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マリア論オンライン講座

Sr.ルカの独り言:12月25日:読書課「結びの祈り」からの黙想

2020.12.26 00:30

言(ことば)は肉となって、

私たちの間に宿った。

私たちはその栄光を見た。

それは父の独り子としての栄光であって、

恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1・14)

(聖書協会共同訳より)


***

今日の教会の祈り、

読書課の「結びの祈り」は

イタリア語からの試訳では、次のように響きます。


神よ、あなたはわたしたちを、

驚嘆すべき方法で、ご自分のかたどり(イメージ)に造り、

さらに驚嘆すべき方法で、わたしたちを新たにし、

あがなってくださいました。

今日、わたしたちの人間性をまとうことを望んだあなたの御子の

神的いのちを、

わたしたちが共有することが出来るようにしてください。[試訳]


教会は、

神の御子の誕生の神秘を見つめながら、

創造のわざと、あがないのわざを観想します。

(創造のわざ:わたしたちを「ご自分のかたどり」として造ってくださった)

(あがないのわざ:わたしたちを「新たにし」、「あがなって」くださった)


それはすべて、

わたしたちが、御子の内に、御子を通して、御子によって、

 神の子となるためです。

(人となった神の御子の「神的いのち(神のいのち)」を

 わたしたちが「共有する」(共にあずかる)ことが出来ますように)。


創造のわざの中に、すでにあがないのわざがあり、

それは、神のかたどり(姿)として造られた人間が、

神のいのちにあずかるためです。


人間は、自分の力では、

神のいのちにあずかることは出来ません。

アダムとエバ、カインとアベル、ノアの洪水、バベルの塔の物語が

象徴するように、

人間は、わたしたちは、「自己(エゴ)」を中心に生きるとき、

他者を排斥していきます。

他者を排斥するとき、

わたしたちは大文字の「他者」である神を排斥し、

神のいのちから離れます。


まったく「他者」のために自身を明け渡した

神の御子イエス・キリストの中に、

わたしたちは初めて、神のいのちに入ることが出来ます。


そのために、

神の御子は、おとめマリアの胎の中で肉を取り、人となった。


イエス・キリストの誕生は、すでに、

「新しい創造」のわざ、十字架の「あがない」のわざを含んでいます。

それはすべて、「わたしたちのため、わたしたちの救いのため」です。


教皇フランシスコが招いているように、

降誕祭を、うわべだけの飾りで過ぎ去らせず、

立ち止まって、わたしは「誰なのか」「何のために生きているのか」

「どこに向かって生きているのか」…を、

「光」である方、お生まれになったイエス・キリストに照らされて

「再発見」し、「観想」し、人々に「告げ知らせる」降誕節でありますように!


みなさま一人ひとりの上に、

降誕の主の満ちあふれる祝福が注がれますように!

祈りつつ

Sr.ルカ 岡立子