「ベル・エポックのパリ」1 普仏戦争の敗北(1)パリ包囲戦
19世紀から20世紀への転換期のフランス、とくに1890年代から1914年までの時期は「ベル・エポック」(よき時代、うるわしき時代)と呼ばれる。これは第一次世界大戦後の荒廃した時期に戦前の時代を懐かしんで生まれた言葉であり、豊かな生活、平穏な社会、爛熟した文化を持つ幸福な時代がイメージされた。現実には無条件に幸福な時代ではなかったが、このようなイメージを生む何かがこの時期にあったことは、確かなようだ。フランスは普仏戦争の不名誉な敗北とともにこの時代に入る。
1870年9月4日、普仏戦争でのスダンの戦いにおいて皇帝ナポレオン3世がプロイセン軍の捕虜になったことが伝えられると、パリでは民衆が蜂起して第二帝政は崩壊し、共和政が宣言された。フランス第三共和政だ。最初の共和政から約1世紀の時を経て初めてフランス社会に共和政が定着し、70年にわたって続くことになる(ちなみに、第一共和政は、8月10日事件によるブルボン王政打倒を経て国民公会によって王政廃止が宣言された1792年9月21日から、ナポレオン1世の下で帝政が宣言された1804年5月18日まで。また第二共和政は、1848年の二月革命から1852年のナポレオン3世皇帝即位まで)。
しかしこの共和政は、安定した体制になるまでに10年近くの歳月を要した。そもそも新政権はパリ選出の代議士からなる臨時の政府(国防政府)に過ぎず、ただちに全国的に承認されるというものではなかった。その国防政府は抗戦を求めるパリ民衆の圧力のもとでとりあえず戦争を継続する方針を取った。しかし9月19日にプロイセンはパリを包囲し、約200万人のパリ市民は冬になると寒さと食糧不足に苦しめられることになる。食糧も底をつき、市場では犬、猫、鼠も売られた。動物園では、プロイセン軍による砲撃に備えて象などの屠殺が行われた。
12月27日、プロイセン軍によるパリ砲撃が開始される。無残に破壊されるパリの街。国防政府は地方での抗戦を試み、その一方で閣外の大物政治家ティエールに和平のための様々な外交努力を行わせたが、どれも成功せず、地方では講和を求める機運が高まっていった。
こうしたなか、翌年の1月28日に国防政府は休戦条約を結び、2月26日には賠償金50億フランの支払い(3年間で)とアルザス地方の大半およびロレーヌ地方の一部の割譲などを定めた仮講和条約が締結された。すでに1月18日にプロイセン王のドイツ皇帝戴冠式がヴェルサイユ宮殿(「鏡の間」。皇居で中国共産党主席の就任式を行うようなものだ!)において挙行されており、さらに3月1日にはプロイセン(ドイツ)軍がパリに入城した。これらの屈辱はフランス人の記憶の中に長くとどまり、その後のドイツへの「対独復讐」熱、さらには第一次世界大戦後のドイツへの苛烈な要求(ヴェルサイユ条約。やはり、「鏡の間」で締結された)として後の世界に影響を与えることになる。
ところで、「パリのマンハッタン」と呼ばれる「ラ・デファンス」に普仏戦争におけるパリの防衛の記念碑″La Défense de Paris ″(「パリの防衛」)がひっそりと置かれている。超高層ビルが林立する「ラ・デファンス」にも、フランスの華麗な宮廷文化の極致「ヴェルサイユ宮殿」にも戦争の記憶が刻まれている。
サミュエル・パティを追悼してレピュブリック広場に集まった人々
授業でイスラーム教の預言者ムハンマドの諷刺画を生徒に見せたことに対する報復として、イスラーム過激派の男に首を切られて殺害されたサミュエル・パティを偲んでレピュブリック広場に集まった人々
「レピュブリック広場」 共和国を象徴する巨大な広場
「共和国」を意味するレピュブリック広場が他の広場と違う点は、イベントやデモのときに多くのパリジャンがこの広場に集まること。レピュブリックという名前のとおり、共和国としてのフランスの諸問題を提起する場所として使われている。それはレピュブリック広場の中央にあるマリアンヌ像が自由と革命の象徴、フランス共和国の象徴だから。多くのデモがこの広場から始まる。マリアンヌは自由の象徴としてのフリジア帽(赤い三角帽)を被り、右手には平和の象徴としてのオリーブの枝を持ち、左手には「人権宣言」の碑銘板を抱えている。レピュブリック広場にマリアンヌの像が建てられたのは1883年7月14日のこと。像の足元にある石の台座には、自由・平等・博愛の像が並んでいる。
ヴィルヘルム・カンプハウゼン「投降したナポレオン3世とビスマルクの会見」
ハワード・パイル「ガンベッタの共和国宣言」
手にしているのは自由の象徴としての「フリジア帽」(赤い三角帽)
1870年の国防政府のメンバー
パリ包囲 肉屋
1870年10月7日、軽気球アルマン・バルベス号で包囲下のパリから出発するガンベッタ
1870年から1871年の包囲中のドイツの砲兵によるパリの爆撃。
パリ包囲 砲撃で破壊されたパリ
普仏戦争でパリ包囲戦中に火事で破壊された後のパリの交差点
ラ・デファンス 記念碑
アントン・フォン・ヴェルナー「ドイツ皇帝即位宣言式」