「学校」をつくり直す (河出新書)ダウンロード
「学校」をつくり直す (河出新書)
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内容紹介 「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」のまま続いてきた学校への絶望を、希望へと変える方法を提言する。 小1プロブレム、学級崩壊、いじめ、学力テスト重視…… 「なんだかおかしい」。 けれども、学校のシステムはどうせ変わらない、とあきらめていないだろうか。 「みんな同じ時間割」「みんな同じ教材」「みんな同じテスト」は、「当たり前」ではない。 学校が変わるために、私たちに何ができるだろうか。 数多の“現場"に携わる、教育学者による渾身の提言! 学びをもっと遊び(探究)に。/「みんな一緒」をやめる。…… 教師は、“共同探究者"。 そして、子どもたちに、“学校づくりのオーナーシップ"を。 【目次】 はじめに 学校システムの限界/新しい学校づくり/教育の“現場"とは?/教育学を役立てる 第1章 何が問題の本質なのか? 「落ちこぼれ」問題/「吹きこぼれ」問題/小一プロブレムは、むしろ学校のプロブレム/アクティブ・ラーニングの落とし穴…… 第2章 先生もつらい 教師の多忙/授業のスタンダード化/「ユニバーサルデザインに基づく授業」の落とし穴/“しんどい学校"だからこそ/「エビデンスに基づく教育政策」の問題…… 第3章 学校をこう変える1――「探究」をカリキュラムの中核に システムの転換に向けて/学校は、変えられる/「とりあえず、あれもこれも勉強しておきなさい」?/「探究」は格差を広げる?/もっとたくさん“失敗"を…… 第4章 学校をこう変える2――「ゆるやかな協同性」に支えられた個の学び 興味・関心や学ぶペースは人それぞれ/テストも個別化/「○○メソッド」の落とし穴/「方法のパッチワーク化」からの脱却/時間のムダをなくす/制度改革に向けて…… 第5章 わたしたちに何ができるか? まずは知ること/対話を続ける/小さく始める/人は恐怖よりエロスで動く?…… あとがき 引用・参考文献 内容(「BOOK」データベースより) 小1プロブレム、学級崩壊、いじめ、学力テスト重視…「なんだかおかしい」。けれども、学校のシステムはどうせ変わらない、とあきらめていないだろうか。「みんな同じ時間割」「みんな同じ教材」「みんな同じテスト」は、「当たり前」ではない。未来の社会をつくる子どもを育てる学校が変わるために、私たちには何ができるだろうか。 著者について 1980年生まれ。専門は哲学、教育学。熊本大学教育学部准教授。著書に『教育の力』(講談社現代新書)『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)『勉強するのは何のため?』(日本評論社)他多数。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 苫野/一徳 1980年生まれ。専門は哲学、教育学。熊本大学教育学部准教授。博士(教育学)。全国の多くの自治体や学校等でアドバイザーも務める。現在、共同発起人として、幼小中学校が一体となった軽井沢風越学園の設立を準備中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
「学校」をつくり直す (河出新書)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
著者によれば、学校教育は、(a)「みなが同じことを、同じペースで、同じようなやりかたで学ぶ」ことから、(b)「学びの個別化・共同化・プロジェクト化」へ、変わらねばならない。教育は、「すべての子どもに<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、すべての子どもが<自由>に生きられるための<力>を育むためにある」(p86)。そして、「自由に生きられるための力」とは「探究の力」であると言う。これを実現するために、(a)から(b)に変らなければならないのだ。農耕社会や工業化社会で必要とされた知と、現代に必要とされる知は違う。ものを生み出す知ではなく、現代に要求される知は、人間関係を含む何らかの<良さ>を、つまり価値を生み出すことのできる知である。このような知は、正解が決まっている知ではなく、何が問題であり課題であるのかを発見し、それを解決することで<良さ>をもたらす知である。そして、芸術が美という<良さ>を創り出すように、価値を創り出す知は、一種の「アート」ともいえる。アートの能力は、実践を通じてしか身に付けることができない。このような知は、(a)の一斉授業のような仕方では学ぶことができず、探究型の授業、つまり問いを自分で立てながら、それを解くことを学ぶしかない。それは、個人ごとに異なるカリキュラムと時間割、学年を超えたクラス編成、授業の中でつねに生徒同士の対話と討論が行われる授業である。そして、これらを通じて生徒たちは「自由の相互承認」を学んでゆく。それは認識こそが、よりよい行為の選択を可能にするのだから、他者を知らなければ、他者に対するよりよい行為の選択はできないからだ。これが「倫理」ということであり、それには、他者が何を感じ、何を欲望し、何を考えているかを、敏感に感じ取れる感性が磨かれなければならない。これが「自由の相互承認」の感性を育むことであり、民主主義社会を支える市民性を涵養することは、教育のもっとも大きな目的である。明治初頭の学制発布以来、日本の教育は(a)の仕方で成功してきた。しかし、必要とされる知が人間関係を創ることを含む「アートしての知」に変った以上、教育も変らなければならない。本書は小学校を例にとっているが、実は、大学も含めて、教育は変らなければならない。「みなが同じことを、同じペースで、同じやりかたで行う」センター入試を、大学教員として30年以上担当した評者も、心からそう思う。そして本書は、山口周『世界のエリートたちはなぜ美意識を鍛えるのか ― 経営におけるアートとサイエンス』とも呼応するところがある。