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ワンダーウーマン1984 ネタバレ感想

2020.12.21 13:47

子供の頃の嫌な思い出がある。


従兄弟の家の新築祝いパーティをやるというんで、俺は家族と一緒にその家に赴いた。

従兄弟の家は3階建てエレベーターつき、屋上でバーベキューまでできるという大層な代物だった。



入った瞬間、親戚達とオレの衣服の金のかかりようの違いを敏感に察知し、居心地の悪い思いをしていた訳だが、せめて美味いモノでも食べて気を紛らわせようとしていると、やたら偉そうなオッサンのスピーチが始まった。

内容は、パーティにお呼ばれされた人間達がこういった素晴らしいお仕事をされてますということを恭しく紹介するものだった。

やれ会社経営者だ、医者だ政治家だと誇らしげなスピーチの最後の最後で、オレの両親の紹介になった。

そこでその偉そうなオッサンは、わかりやすく困惑して


「え〜他、様々な方がお見えになっています」と、抜かしやがった。


他、とオレの家族はまとめて扱われた訳だ。



その発言の後のあの、腫れ物を触るような、緩慢な気恥ずかしさがいつまでも漂い続けているような空気が余りに不愉快でオレはパーティを抜けて家に帰った。



完全に逆恨みだがこの体験からオレは金持ちや煌びやかな連中が基本的に嫌いだ。


断っておくと金持ちは善良な人間達が多い。

明るくてユーモアがあって、一緒にいて楽しくて困った時は力になってくれる。


彼らの中には、困難な状況から自らの努力で這い上がったタフ達もいるだろう、

「お前の気持ちもわかるよ!」そう言って同じ目線で気持ち汲んでくれる奴もたくさんいると思う。


曲がりなりにも自営業6年もやっといていつまで弱者ヅラしてんだ、という自己反省もあるにはある‥

でも‥それでもなんか‥嫌なものは嫌だという気持ちを消す事は出来ない‥

あの時軽んじられたという屈辱は一生心に残るかもしれない‥







と、いう訳で「ワンダーウーマン1984」のネタバレ感想です。

※子供の頃の思い出からスタートするのは今作へのオマージュです。


昔のペプシのCMでこんなのあったなって感じのアスリート大運動会から美しく荒唐無稽なセミッシラの景色が続き、掴みでいきなりワクワクする。

※昔こんなのがあった。



リアリティ云々おいといて、神話の如き圧倒的な存在感で画面を支配する事で、「無茶苦茶だろうとあるんだからしょうがないだろう」という気持ちにさせられるこの冒頭は最高だった。


「近道は真実にたどり着けない」とジョジョの奇妙な冒険みたいな説教を子供の頃のダイアナがくらってセミッシラのターンが終了し、80年代のアメリカへと舞台は変更、本筋がスタートする。



ドラマオマージュのファッション、インビジブルジェット、真実の縄によるスイング、当たり判定が異様にでかいスライディング攻撃と楽しい要素盛りだくさんで150分があっという間にたち、強いだけではない、人間への信頼と慈愛に満ちた見事なヒーローぶりを観せてもらった。




今回のダイアナことワンダーウーマンは本当に完璧だった。

ガルガドットの美貌はさらに研ぎ澄まされ、その美しさが欠けるようなカットは一切なかった。

しかも美しいだけで無く、軽薄短小な80年代の空気に合わせたチャーミングな演技、トレバーを前にした子供のような表情、中東でのカチコミの時の凛々しい顔と出ずっぱりなのに全く飽きさせない大変に見事なものだった。

特に、クリスパインのあの澄み切った青い瞳と安らいだ顔のガルガドットが同時に画面に収まるベットシーンのカットは、人間の究極的な美しさだと思う。

強く、美しく、チャーミング、まさに完璧なヒーローだった。


そしてさらに、今回のワンダーウーマンはこの完璧さに傷の入るような私情を原因とした大きな悲しみを背負う事になる。


コレが、本当にずるい。



完璧な存在は疎まれる、何故ならあまりに親近感が無いからだ。



コミックスファンや映画館に初日に行くような連中の99%は絶対にセレブでは無いし、街の不良を返り討ちにした武勇伝も持っていない。

だから神の力を持ち、時には生死すら覆すようなヒーロー達はクリエイター達にせっせとナイーブな設定を盛り込まれ、読者や視聴者の目線に立とうとする。


人間的な不出来さも備えた今回のワンダーウーマンは本当に、誰しもが愛す完璧なヒーローだった。



本当に、嫌味なくらい完璧だった。


最後の戦闘でチーターは言う

「そうやっていつも見下している」、と。

※一回しか見てないからちょっと違うかも


ワンダーウーマンの立場からしたら「いや勝手に僻んでるだけやん」といった所だが、今作のワンダーウーマンは多くの作品でそうであるようにこういった場合も悪態をつくことも無く、正義の味方として模範的な対応でチーターを御する。


今回オレが1番感情移入したのはチーターことバーバラ・ミネルバだった。

今回のチーター、途中でバーバラが陸上選手みたいなダッシュするシーンが、リンダカーター版っていうより没になったドラマワンダーウーマンのトレイラーっぽい気がして、なんか偽ワンダーウーマン感が今作は強かった。

※個人的な印象です。



「憧れは理解から最も遠い感情だ」というBLEACHの明言を彷彿とさせる悲しきヴィラン、多くの感想と同じくバットマンリターンズのキャットウーマンを思い出させた。


しかしバーバラに用意された1984年の舞台は、ある種あの倒錯的なバートンの箱庭より住みづらく、残酷な世界だったと思う。


そもそも、「願いの代わりになにかを奪われる」というドリームストーンのルールは、多くを持っている人間のほうが有利だ。

ダイアナはトレバーを生き返らせる為に自らの能力を弱めた。


弱めたけど、それでもダイアナは美しいし、飛行機消したり、弾丸弾いたり出来る。



「ダイアナちょっとズルくない?」、という気持ちはどーしても出てしてしまった。




それが持って生まれた素養の違いだという残酷な事実込みでどーしても思ってしまう。


僻みだろうとなんだろうと嫌なモンは嫌だし、そもそも彼女が願いを取り消し、言うところの「真実」に辿り着くために、一体どれだけの時間とさらなる困難があるのだろう。


ダイアナが捨てた力は世界を救うために必要な能力だが、バーバラが願いを叶える為に捨てた優しさは、今のところあまり発揮するところが無い。


願いを取り消せば、これからも意中の男にシカトされ、ウケようと話をふったら滑り、酔っ払いに絡まれる人生を歩み続かないといけない。


この立場で近道は良くない、というのはあまりに可哀想じゃないか。



ダイアナもそりゃ可哀想だが、ダイアナの犠牲が最愛の人なのに対してバーバラは自分の人生の尊厳そのものがかかっているんだ。


あるのか全然わからんけど、3作目でこの辺の掘り下げあったらいいなと思う。


そんなモヤっとした気持ちはあるにはあったが、じゃあこの映画つまんなかったかと言えばそうでは無い、前述した通り画面がとにかく美しく、内面は色々あるとは言え、コレはちょっと分かり合えんかな、、と思うギリギリのラインのダイアナのメンタルは普遍的にイメージするDCヒーローっぽくはあったと思う。


あえて言ったらせっかくのあのアーマーだし、もっと神々しいシーンが欲しかった。


冒頭のセミッシラのシーンがとてもよかったので、夜間の地上での戦闘に終始したのはちょっと残念だった。


総括すると、「ちょっとな〜友達にはなれないよな〜でもめっちゃ頼りになるし、いい人なんだよな、たまに会うとやっぱ楽しいしな〜」という微妙な距離感の人と久しぶりあったような気分になった。というのが、オレの「ワンダーウーマン1984」の感想です。

結果すごいワンダーウーマンっぽい映画だった気がする。


徳永ラウェイ 



コツを速攻で掴んでそうなワンダーウーマン