気とは何か?
中医学の本を読んでみると気には分類があると書かれています。
衛気、営気、宗気、真気(元気)という区分です。単純に気と言っても種類があるということです。元気は皆さんも普段使う言葉なので、何となく理解できると思いますが、その他の気については、あまり馴染みがないと思います。
これだけ読んだだけでは、殆ど雰囲気だけでしかわかりません。我々自身も専門家と言っていますが、本を読んだだけでは、このような表現しか理解していない人が殆どです。
具体的にどんな作用をするのかがわからないと、それを臨床に応用することはできないはずですが、何となくしかわかってないというのが専門家を含めて同じ見解なのです。今回はそれを少しずつ詳細な内容にしていけたらと思っています。
もう少し中医学の本を読み進めていくと、 元気には二種類あり、生まれた時に既に持っている先天の気と飲食物等でえられる後天の気というのが存在すると言われています。どちらにしても、元気は一つです。 親から受け継がれた元々存在している気ですのでなくなることはないと考えられます。それならばなぜ元気がなくなるというような表現をするのでしょうか?
正確には元気がなくなるというのではなく、元気が片寄るという表現の方が、臨床上としては正しいのではないかと私は考えています。つまり元気に高低差があるということです。
元気は身体全体に充満していなければならないはずなのに、部分的に低下している場所があることで、エネルギーロスを生じて、後天の気が損なわれることによって元気がなくなると解釈すれば非常に分かりやすいのではないかと思います。
それでは本当にそのような状態になるのでしょうか?
答えとしてはそうなります。
元気の低下している部分を検索してみると、 その人の弱っている部分が見えてきます。例えば膝の痛みがある人の場合、膝の周囲に元気が低下していることを発見することができます。 それによって不具合が生じエネルギーロスが起こり、元気がなくなるということです。
それならば、その偏りを分散させることによって、元気を取り戻せるのではないか?
という疑問が起こるのは当然だと思います。 親から与えられた気なので、その人の個性であり、その人の持っている能力でもあるからなくなることはないと考え臨床を行った方が適切です。
中医学の本には後天の気と言う表現で飲食物を中心に語られていますが、実際には飲食物以上にこの元気の片寄り問題の方が臨床的には納得いきます。
本当に元気がなくなってしまったら、命が風前の灯と言えるのではないかと思います。だから元気を注入することは不可能です。あちこち痛くても元気が片寄っているだけなら、なんとか生活していけるはずです。そのような方が大半ですのでご安心下さい。
それでも痛みや違和感があったりするとエネルギーロスをし続けているので、元気が直ぐになくなり、体調不良を起こしてしまうということです。 そのことを踏まえて身体を解釈していってください。