Sr.ルカの独り言:12月25日:読書課「結びの祈り」からの黙想
言(ことば)は肉となって、
私たちの間に宿った。
私たちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、
恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1・14)
(聖書協会共同訳より)
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今日の教会の祈り、
読書課の「結びの祈り」は
イタリア語からの試訳では、次のように響きます。
神よ、あなたはわたしたちを、
驚嘆すべき方法で、ご自分のかたどり(イメージ)に造り、
さらに驚嘆すべき方法で、わたしたちを新たにし、
あがなってくださいました。
今日、わたしたちの人間性をまとうことを望んだあなたの御子の
神的いのちを、
わたしたちが共有することが出来るようにしてください。[試訳]
教会は、
神の御子の誕生の神秘を見つめながら、
創造のわざと、あがないのわざを観想します。
(創造のわざ:わたしたちを「ご自分のかたどり」として造ってくださった)
(あがないのわざ:わたしたちを「新たにし」、「あがなって」くださった)
それはすべて、
わたしたちが、御子の内に、御子を通して、御子によって、
神の子となるためです。
(人となった神の御子の「神的いのち(神のいのち)」を
わたしたちが「共有する」(共にあずかる)ことが出来ますように)。
創造のわざの中に、すでにあがないのわざがあり、
それは、神のかたどり(姿)として造られた人間が、
神のいのちにあずかるためです。
人間は、自分の力では、
神のいのちにあずかることは出来ません。
アダムとエバ、カインとアベル、ノアの洪水、バベルの塔の物語が
象徴するように、
人間は、わたしたちは、「自己(エゴ)」を中心に生きるとき、
他者を排斥していきます。
他者を排斥するとき、
わたしたちは大文字の「他者」である神を排斥し、
神のいのちから離れます。
まったく「他者」のために自身を明け渡した
神の御子イエス・キリストの中に、
わたしたちは初めて、神のいのちに入ることが出来ます。
そのために、
神の御子は、おとめマリアの胎の中で肉を取り、人となった。
イエス・キリストの誕生は、すでに、
「新しい創造」のわざ、十字架の「あがない」のわざを含んでいます。
それはすべて、「わたしたちのため、わたしたちの救いのため」です。
教皇フランシスコが招いているように、
降誕祭を、うわべだけの飾りで過ぎ去らせず、
立ち止まって、わたしは「誰なのか」「何のために生きているのか」
「どこに向かって生きているのか」…を、
「光」である方、お生まれになったイエス・キリストに照らされて
「再発見」し、「観想」し、人々に「告げ知らせる」降誕節でありますように!
みなさま一人ひとりの上に、
降誕の主の満ちあふれる祝福が注がれますように!
祈りつつ
Sr.ルカ 岡立子