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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

名誉革命の道4-オランダのウィレム英王に

2020.12.25 11:48

フランス軍は王太子を司令官にフィリップスブルクからマンハイムを制圧、マインツより南のライン川西岸を手に入れた。フランスの侵略に対し、ドイツ諸侯はさらに同盟に参加し、戦線は膠着状態に陥った。ルイ太陽王の電撃作戦はうまくいかなくなった。

そして事態はイギリスで動く。1688年6月10日、ジェームズ2世に長男が生まれたのだ。議会は、ジェームズの後、オランダのウィレム3世に嫁いだプロテスタントのメアリが継ぐことを期待していた。しかしジェームズは、カトリック王の継承を狙う。ここで王と議会は完全に対立した。

6月30日、議会の7人の貴族はウィレムの訪英を要請。ウィレムは各国に援軍を要請、フランス戦線が膠着したとみるや、11月17日2万の兵を率いて渡英した。英軍は、ジェームスが任命したカトリックの将軍を嫌い、次々にオランダに寝返った。さらにジェームズの次女アンの一族も逃亡するありさま。

ジェームス2世は議会との妥協を図ろうとしたがもはやその余地はなく、フランスに亡命した。12月28日、ウィレム3世は市民の歓呼の中をロンドン入りし、2月ウィレムとメアリ夫婦が共同統治を宣言する。新国王は国王に対する議会の優位の「権利宣言」を発表、名誉革命が達成された。

下はウィリアム3世の戴冠