野生化・飼いならされない孔雀
https://4travel.jp/travelogue/11258793【孔雀が遊ぶアジサイの園 ~雨引観音~】より
茨城県桜川市に雨引山楽法寺、通称雨引観音という古刹がある。桜や牡丹など花の寺として茨城県内では知られた寺だが、梅雨の頃はアジサイ寺としても有名である。境内に3000株のアジサイが咲いているが、この寺に興味を魅かれたのは、アジサイだけでなく数羽の孔雀が放し飼いされているので、アジサイと孔雀の組み合わせという、珍しいコラボ写真撮影のチャンスがあるからである。
実は一昨年も訪れている。数時間粘ったのだが、孔雀君はついに美しい羽を広げてくれなかった。今年は一昨年のリベンジである。
山門の前の駐車場からみると、参道の左側脇にアジサイの群生地が広がっている。中央の木が邪魔しているが、上の方から滝が流れ下るがごとく、アジサイの花の流れが続いている。
まず、山門をくぐってから、
参道の階段から外れて、アジサイの群生地の中に入ってみる。
アジサイ群生地の中に小径があり、参道の階段の上に通じている。
数人のカメラマンが撮影している。この日は雨は降っておらずアジサイの花は乾いているが、なんとカメラマンの一人が、霧吹きで花に水滴を付けるという演出(ヤラセともいう)を始めた。
せっかくなので、滴がかかった花を撮影に使わせてもらった。定番だが、やはりアジサイには滴がついているのが似合う。
定番だが、やはりアジサイには滴がついているのが似合う。
なお一層の定番アジサイ写真といえば、カタツムリとの共演だが、あいにくカタツムリは探してみたが見つけられなかった。
これまた定番の撮り方、前ボケを利用した構図にて
くだんのカメラマン氏、次から次へと傷んでいない花を選んで霧を吹きかけていく。
そのあとを追うように、ヤラセの水滴がついたアジサイを撮っていく。
参道の上、仁王門が立っているところに合流。ここから参道を見下ろす。
オッ、こんなところに孔雀がいた。一昨年はさらに上の本堂がある境内にたむろしていたが、今日は仁王門付近に2羽歩き回っている。
全く人を恐れることはない。人間を無視して気ままに歩き回っている。
なかなか、羽を広げてくれない。
近づいてみると、猛禽類のような精悍な顔つきをしている。だが、孔雀は肉食ではなく、雑食である。しかも何でも食ってしまう悪食の鳥で、毒虫や猛毒のコブラさえ餌にしてしまうという。美しい姿に加え、そうした食性から「毒のある生き物の害を取り除く神聖な生き物」として崇められ、密教の孔雀明王として神格化された聖なる鳥なのである。
近づいてみると、猛禽類のような精悍な顔つきをしている。だが、孔雀は肉食ではなく、雑食である。しかも何でも食ってしまう悪食の鳥で、毒虫や猛毒のコブラさえ餌にしてしまうという。美しい姿に加え、そうした食性から「毒のある生き物の害を取り除く神聖な生き物」として崇められ、密教の孔雀明王として神格化された聖なる鳥なのである。 この寺の宗派は真言宗である。真言密教の孔雀明王との関係で孔雀を飼っているのかもしれない。
この寺の宗派は真言宗である。真言密教の孔雀明王との関係で孔雀を飼っているのかもしれない。
本堂の方には行かず、仁王門のまわりをたむろしている孔雀が羽を広げるのを辛抱強く待つこと1時間半、羽を広げる仕草をしたと思ったら閉じてしまう。こんな思わせぶりなフェイントを繰り返すこと数回、やっと美しい羽を広げ始めた。
オオーッ、羽を広げた!
あでやかな美しい羽を広げて仁王門の前をゆっくり歩く姿は、花魁道中を連想させる。
アジサイ越しに一枚パチリ。
突然鳴き声をあげた。びっくりするほど、大きな鳴き声だ。一昨年来たときには鳴き声は聞いていなかった。
20秒ほどは美しい羽を広げて見せてくれていたが、やがて、また閉じてしまった。
次に羽を広げてくれるのをしばらく待ったが、2回目はなかなか広げてくれない。
2回目のショーを待つ間に仁王門周辺のアジサイを撮影。
城壁を思わせるような石垣が積まれている。本堂や多宝塔などの伽藍は、この石垣の上に上ったところにある。
仁王門の孔雀は2回目のショーをなかなかやってくれないので、伽藍が立ち並ぶ上の境内に行ってみる。
アジサイ越しの本堂(観音堂)の扁額
奥の院の方まで行ってみると、こちらにも一羽の孔雀が、多宝塔を見下ろすように金網にとまっている。
こちらの孔雀の方が、仁王門の孔雀より若そうで羽の傷みも少ない。この若者孔雀が羽を広げてくれるとさぞ見栄えがよかろうと期待していたが、ついに、この孔雀君はショーをやってくれなかった。
とさかの青色もこちらの孔雀君の方が鮮やかな色をしている。
境内には、孔雀だけでなくアヒルや鶏までいる。鶏と孔雀のツーショット
結局、2時間以上、境内をウロウロしていたが、孔雀が羽を広げてくれたのは一度だけだった。
雨引観音では、桜やアジサイが見頃のこの時期には、4年前から夜間ライトアップもされるようになった。せっかくなので、いったん車に戻り夜まで待ってライトアップされたアジサイも撮影して行こう。
6時半、境内の灯りが点灯
まだまだ、明るい。まだ仁王門の前には孔雀がたむろしていたが、もう羽を広げてはくれなかった。
手水舎越しに石垣の前のアジサイ
ふたたび、伽藍が建つ境内へ。<br />本堂の前。せっかくライトアップしているのに、だれもいない。
ライトアップはアジサイではなく、建物の方だった。
境内から見る桜川市の夜景とアジサイ。この付近はライトアップがないので、手前のアジサイは持参した懐中電灯で照明。
参道の途中で、撮影しながら駐車場に戻る。
ライトアップされた仁王門
アジサイのライトアップは、時間をつぶして待つほどでもなかったかな・・
だが、狙っていた美しい羽を広げた孔雀とアジサイのコラボ写真が撮れたのは収穫だった。
満月のりこ【心理セラピスト@東京】@mitsukinoriko
当たり前のことなんて何ひとつない 失ってから気づくのでは遅いから 近くにいる大切な人にこそ気持ちを伝えたいね
今年一年ありがとうございましたまた来年もよろしくお願いいたします
https://mba.globis.ac.jp/careernote/1130.html 【自分らしく生きるために。3つのヒントと注意すべき本当の自分を隠す壁】 より
「自分らしく働きたい」「ありのままに自分らしく生きたい」「自分らしさが発揮できる仕事をしたい」このように考えたことのある方は、多いのではないでしょうか。
「自分らしさ」は、キャリアデザインのセッションに登壇していると、必ず出てくるキーワードです。今回は、自分らしい生き方を実現するために押さえておきたいポイントについてご紹介します。
なぜ私たちは「自分らしさ」を求めるのか?「自分らしく生きたい」と考える人は多く、また、そうした想いを否定する人も少ないでしょう。
そもそも、なぜ私たちは「自分らしさ」という言葉にひかれるでしょうか。
理由①:人は本能的に「自分らしい状態」を欲する
1つ目の理由として、本能的に人間の心が「自分らしい状態」を欲するからでしょう。
私たち人間が自然物である限り、自然な状態を望むのは、ごくごく当たり前のことと言えます。
理由②:「自分らしさ」が手の届くものになった
2つ目の理由としては、「手が届くかも」という期待があるからです。
人は、求めても到底手が届かないものは求めようともしません。
自分らしさを求めるということは、「自分らしさが手の届くものになった」ということではないでしょうか。
以前、私が大学生向けのキャリアセッションに登壇し、働くうえでの価値観の変遷を説明する中で「定年まで1社で勤め上げる」という言葉を口にした時、会場に笑いが起こりました。
従来の日本では、いわゆる"幸せ"のイメージが画一的でした。
良い大学を出て、有名な企業に入って定年まで勤め上げ、年金で余生を楽しむ。
一度レールに乗ったら自動的に人生が進んでいくイメージです。
しかし、今の大学生たちは、そうしたケースはもはや稀だと分かっているので、思わず笑ってしまったのでしょう。
時代は変わりました。
働き方も多様化し、「1億総転職」「副業・複業のパラレルキャリア」「独立・フリーランス」という生き方が市民権を得た自由な時代が始まっています。
新しい働き方が手の届くものになった以上、「自分らしさ」を求めるのは必然的なことではないでしょうか。
自分を知るための3つのヒント
なぜ私たちは自分らしく生きたいと思いつつも、実現していくフェーズで悩んでしまうのでしょうか。
それは、自分らしさを追い求める一方で、「自分らしさというものが分からない」ことに原因があるからです。
自分らしく生きるための即効薬はなく、よくあるHow toで簡単に片づけられるものではありません。
自分らしさを求めるのであれば、まず丁寧に自分自身を知っていく必要があります。
「ジョハリの窓」に"盲目の窓(他人は知っているが自分はしらない領域)"が存在するように、私たちは思っている以上に自分のことを知らないのです。
/自分のことを知るヒントとして利用できるジョハリの窓
ここからは、自分自身を知るための3つのヒントをご紹介します。
ヒント①:価値観を探る
価値観とは、人生の根っこにある考え方や概念です。
ぜひご自身のこれまでの人生を振り返ってみてください。
まずは、自分の人生の判断軸となるものを探り当てることが、自分を知るための第一歩です。
・皆さんが「人生で大切にしてきたこと」は何ですか?
・心の底から「幸せ」を感じるのはどんな時ですか?
・「ワクワク」したり、「憤り」を感じることに、それぞれ共通点はありますか?
ヒント②:直観に従ってみる
価値観を探ることに似ていますが、直観に従って生きてみるのも有効な一手です。
自分らしく生きようとする反面、私たちは他人の期待に応えようとします。
前者は直感が、後者は理性が働いた結果です。
直観に従うとは、「自分らしく生きようとした瞬間を逃さず捉えること」です。
直観を大切にすることは、自分らしさを大切にすることに繋がります。
ヒント③:他者を鏡にする
自己理解をしようとすると、ひたすら自分と向き合い、内省することが大事なイメージがあるかもしれません。
しかし多くの場合、自己理解は他者からもたらされます。
私が登壇するキャリアセッションでも、他者からのフィードバックで有益な気づきを得る人が圧倒的に多いです。
自分のことを自分の力だけで知ろうとすると、限界があります。
私たちは、自分が見えている自分しか認知することができないからです。
先ほど述べたジョハリの窓の「盲目の窓」のように、自分自身では気づいていない自己が必ず存在します。
自分では当たり前すぎて気づいていない「自分らしさ」や、まだ表に出ていない「自分らしさ」を知るためには、多様な価値観を持つ人たちが集う場に身を置いてみるといったこともおすすめです。
他者とのやりとりを通じて、自分らしさに出会えるかもしれません。
本当の自分を覆い隠す3つの壁に注意する
3つのヒントをご紹介しましたが、それでも自分を知ることは簡単ではありません。
本当の自分にアクセスしようとしても、「本当の自分を覆い隠す3つの意識の壁」が邪魔をするからです。
これらの壁に心当たりがないか、ぜひ振り返ってみてください。
壁①:「常識の壁」
「それを始めるには年齢的にもう遅い」「失敗することは悪いことだ」など、過去の常識や一般的なルールの壁です。
一見もっともらしく思えますが、過去の前提や根拠のない思い込みであることも少なくありません。
壁②:「他者の壁」
「知名度の高い会社で働こう」「年収で自分の価値が決まる」など、他人(自分の外部)の評価の壁です。
みんなの意見に従う安易な道ばかり選んでいると、「自分はどう思うのか」が押し殺されてしまいます。
壁③:「自分の壁」
「組織ではどうせやりたいことはできない」「自分は起業するようなタイプではない」など、自分で決めつける壁です。
自分で自分にレッテルを貼るパターンに気づき、自分で自分の限界を決めるのはやめましょう。
まとめ
私が教員を務めるグロービス経営大学院では、自分らしさを「志」と表現し大切にしています。
2年間をかけて、ヒントに挙げたアプローチも含め、徹底的に自分らしさと向き合います。
その過程に携わり思うのは、やはり即効薬はないことです。
本当に大切なものとは、そういうものなのでしょう。
自分らしさとは、単なるキーワードではなく、妥協せずに追い求める価値があるものだと信じています。