「人間・永嶋玲」のこと。
自分は、高校生の頃から、演劇と音楽をはじめて
そこから、ずっと自分の時間を演劇や音楽に捧げてきました。
その結果、
10代の頃から、プロのステージ、プロの現場で、歌わせていただいたり、役を演じさせていただけたり、
普通の23歳の男の子が、見れないような景色をたくさん見ることができました。
それなりに、僕も友達と遊びに行ったり、時には好きな人ができたり
そんな時間も、なかったわけではありませんが、少なかったと思います。
普通の23歳が普通には経験できないであろうことを、たくさん経験させていただいた反面
普通の23歳が普通に経験してきたであろうことを経験せずに、
ここまで来てしまった、ということが、
実はずっとコンプレックスに感じていたことでもありました。
自分の青春を演劇や音楽に捧げてきた。
自分の人生を演劇や音楽に捧げてきた。
そう言えば、聞こえはカッコイイかもしれませんが
実際は、
役を演じて、自分ではない誰かになってみたり
ミュージシャン気分になって、ステージで演奏したりすることで
本当の自分や、本来の自分と向き合うことから
ミュージシャンや俳優を盾に、ずっと逃げ続けていたのではないか、と思うのです。
そのことに、僕は何年も前から、ずっと気づいていたのに、
気づいていながらも、ずっと逃げ続けていました。
本当は、僕はとってもカッコ悪い人間なのに
自分のことをカッコ悪い人間だと思いたくなかったから、逃げていたのです。
しかし、今年になって、
演劇も音楽も活動が難しい局面になりました。
「おうち時間」の中で、
家から出られない状況になっても、演奏したり歌ったり、作品づくりをしたりしました。
最初のうちは、それが充実していて、楽しかったのですが、
落ち込んだり、何もする気が起きなくなったりすることもありました。
そうなったときに、僕は初めて逃げ場を失い
今まで、音楽や演劇に、逃げていた、でも、もう逃げられなくなった。
だから、本来の自分と向き合うしかなくなったのだと思います。
僕にとって、本当の自分と向き合うことは、
とても辛くて、とても苦しくて、目を背けたくなるようなことです。
でも、仕事がなくなった僕は、もはや「ミュージシャン」でも「俳優」でもない。
「人間・永嶋玲」として、時間を過ごさなきゃいけなかった。
それは、すごく辛いことでした。
僕は尊敬する先輩に電話をして、相談をしました。
「今、辛いのは、前に進もうとしているから、辛いんでしょう?」という先輩の言葉に、
思わず泣いてしまいました。
テストの問題を解くときに、
分からない問題や、すぐには解けない問題に時間を使うのではなく、
とりあえず飛ばして、分かる問題から解いていく
それと同じように、すぐに分からないことに悩むよりも、分かることから考えていったほうがいい、
と、すんばらしい助言をいただきました。
それから、しばらく経ちましたが
その先輩がカバーしていた曲を改めて聴いて、部屋でひとり号泣しています。
本来であれば、
2020年はライブをたくさんやって、ミュージシャンとして成果を上げるぞ!と気合を入れていた年でした。
言い換えれば、自分と向き合うことから、引き続き、逃げる気マンマンでした。
しかし、
こんな状況になって、
結果的に、「人間・永嶋玲」を見つめ直す時間ができました。
普段、
人から「大人びてる」とか「落ち着いてる」と言われることが多かったり
どこかで、ちゃんとしていなくちゃいけない、みたいな意識があったりするのか
今まで、気づかなかった自分に気づくこともたくさんありました。
本当は、もっともっと子供で、幼稚な自分。
本当は、さみしがりやで、人にかまってほしい自分。
本当は、全然男らしくなくて、人に甘えてばっかりの自分。
本当は、弱っちくて、泣いてばっかりの自分。
本当は、なかなか思ってることを素直に言えない自分。
そんな自分を、ダメだ、と思わず
肯定してあげたいと、思う気持ちになりました。
今まで、
そんな自分を人に見せたら
「男らしくない」「重い」「男としてどうなの?」
なんて言葉に、苦しめられたりもしたけど
しょうがないじゃない、
それが、ありのままの私、なのだから
と、飛ばしていた問題を、ひとつ解くことができました。
これからは、
もうカッコつけなくていいんじゃないかな、とも思うし
カッコつけてもいいんじゃないか、とも思うけれど。笑
別に年が変わるからといって、何かが変わるわけでもないのだけど
来年も引き続き、「人間・永嶋玲」として生きていくことを意識していきたいなと思っています。
それが、結果的に、自分のコンプレックスを解消することに繋がると思うし
自分の作品づくりや、パフォーマンスにも、絶対に活きてくると思う。
自分は、”本物”になりたい。
”本物”でありたい。
テレビに出ているから、本物の俳優なのではないし
プロのステージに立っているから、本物のミュージシャンなわけではなく
その人の、
体や指や足や、心から出る音や言葉や表現があるから
観ている人を”本物”だ、と思わせる説得力が生まれるのだと思う、わからんけど。
自分は、”本物”でありたい。
それと同時に、”偽物”にはなりたくない。
そのためには、
作りものの、偽物の自分じゃなくて、
ありのままの自分を見ていかないと、
目指している本物には、なれないのではないか、なんて思っていますわ。