「宇田川源流」【年初放談】 令和三年の政治はどうなるのかの大予想
「宇田川源流」【年初放談】 令和三年の政治はどうなるのかの大予想
今年はいつもと違って、曜日が1月3日に日曜日というかなり微妙な状況になっていることと、コロナウイルス禍で、あまりにも昨年の予想が外れてしまったことから、いつもの年とは異なる内容でやってみた。まずは、今年は1月2日に昨年の「反省」を行い、そして本日から数日間で「新しい生活様式」の中においてどのように変わるのかということを考えてみることにする。
さて、まずは「年初放談」ということで毎年やっているが、私のやっていることは占い師でもなければ予言者でもない。そのために、「予想する」などといっても、それが私の専門ではないので、もちろん昨年の予想のように外しても、それが何か大きな問題があるとは思っていない。しかし、それならば予想などはしなければよいというが、まあその辺は正月の「戯言」であり、まあ、それでよいのではないかと思う。
まあ、当たるも八卦当たらぬも八卦という感じであるということと、他に考えてみるのは、正月はそれほど大きなニュースはないので、こちらも毎日ニュース解説のブログを書けるほどのネタが揃わないということがあるので、そのような事情から、予想をやっているのである。これもすでに10年以上やっている。
さて、まずは何よりも、政治についてである。
昨年までは、昨年の予想の答え合わせから行っていたのであるが、今年はすでに答え合わせは終わってしまっているので、まずは昨年の政治の解説から行うことにしよう。政治というのは、何よりも継続性によって行われているので、まずは昨年の内容を見ることから始め、そしてその継続性として今年何が起きるのかということを考えてみた方が確実性が増すのである。
そのように考えたときに、まずは昨年の政治というものどのようなものであったのかということを考えてみよう。
昨年、1月25日の春節の付近で、中国の武漢市において新型コロナウイルスが発見された。当初WHOは「あまり影響はない」というような発表をしていたが、2月になって、新型コロナウイルスを保菌した者が、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号に入っており、その船の中で多くの人が感染したことによって、日本はその対応を迫られることになる。そもそも1月25日に中国の春節休みがあり、その春節休みにWHOが規制をしなかったことから、世界各国に新型コロナウイルスが蔓延し、日本だけではなく世界的に政治が停滞することになるのである。
ここからは、日本の政治においてのみ考えることになる。
日本の政治においては、それまで安倍首相の政治が7年間続いていた状態である。もちろん7年も同じ政権が続けば、当然に「マンネリ化」という問題が出てくるのであるが、一方で他に政権を任せられる人がいないという状況であったといえる。その中において、安倍政権はアメリカのトランプ大統領との進化された関係があり、日米関係を基軸に政治を行っていた。
日本国内においては、安全保障の部分を強化し、日本が独自に外交を行えるような状況を作り出し、集団的自衛権などの行使ができるように法律を改正ていたのに対し、日本の野党は、論理的・政策論的には全く対抗することができず、そのことから、スキャンダルと印象操作、そして、批判をすることでしか存在感のない政治が繰り広げられていた。もちろん野党の行っていることが「政治」といえるかどうかは、かなり微妙であり、タブロイド紙の記者くらいで十分な仕事しかできていないのが現状である。
さて、その方な中で、昨年はコロナウイルス禍に悩まされることになった。
コロナウイルス禍の中で、日本は憲法的な要請から日本人国民の行動を強制力によって制限をしないということを大前提、また職業選択の自由から、職業別に働いてはいけないというような、つまり「店を開けてはならない」というようなことを、法的強制力を使って行うことができないと意前提で物事を対処してきていた。
4月になって、緊急事態宣言を行い、そのことによって「外食やパチンコ店などの夜間営業自粛要請」や「不要不急の外出自粛要請」など、全て「自粛要請」を行うことによって、人と人が密接に接触しなければ、感染を防ぐことができるということと、また、ダイヤモンドプリンセス号などによって一定の密閉状態の中で、どれくらい感染が広がるかということのデータが取れたことによって、感染が広まった場合の対処方法を行うようになったのである。
しかし、そのような中、安倍首相が140日以上の連続勤務ということになり、もともと体調が悪かった安倍首相が8月末に辞任する。その後を受けたのは安倍内閣の官房長官であった菅義偉氏である。
菅内閣は、基本的には安倍内閣の継承ということを言っていたが、実際には、国民があまりにも過激なマスコミの印象操作とそれとは異なって身近にコロナウイルスの被害がないことなどから、ゆるみが出てしまい、昨年年末からの感染拡大が大きくなったという状態である。
コロナウイルス対策に関しては、基本的には「感染防止=人と人が接触しない」と「経済対策=人が外に出て金を使う」という、正反対の行為を、コロナウイルス感染者の増減を見ながらかじ取りをしなければならず、官僚のマニュアル的な政治では対処できないということになるのである。そのために、本来ならば強力な政治的な決断と、それに従うという国民や官僚のコンセンサス、そして、ある程度の実績が必要になるのであるが、残念ながら、菅内閣には、そのような機動性と決断力、そして、国民や官僚に対するコンセンサスが存在せず、野党やマスコミによる批判で終わっているという感じである。
さて、そのような中での今年の内容が予想できる。
<令和三年の政治の予想>
・ 菅内閣は支持率の回復ができない中、オリンピックなどを行うための外交的な駆け引きを行う。しかし、印象の悪さは回復できるものではなく、そのことからオリンピック後の解散によって敗北(過半数割れや下野はない者と思われる)。そのことで菅内閣は1年で交代することになる。
・ ポスト菅として「岸田文雄」「河野太郎」「野田聖子」「下村博文」などの名前が上がり、その中で9月の総裁選で次が選ばれる。さすがに現時点での次の総裁は予想できないが、ある意味で日米関係・日中関係などから岸田文雄氏が有利に進めるのではないかと考えられる。
・野党は、相変わらず反対のための反対しかすることができず、そのことから国民から全く乖離した存在になってしまうものの、本人たちはそのことに気づかず、単純に「反自民」の集合体であって政策を示すことはできなくなってしまう。現在の立憲民主党のほかに、政策を作ることのできる野党を作る動きが出てきて、石破茂などがスカウトされることになる。
まあ、このような感じではないか。
実際に、政治世界は、コロナウイルス禍の中でも、全く関係なく「浮世離れした」政治が行われることになる。残念ながらそのような予想しかできないのが現在の政治の現実なのである。