使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](3)
1.愛される父
聖ヨセフの偉大さは、彼が、マリアの夫であり、イエスの父であったという事実から成り立っています。このようにして、聖ヨアンネス・クリュソストモスが断言しているように「救いの計画全体の奉仕に身を置いた」[7] のです。
聖パウロ六世は、彼の父性は、次のことに具体的に表されていると述べています:「彼の生涯を、受肉の神秘とそれに結びついたあがないをもたらす使命への奉仕、捧げもの(sacrificio)にしたことにおいて。聖家族に対する彼に求められた法的権限を使って、それを自分自身、自分の人生、自分の仕事の完全な贈与としたことにおいて。彼の人間としての召命を、家庭内の愛に変換したこと――自分自身、自分の心、あらゆる能力を超人的な形で捧げることにおいて(oblazione)、彼の家の中で生まれたメシアへの奉仕に置かれた愛において――」 。[8]
この、救いの歴史における彼の役割のために、聖ヨセフは、つねにキリストの民に愛されてきた父です。それは次の事実が示しています:世界中の多くの教会が彼に捧げられ;多くの修道会、信心会、教会内のグループが、彼の霊性にインスピレーションを受け、彼の名を運び;何世紀にもわたって、彼をたたえるためにさまざまな聖なる表現が発展したこと。多くの聖人たちが、聖ヨセフの熱心な崇敬者でした。中でもアビラの聖テレサは、自分自身を彼に委ね、彼に願ったすべての恵みを受け取りながら、彼を擁護者、執り成し手としました。また、自分の経験に力づけられ、聖女は他の人々に聖ヨセフを崇敬するよう勧めました 。[9]
あらゆる祈りの本(マニュアル)には、聖ヨセフへの祈りがあります。毎週水曜日、特に、伝統的に彼に捧げられている三月全体に、聖ヨセフへの特別な祈りが向けられます。
キリストの民の聖ヨセフへの信頼は、「Ite ad Ioseph[ヨセフのところに行きなさい]」という言葉に要約されています。それは、飢饉の時代に、エジプトで、人々がファラオに食料を求め、彼が「ヨセフのもとに行き、彼がお前たちに言うとおりにせよ」(創世記41・55)と答えたことに関連しています。それは、ヤコブの息子のヨセフのことです。彼は兄弟たちの妬みのために[奴隷として]売られ(創37・11-28参照)、-聖書の物語によると―エジプトの王に次ぐ者となりました(創41・41-44参照)。
イエスは、預言者ナタンがダビデにした約束に従って、ダビデの根から生まれることになっていました(サム下7参照)。聖ヨセフは、ダビデの子孫として(マタ1・15,20参照)、またナザレのマリアの夫として、旧約と新約を結ぶちょうつがいとなったのです。
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教皇フランシスコは、[注]の中で、ご自分のことを書いています。
わたしは40年以上、毎日、朝課の後に、1800年代のフランス語の信心の本から取られた、イエスとマリアの修道女会の、聖ヨセフへの祈りを唱えています。それは、聖ヨセフへの崇敬、信頼、ある種のチャレンジを表現しています:
「栄光に満ちた父祖、聖ヨセフよ、
あなたの力は、不可能なことを可能にすることが出来ます、
この苦悩と困難のときに、わたしを助けに来てください。
わたしがあなたに委ねる、このように深刻で困難な状況が、幸いな解決を得るように、
あなたの保護のもとに受け取ってください。
愛する父よ、わたしのすべての信頼を、あなたのうちに置きます。
わたしがあなたに空しく嘆願したと言われないようにしてください。
あなたは、イエスとマリアの傍らで、すべてを行うことが出来るのですから、
あなたの優しさが、あなたの力と同じくらい大きいことを、わたしに示してください。
アーメン」。
[7]In Matth. Hom, V, 3: PG 57, 58.
[8]Omelia (19 marzo 1966): Insegnamenti di Paolo VI, IV (1966), 110.
[9]Cfr Libro della vita, 6, 6-8.