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かほ

え、あざとくてええの?

2020.12.28 08:37

嫌いな価値観や人がやたらと目につくタイミングというものがある。

今現在とか。

いやでも分かってるねん。

これは自分の問題なのだと。

嫌いな価値観を持つ人なんか未来永劫いなくなるわけもなく、なんやったらツイッターとかテレビ番組とか、嫌いな価値観の巣窟である場所にずんずん突き進んでいってるのは自分なわけで。


余裕がある時ほどカチンとくるような物言いやしんどい言葉の応酬に出くわしても


「あ、そうですか…。ちょっと、横失礼します。」


と右手を軽く上げながら会釈をして通り過ぎることもできるというのに。


今の私はそういうものに出くわした際に


「なーんや、こいつ、なんっか、腹立つのぉ。他に言い方ないんかぁ?おぉ?ちょっと、こっち側からも見たろ。」


と両手をだるんだるんのズボンのポケットに突っ込みながら、わざわざ立ち止まって360度ゆっくり周りを回りながらガンをつけるチンピラのような感じだ。


2020の総括をするような時期にチンピラ化している暇などないはずなのだが、どうにも気になって、目を逸らせずにいる私だ。


ざっくりいうと「胡散臭いもの」が異常に気になる。

胡散臭い人、なんか、多くない?増えてない?

ほんで胡散臭い人好きな人も増えてない?


胡散臭さというのは、なかなか巧妙なもんで、一瞬なんかかっこよく見えたり、潔く見えたりする。でも、よく考えると、別になーんも言ってへんかったり、その裏にある思惑がうっすら透けていたり、そういう、やや分かりにくいものだ。


辞書にも「胡散臭い」とは「何となく疑わしい。何となく怪しい。」と記載されている。


この「何となく」の部分ね、ここが厄介ですね。昨今、胡散臭いとされる著名人なんかは、この「何となく」の部分がけっこう丸見えというか。「何となく」と書かれた紙をぐちゃぐちゃに丸めて口の中に入れて「なんか問題ある?」とでも言うかのような、大胆な胡散臭さが目につくのだ。

いや、今、隠したやん、ということは、誰の目にも明らかやけど、ちゃんと隠してるからいいっしょー?みたいな。


実際「何となく」と書かれた紙をぐちゃぐちゃに丸めて口の中に入れて「なんか問題ある?」と発しようとしたら


「あんあもんあいあう?」


みたいな感じになると思うけど、それでも全く気にしていないような、恥を恥と思わないような、豪胆さがある。


その豪胆な胡散臭さにむしろある種の潔さというか、格好良さを見出している人も少なくないように思う。


「あざとくてなにが悪いの?」という言葉はそういう価値観を上手く言い表しているように感じる。


あ、番組観たことないんでね、何をしてるか知りませんので、そこ批判したいとかでは全くなく、というか田中みな実さん大好きなんでね。あれはもうプロなので、ビジネスあざと師というか、プロあざと師なんで、ええんですけども。


でも「あざとい」ということが消極的なニュアンスではなく前向きな意味で使われるようになっていることはすごく気になるねんなぁ。


結局、あざといっていうのは、何らかの目的があって、それを達成したいという欲望は隠しつつも、自分に都合よく事が運ぶように、小綺麗に?スマートに?画策をすることであって、胡散臭さと類似点があるように思う。


この隠す部分の雑さが「あざとさ」や「胡散臭さ」に繋がるんであって、ほんまに上手に隠してて、例えばただの上品な人やん…てなるならもう、それは…上品な人です。なんやそれ。


結局まわりが「あざとい」「胡散臭い」と思うということは隠しきれていないいやらしさがあるわけで…というかなんやったらもう、チラ見せ?していこうや別になんも悪いことしてないんやし。ていう考え方が「あざとくて何が悪いの?」やと思うねんな。


これがちょっとね、その「目的」が「モテたい」とかの、ただのあざとい女の子とかなら確かに、うわーなんか嫌味やけど確かに可愛いーぐらいで済むんやけど、


その「目的」が


「過去に俺を馬鹿にした奴ら全員平伏すぐらいの地位を手にしたい」


とか


「この財力と人あたりの良さを武器に、更なる富を築きながらも、愛嬌のある親しみやすいキャラクターとして世間の注目を集め続けたい」


とか


「自分の思想になるべく多くの人を取り込んで、羨望の眼差しを集め続ける布教者でいたい。」


とかってなってくると…しんどっ、てなる。

(私にはそう見えるというだけで多分ご本人ここまでは考えていないと思われます。すんまっせーん。)


しんどっ。こわっ。煩悩こわっ。

108回を二乗して11664回除夜の鐘突いたろうか。

それに比べれば、この皮肉を言うためだけに計算機を使って108×108を計算している私の小市民感溢るる煩悩なんぞ、なんとも可愛いもんじゃあないか。


私は、万人に伝わるような、金や地位や美しい容姿を人一倍得ようとする様子は浅ましいものやと思う。

それは、なるべくなら、自分の内に収めるべきやと思うし、理想としたら、その単一的な価値基準からは解放された方が幸せかなーと思う。

なんでかと考えると、結局死ぬ時は孤独やから、かなぁ。

孤独や醜さから目を背けてないなぁ、という人が一番かっこいいと思うなぁ。

まぁ、知らんけど。死ぬ時金の延棒に囲まれて死ぬのが幸せな人もいるんかもしらんけど。

ところで、なんで富を換算する時に金の延棒換算しがちなんやろう…。


とにかく、そういう浅ましいものを人にうっすらと見せつけることを目的達成のための手段と捉える価値観は、どうにも受け入れられないな〜。


と、こういうことを一生懸命言わなければ機嫌よくいられない私も、結局似たようなもんやと思う。

自分の方が正しいんだということを示したいんかねぇ。幼稚だ。

同じ穴の狢。

むじな、って馴染みないよなぁ。

この時しか言わん。


同じ穴のハムスター。

とかやったら七匹ぐらい赤ちゃんハムスターぎゅうぎゅうに寝てる姿が浮かんできて癒されるのになぁ。