今年も最後の一日になりました。
一年間、ブログを読み続けて頂き本当にありがとうございます。
なんの参考にもならない文章を時々でも読んで頂くことがあるかと思うとなかなかやめれません。(笑)
それでも毎日書いていると、良いこともたくさんあります。それは全く何を書いて良いか分からなくなった時に起こります。 何かを振り絞るように新しいことを発見しようとする自分に出会うことです。新しい発見というよりも、自分自身の見方が変化することで気づく様々なことが、まだまだあるのだと知る喜びです。
それを何度も経験しています。単純でくだらない文章のように思うかも分かりませんが、これを毎日書き続けるということは、本当に頭を捻らないとできません。 また、誰かの知識をそのまま引用するようなことは殆どなく、できるだけ本を読んだり人の知識を借りないで自分で考えるということを目標にしていますので、そう簡単には新しいことは思いつきません。
どうしても繰り返しの内容になってしまうことも多々あります。それでも、たまたま書いた文章が誰かの心に響くこともあるような気がしています。 また、新しいことを発見するためには、本当に基本的なことを見直すということがどれほど重要かということを思い知らされます。
何度も何度もトライしているテーマでも、再度見直すと、まだまだ気づかなかった発見もも多いのですが、それも、なかなかまとめることができず中途半端で終わってしまうことも多々あります。 しかし、中途半端で終わることを、私は恥だとも思っていません。なぜなら、それは次へのステップに必ずなるからです。
よく親に、お前は何をさしても中途半端なことをすると言うような言われ方をされた記憶があります。しかし、今の私なら親に口答えすると思います。中途半端なことでもやらないよりもやった方ががいい。中途半端でもやりたいことがあるならやり続けてた方が絶対にいい。
と、何かをやったこともない親に言い返すでしょうね。
新しいことをするというのは、何かを犠牲にしてリスクを取るということです。そんなリスクを取ることもしないで、人のやることを批判だけして高見の見物をしているのは、何かをしようとしたこともない臆病者だと真剣に思っています。そして、それを続けることがどれだけ大変かは、やってみたら分かります。
仕事も遊びも、どうでも良いように思うようなことも、夢中になってやる。そんな経験からわかることが沢山あることを今は知っています。もちろん、中途半端は駄目と言われ続けてきたので、最初からそう思っていた訳でではありません。それでも、やった経験が後から大いに役に立ってくることを今は知っています。
どんなしょうもないことのように見えることでも新しい発見は、既知の知識とは全く違います。
私は人に教えてもらうことが極端に嫌いな性格なので、何をしても殆どが独学です。人の言うことをできるだけ鵜呑みにしたくないというへそ曲がりです。それは子供の時から変わりません。
人がやっていることを真似して自分が考えたみたいに言うやつは、本当に軽蔑してしまいます。そんな性格なので、沢山の知識を持っている人をみても凄いなと尊敬はしても、自分がなりたい姿じゃないと知っています。
だから、そんな人と自分は全く違うのだと思っています。単純に顏が違うのとなんらかわりありません。逆に知識はコンピューターに覚えさせとけばええやん。それより知識を引き出すロジックを考えた方がええやんと居直っています。
だからプログラミング作りに心血を注いだこともあります。
なぜ、コンピューターにさせられることを人間がせなあかんの?
と今でも思ってます。しかし、その読みは完全にあたったと思います。今は知識がなくてもグーグルとYouTubeで何とかなるようになってきました。専門的なことを知りたかったら、そこから専門書を読めば良い訳です。 でも、専門的なことって、何か胡散臭い気がしてます。何故か専門的になればなるほど本質から外れるような気がしてなりません。 だから、私は何度も何度も基本的なことから見直していきます。
基本的なことがわからないのに、専門的なことを語るなんておこがましいなとさえ思ってしまいます。私の仕事である東洋医学も「気」について説明したり実際に体験させたりすることができないのに東洋医学と言っているのは詐欺だなぁ~と思っています。また、いくら専門書を読んでも、その知識は自分で考えたものではなく人の考えたことです。そんな面白くないものをいくら覚えたところで何も得るものはない気がして仕方がありません。
自分で見て感じて、何が必要で、何が必要でないかを見分けられなければ知識は単なる文章や言葉の羅列です。自分で感じて見分けるというのは、かなりの労力も時間もいります。
まぁ暗記をさせられる方が私には労力がいりますが・・・。(笑)
既知の知識は、最新のものであるように見えて、最新のものではありません。最新のものというのは、今、自分が感じていることです。書物になった時点で過去のものです。少なくとも、自分の目の前にいる患者さんの姿を反映したものではありません。
だから過去の物(知識)をいくら並べ替えたところで過去のものでしかないので「今」には役に立ちません。 しかし、そう考えるのはリスクが大きいと普通の人は思ってしまいます。何の確証もない訳ですからね。
それでも、何故リスクをとるのかと言われたら、その方が自分らしく、それを好むからだと思います。自分らしく生きられるというのは本当に幸せなことです。自分らしいとは、魂の響きです。後天的な考えではありません。沸き上がってくるものです。そんな幸せを感じられるのは、リスクをとった人にしか味わえません。
最近よく思うのは、どんな人も、やり残したことがあるから生きているのだということです。どれだけ怪我を負っても病気をしても、死なない人は死にません。しかし、死んでしまう人は簡単に死んでしまいます。人はそれを運命と言いますが、それが良い悪いというのは人間の勝手な思い込みです。
だから、やり残したことがなくなったから死んだのではないかと最近よく思います。
やり残したことというのは、自分がやりたかったこととは違います。そんな頭で考えるような陳腐なものではありません。精一杯生きたから死んだわけです。
どんな生き方をしようとも、生きることを全うした訳です。それはそれで素晴らしいことです。そんなことに振り回されて嘆き悲しんでも何の役にも立ちません。その時が来たらその時です。少なくともそういう思いを持って生きたいと思っています。
それより、今、生きているなら、今できることを謳歌することを考えた方がよっぽどいい。余命幾ばくもないと思うような人が、ジタバタしてもはじまりません。早くそのことに気づいて、ゆっくり呼吸をすればいいのになぁ~。って思うようになりました。
生きて呼吸をするという素晴らしいことを感じとればいいのだと思っています。そんな思いを人に伝えられたら、この仕事を選んだ理由がハッキリするんじゃないかと思っています。
年末も沢山の患者さんが来てくれ嬉しい限りです。貴重な時間を待合いで長時間待って下さった方々、本当に感謝しております。
来年もできる限り、こんな思いをもって身体を調整させて頂きますので、何卒宜しくお願い致します。
それでは皆さん良いお年をお迎え下さい。