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Excare dreamers project

05 特別養護老人ホーム寿山荘ブランチさきたま ユニットリーダー 海(かい)さん

2020.12.29 00:34

家業か福祉の仕事か…


経営者でもある父親に選択を迫られ、「介護の仕事がしたい」と答えると、父親からは意外な返答が。



「やりたいことがやっと見つかって良かったな。頑張れ。」


高校を卒業後、父親の経営する塗装業の会社に就職。

2年間、寝坊を繰り返し、誰よりも先に帰り、いい加減で無責任な仕事をしていた。

家業を辞め、約8年。

今は特別養護老人ホームのユニットリーダーとして、責任のある立場で頑張っている。

そこには、父親の教えが大きく影響していた。

そして、塗装業からなぜ介護の道を選んだのだろうか。全てを赤裸々に話してくれた。






‐‐まず、今に至るまでどのような仕事をされていたのですか?


「高校を卒業してから、親父がやっていた家業でもある塗装業で働いていました。その当時の自分は酷かったですよ。寝坊も繰り返すし、親方よりも誰よりも先に帰るし。どちらかというと、友人と遊ぶことばかりを考えていました。今、振り返ると本当にいい加減で無責任だったと思います。

 働いてからもう少しで2年経つという時に、仲良かった友達が突然福祉の専門学校に行くって言い出したんです。

で、俺も今の仕事辞めて、同じ専門学校行くって言ったんですよね。」


‐‐凄い急展開ですね。その当時は介護の仕事に興味はあったんですか?


「小さい時から両親とも家業が忙しくて、祖父母といつも一緒でした。いっぱい面倒見てもらっていました。あとは中学校の時の職業体験で高齢者施設のデイサービスに行ったんです。それがとても楽しくて、介護の仕事に悪いイメージは無かったですね。」


‐‐でも、お父様は複雑だったんじゃないですか?


「それが、福祉の専門学校へ行くことには賛成してくれました。初めて、自分がやりたいことを言ったからだと思います。学校はとても楽しかったです。でも、実習が大変でした。

 最初の実習はデイサービスだったんですけど、高齢の方と話をしたり、レクリエーションをしたりする時間がとても楽しくて。

次に特別養護老人ホームに実習へ行ったんですけど、認知症の方や寝たきりの方が多くて、介護負担の面ではめちゃくちゃ大変でした。実習に行った他の学生もみんな特別養護老人ホームは大変って言っていましたね。

結局、就職先は特別養護老人ホームを選びましたけど。」


‐‐デイサービスは楽しかったようですが、なぜ特養を選んだのですか?


「親父の言葉ですね。


“最初はつらい思いをした方がいい、ラクな道より大変な道を選んだ方がいい。その方が人間的に成長できる。“


ってよく言われて、逆に大変な環境で働いてみたいって思いました。

 最初の職場は通勤距離の問題で退職してしまいましたが、今の寿山荘ブランチさきたまに応募して、驚いたのは職員が若いという点です。こういう施設もあるのだなと驚きましたね。」


‐‐そこから、介護職員として働き、今はユニットリーダーをされていますが、戸惑いや苦労したことも多かったのではないですか?


「29歳の時にセンター長から、ユニットリーダーの話を頂き、最初はまだ早いって断ったんです。でも、センター長が自分も主任も看護師もサポートするからと言ってくれて。その時にさっきの親父の言葉を思い出しましたね。


こういう時にチャレンジしろってことなんだなって。


 ユニットリーダーに就任してからも色々ありました。思うようにいかないことも多かったし、上司と部下とのパイプ役になるのも大変で。

 でも、その一方で入居者様ひとりひとりが違う中で、ケアの方向性を決めていくんですけど、目に見える成果が出て方向性が間違っていなかったと確信が持てる瞬間はとても嬉しかったし楽しかったですね。それをモチベーションにしていました。親父が言うように、成長する良い機会になりましたね。


 そして、昨年度の頑張りを評価して頂き、『めげずに頑張ったで賞』を頂きました。

もう少しでクリスマスですが、今年は介護職員でハンドベルを練習し、入居者様に披露するんです。それが楽しみですね。」


‐‐お父様の言葉通り、ラクな道ではなく大変な道を選んだことで、得るものも多かったのですね。


「そうですね。チャレンジしてみたら、世界が変わるだろ?って言われました。家業を手伝っていた時のことを思い出しましたよ。

親父に指示出されて反発して、あの頃は少し親父との間に壁があったと思います。でも、リーダーになった今、あの時の経営者である親父の気持ちが理解できて、距離が縮まりました。最近は、明るくなったなとよく言われます。」


‐‐お父様も大変な道を選んだ方がいいとは言ったものの、責任ある立場になった海さんを心配していたんですね。だから、明るくなった姿を見て安心したのではないですか?


「実は福祉の専門学校を卒業した時、家業を継ぐのか、専門学校で学んだ介護の仕事をするのか、親父から2択を迫られたんです。


 介護の仕事をするなら家業は継がせない、家業を継ぐなら辞めるなって。もう逃げ道を作るんじゃねーぞって言われて…。


 そこで、介護の仕事がしたいって答えたら、意外な返事でした。


“そうか… やりたいことがやっと見つかって良かったな。頑張れ。”


って。親父って凄いなってシンプルに思いましたね。大きな存在なんだなって。

親父もそこまでのことを言ったからこそ、どこかで気にかけて、心配してくれていたんだと思います。」


‐‐その瞬間が人生のターニングポイントだったわけですね。最後に夢を聞かせて下さい。


「今は実家の敷地内に別棟で家を建て、大切な家族もいます。子供も2歳になりました。自分も父親になり、社会人として色々な経験をし、親父の偉大さも実感できました。

子供から尊敬されるような、親父のような父親になりたいです。子供にはやりたいことをやらせてあげたいし、全面的にサポートしたい。

そして、敷地内に家を建てたということは、両親が年老いて介護が必要になった時には助けたいという覚悟の表れです。住み慣れた家で長く過ごせるように、この仕事を活かして、自分が両親の面倒を看たいです。」


2020.12.29