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黒子屋  KUROKOYA

コーチになったきっかけ

2020.12.23 15:05

コーチ仲間の釘崎隆充さんから

「コーチになるきっかけで記事を書きませんか?」というお題で

アドベントカレンダー

という面白い企画の募集があったので乗っかってみました。


コーチングに出会ったのは2010年ごろ。

その何年か前から、私は実家の祖母を会社でそれなりの立場だった親に代わって介護しており

実家と自宅の往復。誰にも会わない話さない。 そんな生活をしてました。

気晴らしに何となく参加したイベントで仲良くなった方が

「このままだと鬱になるから1日だけ私の参加しているイベントに一緒に行こう」

と初対面なのにいきなりお誘いしてくれたのが、きっかけ。

実はそれすらもかなり迷っての参加。

理由は時間もだけれど、初対面でよく知らない人に誘われた・・・それってアリ?

怪しくない?詐欺とかだったらどうしよう・・・

という気持ちと、やっぱりお金が大きなネックに・・・


その会場は地元でも老舗 大正ロマンあふれる建物の某高級旅館 

「お母さんのためのコーチングセミナー」という名前の

NLPを主流としたコーチングでした。

月一 お母さんならいつでも参加OK ドタキャン・ドタ参加OK

という緩い会で、田舎だからこそある介護のストレスがずいぶん緩和され始めたころに

「ストレングスファインダーって知ってる?今度講師を呼んで開催するからどう?」

と一緒に学んでいる仲間が声をかけてくれ・・・


正直その時の講習代私にはとっても高い物でした。

祖母の介護で実家から払われる金額は、1週間で5千円。

それは食費に割り当てていたので、自分が自由にできる金額は、

食費をカツカツに切り詰めての月一セミナだけ・・・

そこに!私に悪魔のささやきが! 


「タンス貯金している子供用緊急貯金に手ぇ出しちゃいなよ~」

「あいつらアホの子だから病気になんてならないよ~」

(いやほんと生まれてからほどんど病気になった事がなかったです)

という事で悪魔に魂を売り渡すつもりで申し込みをしたら・・・


出会っちゃったんですよ。

私の人生をめちゃくちゃ大きく変えた人達に

日本でストレングスを解説させたら右に出るものなし

自称 喋るロードローラーのMコーチ・・・

(もう一人私の人生に深く関わる人に会うのですが、それはまた別の機会に)


何これ!面白い!私のコンプレックスが全部下位資質にある!

私がコミュニケーションを苦手と感じていたのは、そういいう理由だったんだ!

社交性がいま一つでいつも引け目に感じていたけれど、使えない資質だったんだ!

とそれまでコンプレックスに感じていた部分が全部理論的に理解できた瞬間

今まで自分を縛り上げていたものがスーっと消えていく快感☆彡

理論的に理解できると納得できるのは、私の学習欲が喜ぶからなんだ!


と大興奮のまま二日間が終わり すぐにMコーチに確認しに行ったんです

「私お金ないんですが、ストレングスコーチになるのはうんとお金がかかるけれど、

なるためにはどうしたらいいんですか?」

と突進していくと

「コーチングプラットフォームで開催しているFBCで学んで、

コーチになってお金貯めてからこちらに来ればいいじゃない」

まるで

「パンがないならお菓子をお食べ」的な返しが!


私、そういうところだけは素直なんです。

「そうなのか・・・どこからお金捻出しようかな?

移動費と宿泊代と食事代と大体これだけかかる・・・これが6回あるから・・・」

どうしようかな? どうしたらいけるかな? すぐにはちょっと無理だな・・・

と悩んで数年後の春。 9年間介護していた祖母が亡くなりました。

看取りまで介護していたおかげで

「本当は子の自分達がすることを、あんたがずっと面倒見ていたから」

と父と叔母から遺産の分け前でまとまったお金が!ポンと入ってきたわけです。

そこに祖母が亡くなってからすぐに出たパートの収入をプラス。

これだけあればしばらくは自転車操業確定だけど、東京に行ってストレングスコーチになるための第一歩が踏める!

Mコーチとのやり取りから数年たっていたのに「ストレングスコーチになりたい」

という熱は冷めておらず。やっと私の中で動き出した喜びで満たされてました。


見切り発車で2017/10にコーチングプラットフォームの第7期に参加。

学ぶために通い始めたわけですが・・・

現実はなかなかそうそう簡単には進まなかったわけです・・・(滝汗


とりあえず、コーチになるまでは長ーくなるので、

きっかけについてはこんな感じですかね?


今回はここまで。 また次回に~