サンタさんは誰だろう?
常時暖房が付けられており、寝室を出ても特別に冷えを感じることのない広い邸内を歩く。
目を覚ましたばかりのアルバートは朝早くから寝室のすぐ隣にあるドレッサールームへと足を運び、前日に届いたばかりの目当てのものを手に取った。
真っ白くふさふさしたそれを顎に当てるが、張りもツヤも申し分なく若さを感じさせる肌にはどうしても馴染まない。
だがこればかりはどうしようもないかと、アルバートは真っ白くふさふさした付け髭を身につけたまま、赤と白が彩りが印象的な帽子を被る。
「ふむ」
目深に被れば肌も隠れてそれらしく見えるだろう。
世間はもうすぐクリスマス。
モリアーティ家の長男であるアルバートは年の離れた可愛い弟達のため、子どもの夢であるサンタクロースに扮する準備をしているのだ。
忙しくしている両親の代わりを担うのは長男として当然で、しかもそれがサンタクロース役となれば面倒どころか誇るべき役割かつ義務である。
去年もウィリアムとルイスのためにサンタクロースになったアルバートは以前使っていたコスチュームよりも質の良いものを用意して、来るべきクリスマスに備えているのだ。
髭をつけ、帽子を被り、伸びた背の分だけ丈を新調した赤と白のサンタコートを手に取ろうとした瞬間、外から小さな足音が聞こえてくることに気が付いた。
時計を見れば思っていたよりも時間が経っていたらしい。
アルバートが帽子を取り、付け髭を剥がし、それらをクローゼットの奥へ見つからないように隠しているとちょうど小さなノックが聞こえてきた。
「お入り」
「にいさま、おはようございます…」
「にいさん、けさははやいんですね」
「おはよう、ルイス、ウィリアム。今日は生徒会で用事があってね、早く出なければならないんだ」
「そうなんですか…」
「おつかれさまです」
まだ眠たそうなルイスの髪を撫で、眠気はあれどスッキリした顔をしているウィリアムへとウインクを返す。
嘘ではないが、本当の目的は別にあることをウィリアムなら察してくれるだろう。
今の見た目は幼児そのものだが、彼はアルバートと同じく二度目の人生を歩んでいるようなものなのだから。
アルバートとウィリアムの脳には19世紀末の英国を生きた記憶が鮮明に残っている。
輪廻転生など信じていなかったが、実際我が身に経験してしまうと信じざるを得ないものだ。
己が犯した罪もそれに相応しい悲惨な死を迎えたことも覚えているし、生きていくために唯一の希望となっていた兄弟がいたこともよくよく覚えていた。
弟達よりも随分と先に生まれたアルバートはウィリアムとルイスをずっと探していたし、ウィリアムは生まれた自分を抱いたのがかつての兄であることに驚いたのだ。
二人は衝撃のままにコンタクトを取ろうとしたけれど、アルバートはともかくウィリアムは上手く喋ることが出来ず、思うように意思疎通が取れずにいたところでルイスが生まれた。
ふわふわした金髪と透明感のある赤い瞳に、幼くも整って愛くるしいその顔だち。
驚くほどに可愛い赤ん坊であるルイスを育て、ようやくウィリアムの口が回るようになった頃、二人の兄は互いに以前生きた記憶が全て残っていることについて共有する。
アルバートとウィリアムが感極まって思わず抱き合いながら想いを吐き出していると、二人の様子がおかしいことに不安を感じたルイスが大泣きしたのは良い思い出だ。
かつての兄弟のうち二人に記憶があるのならば、今世でも末の弟として生まれたルイスにも記憶が残っている可能性は高いと期待したのだが、どうにもそんな気配はないままルイスは無邪気に生きている。
優しいアルバートとウィリアムによく懐き、幼児らしく素直な甘えを見せる姿は以前のルイスとはその大胆さが随分と違う。
それでいて屋敷の使用人はともかく、他の人間には上手く関係を築けない人見知りが強いところはルイスらしさそのものだった。
この子は姿が似ているだけの別人ではない、間違いなく本物のルイスなのだとウィリアムとアルバートは確信している。
ならば以前の記憶がないのはむしろ都合が良いと、二人はルイスを無垢で無邪気なまま成長させようと特別可愛がって育てている最中なのだ。
ゆえにアルバートはサンタクロースになり、ウィリアムはサンタさんに会うのだと張り切るルイスを寝かしつける役目を担っている。
この時期に限らず普段からウィリアムとルイスは一緒に眠っているが、たまにルイスがウィリアムを連れてアルバートの部屋に潜り込むことがあった。
いや、たまにではなく週の半分は三人で眠っているだろうか。
そうでなくとも朝起きたら一番にアルバートの元へ行き挨拶をするのがルイスの可愛い習慣だ。
屋敷にいる間はほとんど三人一緒に過ごしているため、サンタの正体がバレないように試着をするには朝早く起きるしかない。
アルバートは途中になってしまった試着を気にすることなくルイスを抱き上げ、おはよう、と見えている額にキスをした。
「さぁ、着替えて朝食を食べに行こうか」
「はい。おなかすきました」
「今朝のメニューは何だろうね?ほら、ウィリアムもおいで」
「はい」
ルイスを抱き上げ、もう片手でウィリアムの手を引いてアルバートは部屋を出る。
温かいアルバートへ懐くように首筋に抱きつくルイスは甘えん坊な子どもそのものだが、ウィリアムの精神年齢はとうの昔に成人済みだ。
手を繋ぐというのも気恥ずかしいけれど、ウィリアムが同じように甘やかされていないとルイスも遠慮してしまうことが分かり、アルバートは純粋に年の離れた弟としてウィリアムを可愛がっているのが伝わってくるから、今では抵抗なく手を繋ぐようになった。
二人の兄が手を繋ぐ様子を見て満足そうに笑うルイスを見上げ、ウィリアムは優しく笑みを返す。
だいすきな兄さんと兄様の仲が良いのはルイスにとって嬉しいことなのだ。
記憶はないけれどやはりルイスの本質は変わりないのだと実感するようで、ウィリアムとアルバートは朝から心が癒された。
「いってらっしゃい、にいさま!せいとかい、がんばってきてください」
「あぁ、行ってきます。帰りは私が迎えに行くから待っておいで」
「わかりました。おきをつけていってきてください、アルバートにいさん」
「お二人の送迎までには戻りますのでしばしお待ちください、坊ちゃん方」
「「はい」」
食事を終えてコートを羽織ったアルバートはゆっくりすることもなく、すぐに執事であるジャックとともに屋敷を出た。
普段なら幼稚舎へ行くウィリアムとルイスとともに出るのだが、今日はそれだと間に合わないらしい。
「にいさん、せいとかいってなんのおしごとなんですか?」
「せいとかいはね、がっこうのだいひょうとして、みんなのためにいろいろなことをしてくれているんだよ」
「にいさま、みんなのだいひょうなんですか?すごいです!」
「そうだね、すごいねにいさんは」
急いで学校へ向かうアルバートの後ろ姿を思い出し、ルイスは責任感ある兄が格好良いとはしゃぎながら赤い瞳をキラキラさせている。
さすがにいさまです、という姿が以前の弟と重なって見えるような気がした。
「さぁ二人とも、準備は出来ましたかな?行きましょう」
「はい」
「ルイス、そとはさむいからちゃんとマフラーをまいておこうね」
「ん…ありがとうございます、にいさん」
言葉の通りジャックはすぐに帰ってきた。
まだ時間に余裕はあるが向かってしまおうとジャックが二人を促せば、ウィリアムとルイスは素直に身支度を整える。
二人でお揃いのダッフルコートを身につけ、ルイスの首元には雪のように真っ白なマフラーを巻き付ける。
玄関を出てすぐに車をとめてあるが、一瞬でも寒い思いをしないよう冬のウィリアムは献身的にルイスの支度を整えるのが習慣になっていた。
今のルイスは心臓も悪くないし子どもらしく体温は高いのだが、以前のルイスが持っていた冷たい体を思うと行動せずにはいられないのだろう。
ふわふわのもこもこになったルイスを満足げに見て、ウィリアムも同じく真っ白いマフラーを巻く。
同じ衣服を着ているとますます双子のようにそっくりな兄弟に見える。
ウィリアムがルイスに過保護なところも彼らがよく似た兄弟であるところも昔と変わらないなと、ジャックは自分の膝程度しかない小さな二人のやりとりを見つめては屋敷の扉を開けた。
「おはようございます、ウィリアムくん、ルイスくん」
「今日も仲良しさんですねぇ二人とも」
「おはようございます、パターソンせんせい、ヘルダーせんせい」
「…おはようございます」
そう長くない距離を快適な車の中で過ごし、外に出る前にもう一度ルイスのマフラーがしっかりと巻かれていることを確認してからウィリアムは外へと出る。
ルイスと手を繋ぎながら幼稚園の門を通ると、ルイスが在籍するいちご組の担任であるパターソンとヘルダーが出迎えてくれた。
ウィリアムとアルバートには全力で甘えるルイスだが他の人間にはまだ人見知り真っ最中のため、今も挨拶をしながらウィリアムの後ろに隠れて様子を窺っている。
その幼い仕草に胸をときめかせながらウィリアムはルイスのマフラーを取り、コートのボタンを外してあげた。
「では私はもう行きます。帰りはアルバート様が迎えに来るようなので、来られるまでお待ちください」
「わかった。ありがとう、ジャック」
「行ってらっしゃい、ジャックさん」
「二人は私達にお任せください!」
「頼みましたぞ」
送ってくれたジャックを見送り、ウィリアムは温かい空間で身軽になったルイスを連れていちご組へと向かう。
ふくふくした手を握りしめて隣を見れば機嫌良さそうに口元を緩める弟がいる。
幸せだなぁとウィリアムがしみじみ実感していると、遠くから騒々しい声と足音が聞こえてきた。
ルイスは少しだけ怯えたようにウィリアムの手をぎゅうと握りしめては眉を下げる。
「こらぁシャーロック!私の靴にどんぐりを詰め込んだのはあなたね!?」
「おれからのプレゼントだよ、ハドソンせんせい!」
「限度があるわよ!靴からあふれてるじゃないの、もうっ!」
「あっリアム!はよ!」
「…シャーロックくん」
だんだん近付いてきた音の正体は、朝からイタズラを仕掛けたシャーロックが担任のハドソンに追いかけられているものだった。
元気よく走り回るシャーロックには以前の記憶がない。
けれども本質とその頭脳は健在のようで、4歳児にしては並外れた知能を持っている。
惜しむべきはその知能をイタズラにしか使っていないことだろうかと、ウィリアムは呆れたようにシャーロックを見てはその名前を呼んだ。
「リアム、あっちいってあそぼうぜ!」
「ぼくはルイスをいちごぐみにつれていくので」
「そっか、じゃああとでな!」
「こらぁ待ちなさいってば、シャーロック!!」
「…むぅ」
ルイスはシャーロックのことがすきではない。
以前はともかく今回はさほど嫌う要素はないはずなのに根本的な性質が合わないらしく、ウィリアムと同じクラスで過ごすシャーロックには良い顔をしないのだ。
今もムッとしたように唇をツンと尖らせていた。
拗ねたように表情を変えるルイスは分かりやすくてとても可愛らしいと、ウィリアムはしみじみそう思う。
以前よりも感情表現豊かなルイスの姿はウィリアムの心を堪らなく揺さぶるのだ。
「ついたよ、ルイス」
「…にいさん、ぼくもにいさんといっしょのクラスがいいです」
「え?」
「ぼくもりんごぐみ、いきたい…」
「ルイス…!」
「にいさん…!」
ウィリアムはいちご組の前までルイスを送り、繋いだ手を離そうとするけれど逆に強く掴まれてしまう。
寂しそうに眉を下げるルイスがあまりにも可愛くて思うままに抱きしめていると、温かい体温に加えて甘い果実を思わせるルイスの匂いが強く香ってきて、五感から気持ちが満たされるようだった。
素直に感情を吐露する姿は何度目にしても新鮮に可愛らしい。
「はいはーい、ウィリアムくんはりんご組ですからね。ハドソン先生に怒られてしまいますよ、早く行きましょう!」
「ルイスくんを連れてきてくれてありがとう。遅れないようにりんご組に向かいなさい」
「やー、にいさん!」
「ルイスっ…」
今生の別れを思わせる力強い抱擁で心ゆくまで可愛いルイスを堪能していると、無情なヘルダーに引き離された。
腕の中から愛しい温もりが消えたことを惜しく思うけれど、嫌がるルイスもそれはそれで可愛くてついつい静かに見入ってしまう。
だがすぐにパターソンに背中を押され、自分のクラスでもあるりんご組へと向かうよう促されてしまった。
大丈夫ですよ、と目配せをするパターソンはウィリアム同様、以前の記憶があるらしい。
一つ下の弟を過度なまで溺愛するウィリアムを訝しむでもなく受け入れており、ルイスが無垢なまま生きているのならばそれで良いと考えているのだ。
「ルイスをよろしくね、パターソン」
「御意に」
周りに聞こえない程度の声色でかつてを思い出させる会話をする。
そうして名残惜しげにルイスを見つめてから、ウィリアムは自分が在籍する教室へと向かっていった。
「ウィリアムにいさん…」
閉まった扉をしょんぼりと見たルイスはそれ以上ゴネることはなく、寂しそうな顔でポツンと立っていた。
元々賢い子だから、どんなにわがままを言ったところで叶わないことは理解しているのだ。
それでも言わずにはいられないのだろうと、子どもらしいその様子にパターソンは癒しを覚える。
かつてのルイスも整った容姿ではあったが、少なくともパターソンにしてみれば癒しとは縁遠く緊張感漂う美貌の持ち主だったから、無邪気に兄を慕う子どもの姿は純粋に可愛らしいと思うのだ。
ヘルダーも同じく癒されているのか、目線を合わせるためにしゃがみ込んで寂しそうなルイスの両手を取っていた。
「さぁルイスくん!先生と一緒に遊びましょう!」
「…や。パターソンせんせいがいいです」
「えっ!そんなっ」
ルイスの言葉に衝撃を受けたヘルダーはその場に膝をついてルイスの手を離してしまった。
それを良いことにルイスはすぐ近くにいたパターソンの手を取り、背の高い彼の後ろに隠れてヘルダーを見る。
大袈裟に悲しがるヘルダーを警戒するようにじっと見ているルイスは、何故だかこの幼稚園においてヘルダーにだけは一切懐かない。
いちご組の担任であるパターソンにも、園長であるレストレードにも、兄が在籍するりんご組の担任であるハドソンとアイリーンにも、完璧ではないがそこそこ心を開いてはいるのにヘルダーだけは例外だった。
嫌っているわけではないようだが、どうしてだかルイスは常にヘルダーを警戒して距離を取っているのだ。
今もパターソンの後ろに隠れ、少なくともヘルダーが腕を伸ばしても届かない距離をキープしている。
そうして、いつになったらルイスくんは先生に慣れてくれるんですかねぇもう出会って半年以上経つのにいつまで経っても仲良くなれないなんて先生悲しいですとても悲しいと、めそめそ泣き言を言うヘルダーを観察するようにじっと見た。
だが次第にそれも飽きたのか、ルイスはパターソンの腕を引いてはピアノを弾いてほしいとねだってくる。
「何を弾こうか。リクエストはあるかい?」
「ジングル・ベルがいいです」
「了解」
ルイスのお望み通り今の時期にぴったりのクリスマスソングを弾いてあげると、復活したヘルダーと他の園児達が声を揃えて歌い出す。
元気よく聞こえる声は今日一日の幸先を暗示しているようである。
他の園児のように歌うことはないが、ピアノのリズムに合わせて体が揺れているところを見るに、パターソンの演奏はルイスのお気に召したらしい。
だがそんな中でもルイスは決して油断せずヘルダーからは確実に距離を取っていた。
ルイスに以前の記憶はないと聞いているが、もしかすると以前しでかしたヘルダーの所業が記憶のどこかに根強く残っているのかもしれない。
今のヘルダーは幼児教育のプロフェッショナルだが、かつては有能な科学技術開発者兼武器オタクだった。
妙なものを開発しては同志達を実験台にしていたし、ルイスも若返りの秘薬に関する被害を受けていたはずだ。
嫌な記憶がモヤがかったまま今も根強く残っているからこそ、無意識にヘルダーへの警戒が解けないのだろう。
どうやらルイスは無邪気な姿と平和な現代社会に似つかわしくない、優れた勘を持ち合わせているようだ。
ルイスと同じく以前の記憶などないヘルダーには気の毒なことだが、それもまぁ自業自得か。
そう考えながらパターソンはルイスの期待に応えてジングル・ベルの再演奏を始めていた。
幼稚園での一日を終え、ルイスはお気に入りのダッフルコートを手に取った。
ふわふわのそれはウィリアムとお揃いで、小さな手でもボタンをはめられるようにとアルバートが選んでくれたものである。
朝はウィリアムが着せてくれるけれど、ちゃんと自分でも着られるのだ。
ルイスはふくふくした指で大きなトグルボタンをはめ、綺麗に着れたと鏡の前で得意げにすまし顔をした。
「ルイス、おまたせ」
「あ、にいさん!」
「もうコートをきているんだね」
「ちゃんときられました」
「そうだね、よくにあっているよ」
ボタンの掛け違いなくダッフルコートを着こなしているルイスを見て、ウィリアムは優しく微笑みながら自分のコートを手に取った。
袖を通してボタンをはめようとすればルイスが代わりにはめてくれる。
人形のように小さな手が器用に動く様は見ていて思わず感動してしまう。
子どもの成長を目にした母親はきっとこんな気持ちを抱くのだろうと、ウィリアムは今の自分が子どもであることを忘れ、ルイスの保護者として胸を打たれていた。
できました、と誇らしげに言うルイスを褒めるべく強く抱きしめて、ありがとうと言ってあげれば嬉しそうに笑う声が聞こえてくる。
「にいさま、そろそろおむかえにきてくれますか?」
「あとすこしできてくれるとおもうよ。すこしまっていようか」
マフラーはアルバートが来てから巻けば良いだろうと、ウィリアムはルイスの手を引いて近くの椅子へと腰掛ける。
ふわふわもこもこ姿の幼い兄弟は、部屋の隅で今日一日にあったことを楽しそうに報告し合う。
どうせ家に帰ってもアルバートに同じことを話すのだろうが、ルイスにとってウィリアムとアルバートにそれぞれ話すことが重要なのだろう。
小さな口で懸命に話そうとするルイスを見つめ、ウィリアムは優しく相槌を打ちながら互いの手を握りしめた。
「きょうはサンタさんへのおてがみをかいたんです。パターソンせんせいがサンタさんにわたしてくれるっていってました」
「ぼくもおてがみをかいたよ。ルイスはプレゼントになにがほしいの?」
「いっぱいのえほんがほしいですってかきました!」
アルバートにいさまによんでもらうんです、と嬉しそうにサンタからのプレゼントに思いを馳せるルイスは純粋にクリスマスの奇跡を信じている。
既にルイスの欲しいプレゼントはリサーチ済みだが、その内容に変わりないことにウィリアムは安堵した。
最近のルイスはウィリアムとともにアルバートに絵本を読んでもらうことがお気に入りだ。
絵本を数冊持って行き、アルバートの膝の上に乗って「よんでください」とルイスがねだれば弟を溺愛するアルバートが拒否することはない。
おかげで字も読めるようになったし言葉の意味もたくさん覚えている。
以前のように知識を貪る姿は懐かしく、ルイスが持つ知識欲と甘えを存分に満たせる環境を生きることはウィリアムがルイスに何より求めていたことだ。
アルバートも張り切ってルイスのために数十冊の絵本を注文していたし、クリスマスの日の朝にルイスが見せる反応が楽しみで仕方がない。
「サンタさん、ぼくにもプレゼントくれますか?」
「もちろん。ルイスはいいこだから、きっとたくさんのえほんをくださるよ」
「ふふふ。えほんいっぱいもらったら、にいさんもいっしょによみましょうね」
「ありがとう、ルイス」
「ぼく、サンタさんにあいたいのでイブのひはよふかしするんです」
「アルバートにいさんとジャックにおこられてしまうよ」
「ないしょでおきてるんです。にいさん、ないしょにしててください」
「えーどうしようかなぁ」
「おねがい、にいさん」
どんな絵本が貰えるのかとそわそわするルイスだが、それ以上に今年はサンタクロースに会うのだと張り切っている。
それを阻止して寝かしつけるのがウィリアムの役目なのだが、ルイスはそれを知らないのだ。
いっしょにおきててくださいとお願いするルイスが可愛くて、からかうように素知らぬふりをしてみせれば、素直にからかわれたルイスがウィリアムの腕に抱きついて懇願する。
一人では起きていられないし、アルバートとジャックに夜更かしを怒られるのは嫌だからウィリアムに共犯になってほしいと願うルイスは中々の策士だ。
ウィリアムに以前の記憶がなければ喜んで共犯になっただろうし、むしろ一緒になってサンタを捕まえようとしていたかもしれない。
せめて口先だけでも幼いルイスの味方になってあげようと、サンタ側のスパイであるウィリアムは口を動かした。
「じゃあイブのよるはいっしょによふかししてサンタさんにあおうね」
「はい!」
ウィリアムの返事を聞いて嬉しそうにはしゃぐルイスはぴょんと椅子から飛び降りて、サンタさんにおちゃをだしてあげたいですと張り切っている。
周りにいる子ども達もクリスマスの話題一色で、サンタクロースはたくさんの子どもに夢を与えていることがよく伝わってきた。
幼いから今この世界が未だ歪んでいるのかどうかは分からない。
けれど、少なくともこうして自分が生きている狭い世界の中は夢と希望に満ちた素晴らしい空間だと思う。
目の前で夢いっぱいに胸をときめかせている可愛い弟は、苦痛を知らないまま生きている。
この世界こそがルイスに相応しいのだとウィリアムが実感していると、何故だか得意げな顔をしたシャーロックが近付いてきた。
「ルイス、リアム、おまえたちサンタにあおうとしてんのか?」
「そうですよ」
シャーロックのイタズラじみた顔に嫌な予感を覚えたウィリアムは椅子から立ち上がる。
ルイスはルイスで何となく毛嫌いしているシャーロックが近寄ってきたことに気付き、満面の笑みから渋い顔に変えてウィリアムの隣に隠れていた。
じっとシャーロックを見ては警戒心を露わにするルイスをものともせず、警戒されている本人はフフンとドヤ顔をして口を開く。
「おまえたちしらないのか?サンタのしょうたいはアニキなんだぜ!」
「え…」
「ちょ、シャーロックくん」
「オレしってるんだぜ。アニキがサンタなんだ!」
「…ほんとうに?」
「きょねんのクリスマス、ねるときアニキいなかっただろ?あれほんとうはサンタになってていっしょにいられないからなんだぜ」
「…」
「ルイス、シャーロックくんのじょうだんだからね」
「じょうだんじゃねーよ、リアム!ほんとうなんだからな!」
「シャーロックくん、すこししずかにして」
言ってくれたなこの野郎。
子どもらしくもなければ自分らしくもないことを脳内で言ってのけたウィリアムはあくまでも表情を崩さず、穏やかにシャーロックと向き合っている。
ちらりと気配を探ってみると、ルイスは驚きで大きな瞳を見開いてはシャーロックを呆然と見つめていた。
そういえば去年のクリスマス、アルバートとは一緒に寝ずウィリアムと一緒に寝ていたことをルイスは思い出す。
別にそれが珍しいことではないはずなのに、アルバートがサンタだからあの日は一緒に寝てくれなかったのだと言われてしまえば、そう思ってしまうのも無理はないだろう。
「る、ルイス」
「に、にいさまが、サンタさん…にいさまが…」
「シャーロック!おま、何を言ってるんだ!?」
「ジョン、きょうははやいな」
「早くない!何を言ってるんだおまえは!」
「むがっ」
帰り間際で子ども達がざわつき、ルイスが驚愕した顔で立ち竦む中に割って入ってきたのはシャーロックを迎えに来たジョンだった。
時計を見れば早いという時間でもなく、彼の通う学校が終わってしばらくした時間であることが分かる。
ジョンはシャーロックから衝撃の事実を知らされて驚くルイス以上に青い顔で、シャーロックの口を後ろから塞いでいた。
その顔はルイスを見ては更に青褪め、続いてウィリアムを見ては申し訳なさから項垂れている。
間違いなく彼はシャーロックの失言を聞いてしまっていたのだろう。
「違うんだ、ルイスくんウィリアムくん。シャーロックはちょっと妙な夢を見ただけなんだ」
「ゆめじゃねぇ!サンタはアニキだって、このまえジョンにもおしえただろ!」
「夢だろうシャーロック!サンタはいるんだよ、勘違いをするんじゃない全く!」
「だってオレちゃんとすいりしたぞ!アニキがサンタだってしょうこもあるんだからな!」
「証拠というからには明確な物的証拠を用意してから言え、ちょこざい探偵!」
「なんだとー!?」
シャーロックは「アニキがサンタなんだからなー!」と叫び、その口を塞ぎ切れなかったジョンは周りの子ども達とルイス、そしてウィリアムの視線を浴びながら居た堪れない気持ちのまま部屋を出る。
騒々しい部屋の中、他の誰よりも騒々しさを見せたシャーロックとジョンは漫才のようなコントを繰り広げながら去っていった。
ウィリアムはジョンが見せた恐怖と怯えと申し訳なさが混在した視線を受け、彼も苦労しているんだなとジョンの苦労を心の中で労っている。
だが今はそんなことよりも衝撃発言を聞いてしまったルイスのケアが何より優先だ。
兄がサンタなのだと叫んでいったシャーロックの言葉は、確実にルイスの幼い信仰心に疑惑という名のヒビを入れていた。
「ルイス…?」
「…にいさん、アルバートにいさまがサンタさんなんですか…?」
「そんなはずないだろう?にいさんはにいさんなんだから」
「でも、シャーロックくんがにいさまはサンタさんだって…」
落ち込んだ様子で言うルイスからはショックの大きさがありありと伝わってくる。
シャーロックを嫌っているはずなのに彼が持つ明晰な頭脳は信じているらしく、その言葉を疑い切れないルイスはとてもルイスらしい。
その人柄は受け入れがたくとも、彼の性質は信用するに値するのだろう。
感情だけで全てを否定しないルイスの良さを感じつつも、今だけはシャーロックの存在全てを否定してくれていれば良かったのにと思わざるを得ない。
今のウィリアムにとって一番の友人であるシャーロックよりも、最愛の弟が持つ無邪気さをそのまま生かすことの方がよほど重要なのである。
「にいさま…サンタさん…」
「ルイス…ちがうよ、にいさんはにいさんだよ」
「ウィリアム、ルイス、待たせたね。帰ろうか」
「アルバートにいさま…!」
「おや…?」
ざわめきが落ち着かず、ルイスのショックも癒やし切れない中で噂の的であるアルバートがやってきた。
事情を知らないアルバートは普段よりも騒々しい部屋に疑問を抱きつつも、クリスマスが近いからそんなものだろうと気にせず弟達の元へ足を進める。
だがいつもならアルバートが迎えにくるとすぐに飛び付いてくるルイスがおらず、可愛い末の弟はウィリアムの隣で佇んでいた。
ただ悲しそうに瞳を潤ませているルイスはアルバートを見上げるのみで、ウィリアムも戸惑ったように顔を上げている。
「ルイス、どうしたんだい?」
「にいさま…!」
「うん…?ウィリアム、何があったのかな?」
「それが…」
アルバートがしゃがみ込んでルイスと目線を合わせると、縋るように首元へと抱きつかれた。
甘えているというよりも悲しみを癒すような、アルバートを離すまいとしがみつく姿には違和感しかない。
ひとまず小さなルイスを抱きしめてアルバートがウィリアムに問い掛ければ、ルイスに聞こえないよう小さな声で耳元へと答えを返された。
「(…シャーロックが、サンタのしょうたいはあになのだとルイスにいってしまいました)」
「…なるほど。それはまた…」
余計なことをしてくれたものだなと、声には出さずに心の中で呟いたつもりだったが、表情だけでウィリアムには伝わったらしい。
同意見だとばかりに頷く姿が目に入る。
シャーロックの兄は今も昔もあのマイクロフトしかいない。
かつて歩く英国政府だと謳われたほどの有能かつ愛国心のある彼は、現在は気ままにその頭脳を使って学生の身ながら起業している人間だ。
そんな並外れた頭脳を持つマイクロフトは彼なりに愛情を持って弟へ接しており、その愛情をシャーロックが今も昔も鬱陶しがっているのは変わらない現実である。
本業以外ではシャーロックをからかうことに全力を尽くす姿を思い浮かべ、アルバートは呆れたように深く息を吐いた。
マイクロフトもアルバート同様、シャーロックのサンタクロースになっていたのだろう。
だが愉快なことを好む彼のこと、敢えてシャーロックにサンタの正体を掴ませるよう仕向けたに違いない。
そしてマイクロフトの期待を裏切らず、シャーロックはサンタの正体に気付いてしまった。
それが衝撃発言までの大体の流れになるのだろう。
アルバートとウィリアムはホームズ家にあったはずの騒動に思いを馳せては実に余計なことをしてくれたものだと、シャーロックだけでなくマイクロフトへと呆れと苛立ちを向けていた。
「ルイス、もう帰ろうか。暗くなってしまっては花が見えなくなってしまうから」
「…ん」
「ウィリアム、おいで」
「はい…」
アルバートはルイスを抱き上げ、ウィリアムの手を引いて部屋を出る。
複雑な表情をしたパターソンとヘルダーに軽く視線をやってから門をくぐり、いつものようにルイスを下ろそうとした。
アルバートが迎えに来てくれるとき、ルイスはいつも自分の足で歩いて道すがらにある花をアルバートとウィリアムと一緒に見ようとしてくるのだ。
冬でも丁寧に手入れされて色鮮やかな花を見る姿は、かつて薔薇の世話を手伝っていたルイスの面影が残るようでとても癒される。
だから綺麗な花を見ればルイスの心も癒えるだろうとアルバートは考えたのだが、ルイスはアルバートから離れようとせず、いやいやするようにますます首筋に顔を押し付けては抱っこをせがんでいた。
「ルイス、今日は花を見なくて良いのかい?」
「きれいにさいてるよ。あかときいろがきれいだよ」
「…もうおうちかえる」
「…そうか。ではこのまま帰ろうか」
「ルイス…」
ルイスはウィリアムの声でちらりと花壇に目をやるが、すぐにアルバートの服に顔を埋めてしまった。
落ち込んだルイスを見てウィリアムも気落ちしたように瞳を伏せる。
その首元が随分と寒々しく見えて、アルバートはウィリアムにマフラーを巻くよう促した。
ルイスにも巻かせたいところだが、この様子では一瞬であろうと離れることを許してはくれないだろう。
仕方ないからダッフルコートに付いているフードを被せ、少しでも寒くないようしっかりと抱きしめてから屋敷までの道を歩いて行った。
「お帰りなさいませ、アルバート様、ウィリアム様、ルイス様。…おや、ルイス様はどうされましたか?」
「ただいま。…どうやら、嫌なことがあったようでね」
「ジャック、すこしはなれてもらっていいかな」
「それはそれは…かしこまりました。何かあればお呼びください」
「頼んだよ」
さほど距離のない道のり、アルバートを離すまいとしがみついていたルイスは慣れ親しんだ屋敷に付いてようやく顔を上げた。
ジャックの顔を見ては何も言わず、そのままアルバートに抱き上げられた状態で手を洗って彼の部屋へと向かう。
いつも絵本を読んでほしいとせがむソファの上に降ろされ、ルイスは隣に座ったウィリアムの腕を掴んで何か言いたげに口を動かしては何も言えずに顔を伏せて抱きついた。
「ルイス…?」
「…シャーロックくんがいったこと、ほんとうですか…?」
「ぼくはちがうとおもうよ。ルイスはぼくとシャーロックくん、どっちのいうことをしんじてくれる?」
「にいさん…にいさんはいつもただしいです」
「じゃあアルバートにいさんはサンタさんじゃないね」
「……」
いつもウィリアムが正しいと信じているはずなのに、妙にインパクトを与えたシャーロックの言葉を拭い切れないのだろう。
ルイスは可愛らしい顔に似合わない落ち込んだ表情を乗せ、反対隣に座るアルバートと向き合った。
「…アルバートにいさまはぼくのにいさまじゃなく、ほんとうはサンタさんなんですか?」
「まさか。そんなはずないだろう」
「でもシャーロックくんが、にいさまがサンタさんだっていってました…」
「何かの勘違いだろう。私はサンタではないよ」
「ほんとうに…?」
「あぁ」
おずおずとアルバートに問いかけるルイスに優しい嘘をついてから、アルバートは小さな体を抱きしめる。
それでもまだ納得していないのか、ルイスの表情は未だに晴れていない。
サンタという存在が偽りであったことをそれほどまでに悲しむなんて、ルイスの無垢な性質はとても純粋なようだ。
「にいさまはぼくのにいさまです…みんなのサンタさんじゃないです、ぼくのにいさまだもん」
アルバートに抱きしめられたルイスは寂しそうに声を出し、ぐりぐりと頭を擦り付けている。
その言葉を聞いたウィリアムは、確かにシャーロックは「アニキがサンタだ」としか言っていなかったことを思い出す。
あれはシャーロックのサンタクロースは彼の兄であるマイクロフトであるという意味だと無意識に判断していたが、ルイスはそう解釈していなかったらしい。
ルイスにとっての兄とはウィリアムでありアルバートである。
話の流れとしてウィリアムが当てはまらないのであれば、あの場で想定するのはアルバートしかいない。
そしてルイスがサンタクロースは一人しかいないと考えているのなら、アルバートこそがみんなのサンタクロースだと認識してしまうのも無理はないだろう。
サンタの正体がアルバートであることよりも、みんなのためにプレゼントを贈る人気者がアルバートだという事実こそが、ルイスにとっては何よりもショックなことなのだ。
アルバートは自分と、そしてウィリアムだけの人でいてほしい。
幼いなりに懸命な言葉を紡ぎ、聡明な二人の兄は言葉足らずなルイスの発言を至極的確に解釈していた。
「…ルイス!」
「にいさまぁ…」
「私はサンタクロースではないよ。私は君とウィリアムの兄なのだから」
「アルバートにいさま…」
「ルイス、ぼくがいったとおりだろう?にいさん、サンタさんじゃないって」
「…はい!」
あまりにも可愛いルイスの気持ちはしかとアルバートとウィリアムに届いていて、小さな体を思う存分に抱きしめられた。
二人の体温を感じながら優しく囁かれた言葉で、ルイスはやっと二人を信じることが出来たらしい。
落ち込んだ表情をようやく甘く可愛らしいものに変えてくれて、安心したようにアルバートへと抱きついた。
「にいさまはぼくのにいさまですよね」
「あぁ、勿論だよ」
「サンタさんじゃないですよね」
「あぁ、その通りだ」
「じゃあサンタさんのしょうたいはだれなんでしょう?シャーロックくん、すいりがはずれています」
「さぁ、だれだろうね」
「なんでもしってるにいさまとにいさんもしらないなんて、サンタさんはすごいひとなんですねぇ」
確認のようにアルバートを見上げるルイスの言葉に多大なる愛おしさと少しの罪悪感が過ぎるけれど、それはウィリアムも同じだったらしい。
アルバートは自分だけの兄だと無邪気に喜び、サンタクロースの正体について思い悩むルイスの姿はとても愛くるしい。
ここまで信じ切っているルイスを裏切るのは兄としての良心が咎めてしまう。
さてどうするかとアルバートとウィリアムは静かに考え、クリスマスまでにはどうにかしようと、まずはルイスの夢を壊すことなく騒動を終えたことを喜ぶのだった。
(というわけなんだ、モラン)
(今年からルイスのためにサンタクロースになってほしい)
(どうせひまだろう?にんむのいらいははいっていないだろうから)
(25日までは急な任務が入らないようにしておいたから、安心してサンタクロースになってくれ)
(お前ら…ルイスのためにそこまですんのかよ)
(とうぜんだよ、モラン。フレッド、きみにはモランのサポートをおねがいできるかな)
(トナカイのコスチュームを用意したから当日はこれを着てくれるかい?)
(分かりました。ウィリアムさんとアルバートさん、ルイスさんのためならば)
(ったく、仕方ねーな)
(ありがとう、ふたりとも。おんにきるよ)
(これでルイスの夢を壊さずに済むな)