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いくつになっても”Challenger”

音楽フェス出場を終えて

2016.09.07 12:06



先日、音楽フェス出場して参りました。



1500人規模の会場でするLIVEはとても気持ちが良く、まるでONE OK ROCKのTAKAのように、会場中を駆け回ったのは、最高な気分でした。




音楽を通して、人に笑顔や感動を与えたいという思いのままに、とにかく全力で頑張った結果、その場に駆けつけてくれた仲間や、その他大勢の知らない方達も拳を突き上げ、一緒に踊ってくれました。




その後もLIVEに感動したと、直接電話をしてくださる方もいて、本当に様々な方達に感謝でございます。




また、現在2ndアルバムも作成中であります。


CDは作られるのだろうか。とお待ちの方達、今最中でございますので、しばらく、そしてもうしばらくお待ちください。





さて、今日は私事ではありますが、先日死にかけた話をしようと思う。




先日、タイへ行った話をしたと思う。


一ヶ月行く予定だったが、予定を早めて3週間で帰国した。



その理由は



【タイの保養地で連続爆発】


そう、爆発事件が起きたのである。


そして、私はまさにその爆発のすぐそばにいました。



ホアヒンという地区なのですが、朝夜で計5回の爆発があり、まさに私はその爆発で目を覚ました。これくらいの距離でした。




数秒後爆発がまた起き、死ぬかもしれない。

手足が無くなるかもしれない。


そんな極限状態で思ったこと。



『死はこんなに簡単に訪れるものなのか。』



そして、それを防ぐこともできない自分。

ただただ震え、部屋に籠もることしかできない自分。




人は死を迎える時、何を思うのでしょうか。

インターネットを見てみると、


「死ぬ直前にやり残したことは何か?」



というアンケートをアメリカで行い、死を目前にする老人に対して行ったそうです。


すると90パーセント近くの人が共通して同じ答えを述べたそうです。



その答えが、


『もっとチャレンジすればよかった。』


であったそうです。




そのチャレンジを塞ぐ要因として


「人の目を気にしていた。」



というのがあるそうです。




僕も実際同じようなことを思いました。




身近な人で言えば、親、教師、同僚、上司




こういった人たちがいますが、




この人たちはあなたのチャレンジをいかに批判しようが、あなたの人生に責任を取ることはありません。



最終的に生まれる恩恵や、不運も、すべて受け入れるのは自分なのです。




あのとき、爆発でもし、数秒後に死んだら…



と考えていたとき、



自分が普段思い描いている夢を、人に批判されるのが嫌で、または恥ずかしがって、諦めたことを後悔しました。



死んだら何もできないじゃないか。



安全に生きてきたかもしれないけども、死んだら全部終わりじゃないか。




誰も僕の代わりに死ねないじゃないか。



それなら、夢のためにもっとチャレンジしたら良かったじゃんか。




なんだ、批判ばっかりしても、死んだら終わりじゃないか。

それで、全部、終わりじゃないか。





って感じました。




もうひとつ


「もっと他人のために尽くせばよかった。」



こういう回答もあるようです。



私の知り合いで、死にゆく方を見ることが多い仕事をしてらっしゃる方がいて、その方が言うには




毎日、異なる方がお見舞いに来て、惜しまれて惜しまれて亡くなる方もいれば、そうではない人もいると。




この差は一体何なんだろうと感じたとのことです。



恐らくは自分のことだけでなく、他人のことをどれだけ考えていたか。

また、どれだけ多くの人の役に立ち、笑顔にしようとしていたか。ではないかと思っています。




人生100年と考えると他人の為に使える時間は13年と4ヶ月だそうです。



もちろん、自分のためにも使うことができますが、さてどう使うか。



もう会えないかもっていう悲しさと自分はどれだけ他の人に与えることができただろうかと、その時僕も考えていました。



さぁ、あなたはどうでしょうか。


人間はいつか死ぬんだ。ということをもう一度考え、自分のライフスタイルを見直す時間



っていうのも大切なのではないかなってことが伝えたく、書きました。




ではでは。