自然科学はじめの一歩 (放送大学教材)本ダウンロード無料pdf
2020.09.22 22:42
自然科学はじめの一歩 (放送大学教材)
によって 岸根 順一郎
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自然科学はじめの一歩 (放送大学教材)の詳細
本のタイトル : 自然科学はじめの一歩 (放送大学教材)
作者 : 岸根 順一郎
ISBN-10 : 4595315848
発売日 : 2015/3/1
カテゴリ : 本
ファイル名 : 自然科学はじめの一歩-放送大学教材.pdf
以下は 自然科学はじめの一歩 (放送大学教材) の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は、はじめに神と共にあった。全ての物は、それによって出来た。出来た物のうち一つとして、それによらない物はなかった。~新約聖書「ヨハネによる福音書」~学習指導要領の改訂で、それまで2千年以上に渡って全ての学問の模範とされてきた『ユークリッド原論』と入れ替わるようにして、小・中学生にも集合論を教えることが公表されたことで日本中の教師達をビックリ仰天させる事件が起きたのは、それまで根拠も曖昧なまま勝手に発生してバラバラに発展してきた数学の全ての理論を、集合論の基礎の上に構築された巨大な建造物として体系的に整理して記述しようと試みた前原昭二他訳『ブルバキ数学原論』が日本でも刊行され始めた1968年でした。思い起こせば、昔の中学校で使っていた教科書にある関数の定義は「2つの集合X、Yがあって、Xのどの要素xに対しても、Yの要素yがただ1つだけ対応するとき、その『対応』をXからYへの関数という」でした。この本は、小・中・高と12年間かけて学んできた理科や算数・数学から大学で学ぶ自然科学や現代数学への橋渡しを目的とする放送大学教養学部の教科書です。TV講義も、芸能人に司会で出演してもらって敬遠されがちな自然科学や現代数学に親近感を持ってもらえるような演出もされています。内容的には、星空を見ることが趣味だという司会の篠原ともえさんとの世間話から始まって、宇宙・地球科学→生物科学→化学→物理学→数学へと学問的な関係を遡るかたちで進行します。放送大学教養学部の学生さんは、将来はスペシャリストになるよりもゼネラリストになることを期待されていると思うので、自然科学や現代数学を専門的に勉強するつもりがなくても、幅広い知識を身につけるために履修した方が吉と思われます。中でも重要なのが、この科目で「数学の言葉」として、ちょっとだけヨ♡と僅か2回で講義されている論理と集合の話です(いきなり『記号論理学』なんかを選択してしまい嘆いているなら特に見る価値がありそうです)。できれば、全員が理解できるように、45分×2回で講義されている内容を必修の『形式論理学はじめの一歩?』として独立させて、45分×15回で丁寧に教えてもらえると本当の「ゆとり教育」になると思うのですが、そうしてもらえるのか不明ですし、そもそも「こんなの勉強して役に立つの?」と疑問に思う方も多いと思います。そこで、①謎の数学者ニコラ・ブルバキが人文・社会科学系の学問に与えた影響やレヴィ=ストロースの神話論理学の解説に優れる橋爪大三郎『はじめての構造主義』と、②形式論理学の初歩を気楽に勉強できる大村平『論理と集合のはなし―正しい思考の法則』と、③読み物として現代数学を高度なレベルまで紹介している竹内外史『集合とはなにか―はじめて学ぶ人のために』の3冊あたりを副読本にすれば、プラトンの開いたアカデメイアの門に「幾何を学ばざる者、この門を通るべからず」と書かれていたのが、現代の大学なら「集合を学ばざる者、この門を通るべからず」になりそうなことも、ある程度は納得していただけると思います。そうは言っても、19世紀末から20世紀初頭にかけてバートランド・ラッセルのパラドックスに代表される集合論の矛盾が次々と指摘される数学史上最大の事件が発生し、それを端緒にした数学の基礎をめぐる危機は、矛盾が解消された後も実のところ形を変えて継続しています。そして、今でも人生を棒に振るのを覚悟の上で世界中の多くの人達がこの危機を回避する為の懸命な努力を続けているようです。その為、砂上の楼閣と同様に不安定な基礎の上に建設されている現代数学が今後どのような結末を迎えるのか誰にもわからない状況なので、これについてはニコラ・ブルバキが数学と人間存在の本質的意義について考察し語っているのをもって結論に代えたいと思います。…十分明晳な数学の文章はつねに、少数の規則によって規制を受ける構文法にしたがって並べられるほんの少数の確定した≪言葉≫のみを許容する或る約束的な言語の中に表現し得る。かかる文章は形式化されているといわれる…公理的方法とは要するに、形式化が容易に理解される文章を書く技術にほかならぬ…形式化された文章を書くとか読むとかする場合、その文章中の言葉や記号にどんな意味を与えようと、また、何の意味をも与えずとも、実際上は何も問題にならない。ただ構文の規則を守ることだけが重要である…こんにちでは、論理的に言えば、現行の数学のすべてが集合論という唯一つの源から導かれ得るということが知られている。よって、形式化された唯一つの言語の諸原理を説明し、その言語をもって集合論が如何にして叙述され得るかを示し、ついで、われわれの関心がだんだんと数学の諸分科へ移っていくにしたがい、それが如何に集合論に含まれていくかを理解せしめれば、それで十分なのである…かくしてわれわれの原論は、公理的方法にしたがって記載され、つねに全体的な形式化の可能性を、あたかも一種の地平線のごとく目前に保ち、完全なる厳密性を目指している…ところが、ゲーデルによる超数学の有名な定理によれば、われわれが記述しようとしている種類の言語で、古典的な算術の結果を表現するに十分なだけの公理に富んでいるものを問題にしているときには、そのことは不可能であるという。これに反し、≪相対的な≫無矛盾性の証明(すなわち、他の理論、たとえば集合論が矛盾していないとの仮定のもとに或る理論の無矛盾性を証明すること)では、その議論の超数学的な部分はまことに単純なものであり、われわれの知的能力の理性的使用を全面的に否認でもしないかぎり、疑問を差しはさむことが殆んど不可能であるとさえ思われる。こんにち、数学の数ある理論がすべて、論理的には集合論に結びつけられているので、これらの理論のなかのどの一つにおけるいかなる矛盾も…集合論の基礎においた原理そのものに密着したものであろうことに間違いはない。ゆえに終始用いている数学の部分を可能な限り巻添えにすることなく、修正することになろう…要するに、数学は存続すべく運命づけられたもの、そしてこの荘厳な建造物の本質的な部分が突如現れた矛盾によって崩れ去るのを見ることは絶対にあるまい、とわれわれは信ずる。とはいえ、われわれは、この意見が経験以外の何ものかの上に根拠をおいていると主張するものではない。それでは不十分である、と或る人々は言うであろう。しかし、25世紀に渡って数学者はいつもその誤りを正し、それにより彼等の科学は貧しくはならず、むしろ豊かになるのを見てきた。このことが、彼等に落ちついた気持ちで未来に直面する力を与えているのである。