では形式に違いはあっても共通に存在する。

釈迦誕生日を祝う行事は、朝鮮半島には、統一新羅の時代に伝わったが、高麗時代には「燃灯会」という名で国家儀礼として行なわれたという。韓国のメディアは、燃灯会は、1300年以上の伝統を持ち、韓国の代表的な仏教行事として連綿として行なわれてきたというが、本当だろうか?

仏教を国教とした高麗時代には、春の燃灯会と秋の八関会(はちかんえ)という仏教行事が二大国儀として行なわれた。八関会は、本来は入信者に八戒を授ける仏教儀式だったが次第に仏教色はうすれ,土俗的な神をまつり、収穫を祝う祭礼に変わったといわれる。八関会が王都の祭礼であったのと違い,燃灯会は、農村の火祭り行事に結びつき,全国の農村に広がり、民衆が行う春のまつりとして民俗化していたという。しかし、李王朝になると、国家行事としての燃灯会や八関会は廃止された。仏教を排斥し儒教を国教として重んじるためで、すでに仏教色は薄れ、土俗化したはずの燃灯会や八関会さえ徹底的に排斥したのである。

「八関会」 世界大百科事典の記述>

文化財庁の国立無形遺産院の解説によると、李氏朝鮮時代は、国家儀礼としての燃灯会は消えたが、主に農村などで農繁期を終えたあとの遊びや宴会を加えることで、宗教的儀式を越えて楽しむ祝日行事として定着したという。

李王朝が仏教を迫害したことを、国立無形遺産院の解説は「抑佛崇儒」(仏教を抑制し儒教を崇敬する)政策と表現しているが、実際は、「抑制」などといった程度の話ではなく、徹底的に仏教を排斥し、寺院はすべて漢陽(現在のソウル)の城外の山岳地帯に追いやり、僧侶はすべて漢陽を敵から守る僧兵として周辺の山寺に配置したのである。

高麗時代の燃灯会は、いずれにしても李氏朝鮮時代には500年あまりにわたって、ほぼ断絶したのである。今回のユネスコ無形遺産への登録にあたって、そうした500年間の断絶と燃灯会の本来の由来である仏教そのものがその間、徹底的に排斥された歴史については、まったく触れていない。

つまり、燃灯会の無形遺産登録には、1300年も連綿と続いてきた伝統行事だと称する嘘と、500年の断絶についてはいっさい隠す歴史の隠ぺいが含まれているということだ。


ところで、燃灯会が今のような提灯を掲げる祭りになったのは、日本統治時代になってからだった。国立無形遺産院の解説には、日本のことはひと言も触れていないが、その経緯について「近代的な学校が作られ、その開校記念日や卒業式で提灯が掲げられ、4月8日の釈迦生誕日に街を提灯行列が行なわれた」のが最初だと説明している。近代的な学校を作ったのは間違いなく日本だ。

その後、「燃灯会が提灯行列を備えた近代的な祭りの様子を見せ始めたのは、1955年ごろからだ」ともいう。

1975年には大統領令で「釈迦誕生日」が祝日に指定された。余談だが、2017年には、この「釈迦誕生日」という祝日の名称を「プチョニム(仏様)がいらっしゃった日」に変更することが決定された。その理由だが、釈迦という言葉はインドの特定民族を指す言葉(シャカ族)で仏を意味する言葉にはふさわしくないという韓国仏教界の要請に従ったという。それを言うなら「プチョニム」という言葉の方が誰を指すのか皆目わからないことばではないか?

<聯合ニュース17/10/10「韓国政府が「釈迦誕生日」の名称変更決定 仏教界の要請受け」

それはさておき、燃灯会は国家の祝日に指定されることで、「名実ともに全国民がともに祝う祝日となり、祭りとして成長した」という。本当か?キリスト教や儒教の信徒まで仏様の誕生日を祝うのだろうか。いずれにしても、祝日化によって燃灯会の脱宗教化がいっそう進んだことは間違いない。

国立無形遺産院の解説資料には、1962年当時の「燃灯行列」の配置と山車の様子を描いた図を掲げている。それを見ると、何と提灯やフロートが乗せられているのはトラックで、要するにこれより古い燃灯会の実際を記録した記録がないから、こんな手書きの子供が描いたような絵を載せたのであろう。

何が言いたいかというと、燃灯会の行事といっても、せいぜい1960年代に始まった行事に過ぎず、いまのような派手な行事になったのは、1990年代に至って燃灯会を専門とする組織「燃灯会保存委員会」が発足した以降だとされる。そして、現在の燃灯会のパレードで、もっとも目立つ存在になっている様々な形をかたどった山車、灯籠が出現したのはせいぜいここ20年の間の動きだと韓国人自身が話している。しかも、その山車の製作方法もデザインも青森のねぶたや黒石のねぷた祭りの山車とそっくりで、ねぶたまつりを模倣、剽窃したものではないかという疑問の声が出ている。ねぶた祭りは室町時代に起源をもつお祭りだと言われる。<WWUK TV12/17「ユネスコ、間違った判断を下す」


ところで、今回のユネスコ無形文化遺産の登録を受けて、韓国文化財庁のジョン・ディスク庁長は「ユネスコ登録で、国家間の理解増進と和合のきっかけにならなければならないが、最近、そうではない事例が現れている。燃灯会の和合と相互理解の精神が、多くの国家に共有されることで、国家間の葛藤の解決にインスピレーションを与える」とコメントしている。「理解増進と和合ではない事例」とは、いわゆる「軍艦島」のことを指しているのだと思われるが、仮に燃灯会が和合の精神を体現しているとするなら、韓国がまず示すべきは北朝鮮との和合、民族和解の姿ではないのか?

いずれにしても、「燃灯会」という、こんな歴史の浅い民間行事、しかも釈迦の誕生を祝う行事といいながら仏教の本来の精神とはほど遠く、あえて脱宗教化を図った行事、その裏には、明らかに国家の意図が垣間見え、政治目的で何か演出しているようにしか見えない人工的な祭りを、人類の無形遺産などとして指定していいのだろうか?大いに疑問と言わざるをえない文化遺産登録だろう。