‐登場人物の生きてきた履歴書を考える‐演出家・松本祐子インタビュー
こんにちは!!
研修科1年生の柏亜由実です。
いつも研修科の応援ありがとうございます。
研修科では、体調管理、消毒、換気を徹底し、本番に向けて稽古を行っています。
今回は、卒業公演の演出をしてくださる松本祐子さんのインタビューをお届けします!
発表会の見どころから、祐子さんの研修科時代のお話も…!
そして、これからの演劇の在り方についてまで、ボリュームたっぷりのインタビューとなりました!
それでは、はじまります!
①履歴書を考えて、個々の価値観を知る
_まず最初に「萩家の三姉妹」を演目に決めた理由を教えていただきたいです。
いつも卒公の演目を選ぶのって結構難しいんですよ。っていうのも、最後なのであまり役の大小があるとダメでしょう。
他のそれまでの発表会はできるだけ一二年生が混ざって、いっぱい交流できる演目ができればいいなと思ってるんですけど、卒公はやっぱし、卒業していく二年生のためのものだなっていう想いが私はすごく強いんです。
だからそれぞれやりどころがあって、あんまり役に大きな大小がなくて、二年生の今いるメンバーに合うような作品をと考えて。
で、今回また男性が少ない期で、男性5人女性8人なので、それにそぐう作品をやろうかなーというのが、まず探すためのポイントみたいな感じで。
「萩家の三姉妹」はどの役もやりどころがあって、もちろん若干滞空時間の多い人少ない人いますけど、かなりのボリュームをもって演じることができるということが一つと、役のその人がどういう人間でどういう価値観でその言葉を喋っているんだろうっていうことを掘り下げやすい戯曲だなって思ったんです。
凄く難しい作品ではないし、割と共感しやすい言葉で書かれていて、なおかつどの役も登場人物の生きてきた履歴書を考えることができるっていうのかな。
例えばシェイクスピアだったら、なかなかそうはいかないじゃないですか。でも、この「萩家の三姉妹」っていうのは、それぞれの役が今まで生きてきた道筋であるとか、どういう価値観で私は生きているんだろうみたいなことの、役作りの基本的なことを非常に考えやすい戯曲だったので。
そういうことをみんなにきちっと学んでいって欲しいなぁと思って「萩家の三姉妹」に決めましたね。
_この「萩家の三姉妹」の見所・魅力はどんなところだと思いますか?
やっぱり人間関係のやり取りがすごく面白くって、誰一人悪人もいなければ、みんなちゃんと人間として複雑な部分を持ち得ている人ばっかり出てきて、それが会話することでお互いの化学反応が起きて、いろんなドラマが起きていくところがすごく面白い。
永井愛さんの人間に対する愛と鋭い観察力が響いたとても面白いセリフが随所にあるので。うまくいったら、役者同士が生き生きと相手役と関係を持ちながら化学反応を起こして、自然とお客さんも笑ったり共感できたりするっていうところが魅力だと思います。
あとは、やっぱり私は女子なので、女性が非常に共感できる価値観みたいなのが、色々なところ書かれていて。
稽古初日にも言ったんですけど、その分男性からすると、「こんなに優しくてダメな男ばっかり出てきて!」みたいに思われるかもしれないんですけど、女性からすると非常に生き生きとした、女の可愛いところ・ずるいところ・ダメなところ・立派なところが、たくさん書かれている戯曲なので、これはさすがに男性には書けないと思うんですよ。
なので、女性が生き生きと存在できるってところが良いところだなとは思ってます。
_女性の共感できるところというのは、祐子さんの中で1番それを強く感じるのはどんなところでしょうか?
うーん1番って言われたら難しいんですけど、男性も男性らしさっていうものに縛られず、女性も女性らしさっていうものに縛られず、それぞれ個々の人間として自分らしく生きる力を獲得することを求めていて…
もしかしたら男性はそういうことをあんまり普段感じないで済んでしまっているかもしれないですけど、やっぱり女子って“女の子だから”っていうことで限定されることが人生の中でいくつかあるし、自分も自己限定をすることが多いと思うんですね。何歳までに結婚しなきゃとか、何歳までに子供産まなきゃもう間に合わないとか、そういうところも含めて、”勝手に束縛してしまう固定化された考え”からどうやって自分が自由になれるだろうか、みたいなところを一生懸命探ってるってところに私は共感できます。
_今回に限らず上演戯曲を選ぶときに何か意識していることや考えていることはありますか?
多分「萩家の三姉妹」とか、こないだの「五十四の瞳」とか…去年やった「スリーウインターズ」「一銭陶貨」もそうですけど、結構大きな社会的な流れがあって、時としてちっぽけな個々人の生活にかなりダメージを与える可能性のある社会の動きに、なんとか個人が争って自分らしく生きていこうと努力している人が出てくる芝居が好きなんだと思うんですよ。
結果そういうものを選んでるような気がします。
で、やはりその上演を、戯曲を読んだり実際に自分が作品にして作り上げた先に、今生きている自分たちの日々の営みのなかで「これってヤバいんじゃないか」とか、「おかしいんじゃないか」とか思ってるけど、そんなの一々気にしてたら生活立ち行かないのでほったらかしにしていることみたいなのが、その演劇作品に触れることでもう少し、自分の日常生活の問題点とか社会の問題点とかに自覚的でいられるように、その日だけでも考えることができるような作品を作りたいな、とは思っています。
でも、いわゆる社会派といわれる作品が好きだということではなくて、やっぱり根本は個々人ですね。
個々人それぞれの価値観があって、誰が正しいってものは多分ないじゃないですか。自分の正しいと思っていることも、もしかしたら正しくないかもしれないという不安とか、葛藤と共にみんなはそれぞれ生きていて、少しでも人と関わって、何か新しいことを発見したいと思って日々生きている、みたいなことが感じられる作品が好きなんだろうなあというふうに思います。
だから、そのための力を与えてくれる作品が好きなんだろうと思っています。
②研修科での学び
_次の質問なのですが、今の研修科生の印象について教えていただけますか?
研修科生の印象か~。二年生はそれまでの期って割と、2回くらい発表会で付き合ってたんですよ。2回くらい付き合うと凄く人間がわかるじゃないですか?
でも今回ほんとに初めましてって感じなので、今学習中ですね。
ちょっとこの期、可哀想だったなと思うのは、一年生の時に割と大きい役をやってる人が少なかった気がするんですよね。どうして「萩家の三姉妹」を選んだかっていうのにもリンクしてくるんですけど、それぞれの役者が自分のもらった役の履歴書をきちっと考えるっていう作業をあんましてないような気がするんです。あまりそれを要求されるような作品をやってきていない。もしくは要求される作品をやってたかもしれないけど、そこまで大きい役じゃなかったから綿密に自分で履歴書が考えられなかった、とか。
まあ別に履歴書を考える演劇の作り方が全てだとは思わないんですけども、でもそれが必要だっただろうと思っているので、もう少ししんどい思いを最初からさせるべきだったっていうのが教える側の反省点としてはあって。そのせいで若干大人しいなぁって感じがするので、もっとこういうことがやりたいとか、この表現はこうなんじゃないかとか、失敗してもいいからトライしてやってみるみたいなことをもっとおやりになったらいいのにっていう風には思います。
で、一年生に関しては、勿論みんなすごく頑張っているし、逆にいえば二年生よりもバラバラ感が凄くって…
だからもしかしたら面白いかもとは思って、自己主張は一年生の方が強そうなんで。いい意味でバラバラしてて、イケイケどんどんっていう風に、頑張れよって思ってる感じですかね。うん。
_その履歴書というのは…役がどういう人物なのかということを読み解いて、解釈していくことでしょうか?
そうですね。この役の人はなんでこういうことを言っているんだろうとか、じゃあこの人は何でこういうこと言う人に育ってしまったんだろうとか、この人の直近の物事としてトラウマティックなことは何なんだろうとか、この人がこんなことを言うのはこの時代こういうことがあったからなんじゃないかとか…
例えば唐十郎の芝居はそういうのは必要ないので、もっと分断されて書かれてるし、履歴書なんてものつくりあげたって別にちゃんちゃらおかしいわって事じゃないですか。それはそれでいいと思うんですよ。
でも例えばこの「萩家の三姉妹」に関していえば、この人って長女で、じゃあいくつぐらいのときにお母ちゃんが病気がちになって、いくつんときに妹ができて…ってなったときに、なんでこの人はフェミニストになったんだろうとか、なんで妹とここがそりが合わないんだろうとか…考えたくなるじゃないですか。
自分じゃないけど自分にならなきゃいけないので、その役が。そうすると価値観が絶対違うじゃないですか。よく稽古場でも言ってますけど役の価値観と自分の価値観は違うわけですよね。でも、私の価値観にしないといけないわけじゃないですか、その役の言ってること。ってことは、相当理解しないと私の価値観にならないっていうか、借り物の言葉をずっとしゃべっていることになるので、消化するためにはやっぱりその人の人生を知りたくなるような気がするんですよね。
だからそういう意味で、役の履歴書が必要な戯曲もあれば、唐さんみたいにそういうのが一切必要ない場合もあるし。
結果いろいろ考えたうえで、全部捨てりゃいいんですよ。捨てられる勇気がいつでもあればいいと思うんです。もうどうでもいいもんそんなものって最終的には言えたほうがいいんですよ。
やってる間に「私の役はこうだから、ああだから…」っていってたら鬱陶しくてしょうがないじゃないですか。
たくさん役のことを考えて、「自分はこういう人間だ」と思い込めるくらい自分の中に落とし込む。そのうえで、”あとはもうなんとでもなれ!”って思えるくらい自由になっておく。そうすれば芝居ってすごく楽しいんじゃないかなって思うんですよ。で、その日目の前にいる相手役とコミュニケーションがとれて、お客さんがどっと笑ったりいろいろあって…。
もっと自由になれるまで、逆に言えばめちゃくちゃ自由になるために、そういうのをしっかり腑に落としとくと、すごく楽になるんじゃないかなって思うので、今回の芝居なんかは履歴書が必要かなと思ってるんですよね。うん。物によると思うんですけどね。でもまぁ、私はそういう風に考えたがるほうなのかもしれませんね。
_祐子さんの研修科時代、一番印象に残ってることを教えていただけますか?
研修科時代の印象に残ってること!(笑)
一番残ってるのは…「ヘッダ・ガーブレル」っていうイプセンの芝居をしてて、最後に主役が幕の向こうで自殺してピストルの音が聞こえることになってて、裏で火薬詰めてピストルを撃ってた時ですかね。
通し稽古から十中八九鳴ってたんですよずっと。
ゲネプロの時に…入れてんだよ?ちゃんとピストルに弾を。
…鳴らないの!!
でも、それ鳴らなかったら芝居終わらないの。
ハッッッッッ!!(硬直)ってなって、
その時はすごい大先輩がオペレーターで来てて、なんと口で「バーン!!」って言ってくれたの!
もう…イヤーーーー!!!ってなって(笑)
_一同笑い
その作品の演出を担当していたのが、すごく神経質で有名な高瀬久男さんっていう素晴らしい演出家だったんだけど、めっちゃくちゃ怒られて、みんなにも怒られて。
でも弾は入れてるし!やってるし!なのに鳴らない…。で、次の日から、ピストル1号、2号、それからシズ(重り)の上に火薬を置いてなぐり(金槌)でたたくのまで用意したの。
で、本番の何回目かにまた、あれ…?ならない…!?ってなって、2号ともやってもならなくて混乱して、最後なぐりに行く前にもう1回ピストルやったらようやく鳴って、はぁぁよかった~~~…って…
とても大変だった思い出だけど、よく覚えてる思い出…。
…まだ1年生だったの!!研修科の。しかもすごくいい芝居だったの。
その最後の大事なきっかけだったもんだから、なんかもう…死ぬ!!って思って(笑)
やってんのに鳴らないから。…呪われてる!って。
みんなに怒られるし。つらかった。(笑)
やっぱり失敗のほうがよく覚えてるかな。怒られたとかケンカしたとか、そういうののほうが覚えてる。大変だったとか(笑)
③現代における演劇の必要性
_今年はコロナ禍という状況の中で、研修科も常に上演方法を模索しながら稽古をしていく1年でしたが、祐子さんにとってコロナ禍での演劇の必要性はなんだと思いますか?
うーん、難しいな。私個人にとっては、この3月、4月、5月の全てが中止になった時って、自分の日常が断ち切られたような状況になった訳ですよ。でもしょうがないですよね。だってほんとに人を集めることで大感染が起こってしまうなら、休んでくださいって言われるのは致し方ないのかなって思ったんです。
このウイルスが消滅することはないでしょうから、半永久的に付き合っていかなきゃいけないものだと思うし、いつかはワクチンみたいなものができるだろうけど、それが来年なのか再来年なのかそのまた次なのかは分かりません。
でもいつかはやれるようになるのだから、芝居をやめようとは全く思わなかったですね。やれる状況になったらやろうってどっかで思ってたし。
でも正直、自粛期間中は映画ばっかり見てて。表現されたものの喜びみたいなものに何も触れないで1日を過ごすと、ちょっと気が狂いそうって思ったんです。テレビをつけるとニュースでコロナのことしか言わないし、すごく心が疲弊してしまって、なんかちょっと辛いって思ったんで、毎日新たな映画ばっかり、映画っていうかDVDばっかり観てて。
Netflixとかに入ればよかったんですけど(笑)古典的にTSUTAYAとかに行ってDVDを借りて毎日観て、その感想文とかを書いて生活してたんです。自粛期間中は。
そうやって物語に触れることが私の生活にはとても必要で、稽古場にも行けないし友達にも会えないしお酒も1人で飲まなきゃいけないしっていうつまらない毎日が、物語というものに出会うことによって、2時間なりその世界とお付き合いすることで何か大きな喜びを得ていたんですね。
だから私は、その喜びを皆さんに与える側の人間だと思っているので、劇場が再開されたあかつきには、やっぱし面白い芝居を作って、ちょっとでも楽しいなあとか笑えるなあとかちょっと気持ちがスッキリしたとか、ある種物語と共鳴することで得られる喜びを与えたいと思ったし、与え続けるべきだと思ったし、演劇ができることなのかなと思ってます。
もちろんそれは映画でもライブでも出来るし、最悪ライブハウスに行かなくてもライブストリーミングで出来るかもしれないけど、やっぱり1番は生の喜びが大きいと思ったので、早く気にせずに劇場に行けるような状況になってほしいとすごく思ってたし、今も思ってます。
だけど、思った以上に早く演劇ができちゃったんです、私の場合は。
旅公演に行ってきて下さいって演劇鑑賞会に言われて、6月の頭から稽古が始まって、7月にはもう旅に行ってたんですよね。
正直「うそ!?」って思ったんですよ、行っていいのかなって。だってみんなまだ休んでんじゃないの?みたいな。
今芝居をしても、皆さんが怖がって来なかったらそっちの方が辛いしって思ったけど、演劇鑑賞会さんのほうも、もうこれ以上芝居をしないで例会を潰してただただ待ってる状態は良くないから、観る喜びを会員さんと享受したいと言われて。
それなら行こうって思って行きましたね。
たぶん芝居って人の人生に想像力を巡らせる作業じゃないですか。俳優さんはものすごくそうだと思うんですけど。
見てるお客様も、その時間目の前にある物語に想像力をかなり動員しながら、一緒にお付き合いして見ていただける訳ですよね。物語の中で想像力も加味して付き合ってくれて、かなり人の立場に立ってものを考える芸術だと思うんです。
今コロナだとどうしても自分の身は自分で守らなきゃいけないじゃないですか。人のこと考えてる余裕ないじゃないですか。でも演劇ってわりと人の人生のこと考えてみたり、人が生きてきた社会のこと考えてみたり、その想像力を使って、もらった物語を自分の中でもう一回構築しながら楽しむ芸術なので、人のことを考えられるようになるっていう意味でも演劇は意味があるなあと思ってるんですよね。
新聞社の取材にも言いましたけど、どんどん不寛容になってくと思うんですよ。だって1人コロナが出たら村八分みたいになっちゃう社会じゃないですか。だけど、人のこと考えたり人とコミュニケーション取ることを、演劇はいい意味で押し付けるので、そういうマインドになれば少し利己主義が薄まってちょっと他己主義になれたらいいなあって思うんですよね。大きな夢ですけど。
だからそういう意味でも、何がなんでも公演をとは思いませんが、演劇というものがそこにあって、日々の我慢とかルーティンな退屈な日常の中に何か潤いが与えられるんだったら、それは大きな癒しにはなるんじゃないかなとは思うんですけどね。そう思いたいですね。
④演劇と文化的教育
_では。次の質問ですが…
また難しいこと聞かれるよ…(笑)はい、どうぞ!
_はい!(笑)
_海外の演劇を取り巻く環境や文化としての根付き方を、日本のそれと比較して日本がこうなればいいと思うとか、逆に日本のこういう点がいいと思うところはありますか?
例えばニューヨークとかロンドンみたいにもう演劇が観光産業になってる国がありますよね。
ドイツみたいに演劇が文化的に地位が高い国とか行くと、街で芝居見に行って隣で「あんた日本人?」「あー日本人っす」って会話になって、「なんできたの?」「あたしちょっと演出家やってて色々芝居見たいんですよね」って話をすると「えー凄いね、演出家なんだね」ってすぐ分かっていただけるんです。
でも日本では、例えばナンパとかされると「何やってんの仕事?」「あー芝居やってるんですよ」「え、女優さん?」って。
「いや違います、違います。演出家なんですよね」って言ったら「え、それは何?」と言われることが十中八九で、「映画の監督みたいなもんすかね」って言ったら、「あ、偉いんだねぇ」とか言われちゃうんですよ。
だから、”あ、こんなに演劇観たことない人が、演出家って言葉を知らない人がこんなにいっぱいいる”ってことがやっぱちょっと寂しい。
「小学校の時に学校に来て劇見た!」って言われて、それ以来一度も観てないっていう人がいっぱいいて、やっぱ演劇そのものの裾野が広がって皆んなが知ってるものにしたいなっていうのは凄くあるかな。
あとは今は…例えば高校の時に、芸術科目で音楽と美術と習字?が私の時はあったんですけど、今はどうなんですか?
_今も、そうですね。選択科目などでそのような科目だったと思います。
そうですよね。特別に演劇を芸術科目に入れている学校もあるとは思いますが、普通はその三つじゃないですか、芸術の選択科目って。
私は今、演出者協会ってところにいるんですけど、やっぱり選択科目に演劇を入れたいんですよね。すごく。
イギリスとかは当然のように選択科目に演劇があって、それは国語の先生が教えてらしたり、かつて役者をやってた方が、なんというか…日本でいうところの教職を取ってらして、やっぱし演劇をやめて先生になった方もいらっしゃるんですけど、でもその選択科目に演劇があるんですよ。日本ってないじゃないですか。
国立大学もないですし、演劇の文化的な地位が凄く低いなと思っていて。
例えば高校の選択科目に入れば、多分国立大学もできると思うんですよ。受け皿ができるから、先生になるっていう。で、演劇を教えると何がいいっていうと、結局1人でやれる芸術じゃないじゃないですか。何のかんの言って相当人とコミュニケーション取らないと、物事ができあがらないじゃないですか。それって今すごく必要だなと思っていて。
やっぱりスマホがこれだけ普及すると、私も昔に比べて友達と全く電話しなくなったんですよね。LINEで済んじゃうんですよ。前は結構電話してたんですよ。で、その前は会ってたんですよ。だけど今は人に会わなくて済んじゃうじゃないですか。
そうするとどんどんコミュニケーション能力が低下していくと私は思っていて、でも演劇ってそれを無理くり上げなきゃいけない職業っていうか、そういう芸術だから。
子供たちにその文化的な選択科目として演劇を教えるのは私は凄く意味のあることだと思っているんですね。
だから、それをすることによって、日本人のコミュニケーション能力もあげたいし、演劇の文化的な地位もあげたいし、お芝居を観に来る人も増やしたい。
そうすると、それがそれぞれ起これば相乗効果でもうちょっと演劇というものの位置が高くなって、私たちのギャラも上がるじゃないですか(笑)そうしたら仕事も増えますし。
でもこのままいくとね、やっぱりしばらくはコロナで激減してますよね。
みんなももうスマホでYouTube観てる方がいいわけじゃないですか、テレビより。どんどん個別化していくので、集まって劇場に来るっていうのが、減ってくんじゃないかなっていう危惧はあるんですよね。
だから、やっぱり増やしたいですよね。演劇っていうものがこんなに面白いもんなんだとか、こんなに意味のあるものなんだっていうことを多くの人に知っていただきたいっていうのは凄く思います。
_ありがとうございました!
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写真:山田奈津子
記事編成:柏亜由実
■研修科卒業発表会■
『萩家の三姉妹』
作:永井 愛 演出:松本祐子
日程:2021年1月21日(木)~24日(日) 予定
場所:文学座アトリエ
◆卒業発表会における新型コロナウイルス感染予防対策について◆
発表会実施にあたり、政府が発出した緊急事態宣言, および東京都の新型コロナウイルス感染予防、拡大防止策を鑑みて、 卒業発表会の一般予約を受け付けず、関係者のみの対応とさせていただきます。何卒ご了承ください。 今後の状況次第では変更、中止を余儀なくされる可能性もございます。
研究所発表会を楽しみにされていた皆様には改めてお詫び申し上げます。