使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](7)
他方で、福音記者ルカは、ヨセフが、ナザレからベツレヘムまでの長くて困難な旅に立ち向かったことを記しています。それは、住民登録に関する皇帝アウグストゥスの勅令に従って、自分が生まれた町で登録するためでした。そしてイエスが生まれたのは、まさにこの状況の中であり(2・1-7参照)、イエスは、他のすべての子どもたちと同じように、帝国の登記所に登録されました。
聖ルカは特に、イエスの両親が律法のすべての規定、つまり、イエスの割礼の儀式、マリアの出産後の清めの儀式、初めて生まれた子を主に捧げる儀式を守っていたことを指摘しています(2・21-24参照) 。[14]
ヨセフは、人生のあらゆる状況の中で、自分の「はい(fiat)」を言うことを知っていました。お告げにおけるマリアのように、ゲッセマネでのイエスのように。
ヨセフは一家の長として、神の戒めに従い(出20・12参照)、イエスに、両親に従順であることを教えました(ルカ2・51参照)。
イエスは、ナザレの隠れた生活において、ヨセフの学び舎で御父のみ心を行うことを学びました。御父のみ心は、イエスの毎日の糧となりました(ヨハ4・34参照)。ゲッセマネで経験した、人生で最も困難な時でも、自分の意志ではなく、御父のみ心を行うことを望み [15]、「死に至るまで、十字架の死に至るまで[…]従う者となられました」(フィリ2・8)。このため、「ヘブライ人への手紙」の作者は、イエスが「数々の苦しみによって従順を学ばれました」(5・8)と結論付けています。
これらすべての出来事から、ヨセフが「父としての権威を行使することによって、直接イエスとその使命に奉仕するよう神から召され」たこと、「このようにして、時が満ちるに及んで、偉大な救いの神秘に力を貸し、実際に『救いの奉仕者』と[なった]」[16] ことが分かります。
[14]Cfr Lv 12,1-8; Es 13,2.
[15]Cfr Mt 26,39; Mc 14,36; Lc 22,42.
[16]S. Giovanni Paolo II, Esort. ap. Redemptoris custos(『救い主の守護者聖ヨセフ』) (15 agosto 1989), 8: AAS 82 (1990), 14.