10月16日(金) 「国立劇場歌舞伎、1部、ひらかな盛衰記、幸希芝居遊」
国立劇場の10月歌舞伎公演の第一部を観に行く。ひらかな盛衰記と、新作、幸希芝居遊(さちねがうしばいごっこ)。
まず、ひらかな盛衰記。鎌倉一の美男の侍といわれた梶原源太景季の物語である。まだ歌舞伎を見始めた時に、尾上菊五郎と、福助時代の中村梅玉で見た記憶がある。当時、宇治川の先陣争いで敗れたとはいえ、二番手で敵陣に切り込んで活躍したのに、なぜ父景時が、梶原家の長男で、跡取り息子の景季に、切腹を命じるのか、よく分からず困惑し観た記憶がある。結局源太勘当は、鎌倉一の美男の侍と言われた景季を、人気役者が演じて、その美しい佇まいを楽しむ芝居であり、母延寿と、子景季の、親子の情愛を、これでもか、これでもかと見せる、お涙頂戴の芝居で、涙は誘うけれど、武士の世界なのに、景季が母に甘えすぎて、くどいとさえ思っていたのである。
今回久し振りに源太勘当が出たので、事前に調べてみたら、なぜ父景時が先陣争いで破れた我が子に切腹させるのか、その理由が少し分かった。ひらかな盛衰記は、二つの流からできている芝居で、木曽義仲の配下、樋口次郎兼光の忠義を見せる筋と、梶原家の家族内紛を描いた筋の二つからできている。源太勘当は、後者の筋で、父景時と長男景季とは仲が悪い訳ではないのだが、なぜか父景時は、宇治川野先陣争いで佐々木高綱に敗れた我が子、景季を切腹させようとする。
前段で、父景時は、源氏軍内で、木曽義仲との戦を占った際、誤って大将源義経の白旗を射抜いてしまい、不吉だと、義経は激怒して、景時を切腹させようとするのだが、佐々木高綱が仲裁に入り、命が助かった事件が描かれている。景時は、高綱に恩を受けた事になる。佐々木高綱は、頼朝が旗揚げした時からの家臣、一方の景時は、平家方だったのだが、頼朝敗走時に、山に隠れていた頼朝を見逃して命を助け、その後源氏方の寝返った武将である。佐々木家と、梶原家は、頼朝の家臣団にあっては、ライバル関係にあり、景時としては功名手絡を立てて、頼朝にアピールしたいところだったのだ。息子の景季が先陣争いに勝てば、大いに面目を保ち、頼朝への孝行の面でも得点を上げられるところだった。
頼朝は命を助けてもらった景時に恩義を感じ、長男には源太という名を与え、更に源太には磨墨という名馬を与えている。一方佐々木高綱には、源太が欲しがった池月という名馬を与え、配下の両家のライバル心を燃やさせている。
源太の父、景時としては、宇治川の先陣争いは、わが子景季と、佐々木高綱が争ったが、景季に勝ってもらい、梶原家の名誉を高め、ライバルの佐々木家を凌駕し、父としては最大の功績を上げて頼朝に奉公をアピールしたいところだったのだ。それが期待に反して敗れてしまった。しかも先陣争いで、最初はリードしたのに、馬の鞍を締めなおしている間に、高綱に先陣を奪われるふがいなさに怒ったのだと思う。
父と子の、武士世界の忠孝、恩義に対する心のすれ違いが確かにある。景季は、佐々木高綱に、父が受けた恩を返すためわざと負けて、父の恩を返した。父には孝行を尽くしたと思っている。一方父景時は、宇治川の先陣争いで勝つことで、主君の頼朝に、忠義を見せたい、奉公したいところだった。
景季が、父景時に、父の受けた恩を返すため、高綱にわざと勝ちを譲っていいかと、一言相談していれば、全く問題なかったのにと思う。父景時の頼朝への恩、息子景季の父への恩のボタンがずれてしまった悲劇なのである。と、くどくなったが、こうした事ヲ頭に入れて、今回の舞台を見た。
梅玉の源太は、ニンにあう、はまり役で、花道からの出に、愁いがあり、美しさと、気品、更に柔らかさを見せて、鎌倉一の美男の侍は、こうだったと、観客に納得させてしまうところが凄い。役の雰囲気を、ニンで見せるのは、梅玉の独壇場である。先陣問答も、勇壮に語るのではなく、愁いを含んで伝え、葛桶に座りながら、扇一つで、戦いの様子を描くが、力強く語らなくても、十分に景色が浮かんできた。
弟景高を演じた幸四郎は、兄を殺して跡目を狙う悪人ながら、手ごわさと、いやらしさ、滑稽な味をうまく出していて、楽しかった。幸四郎の演技は、動きがきびきびしていて、セリフの強弱が上手い。糸に乗った戦陣問答も力強く、時代風に決めた後に、急に甘えた様な口語口調になる場面では、いきなり子供っぽい、悪たれに見せ、コミカルさをたっぷり見せて楽しかった。
前回観た時には、千鳥役だった魁春が、今度は母延寿を演じた。姿を現した途端に、高家の奥様という気品は確かにある。夫、景時からの手紙を読んで、その中に源太を切腹させろと書かれた文を読んで驚くが、その後は、正面を見据えて、どう息子の切腹を回避させるか思案しながら、顔の表情は変えず、成り行きを伺うはらを見せる芝居が続くが、冷静に見え過ぎて、はらが、どこにあるか、今一つ分からなかった。千鳥は、扇雀が演じた。この役は、単に清純な腰元として演じるのではなく、すでに源太と密通していて、女の色気も必要な役だ。更に源太を好きなばかりに、どんどん口をはさんでいく、勝気で、元気な女性である。このあたり、扇雀は、勝気な面を強く出しながら、顔と体で、可愛く演じていたと思う。
今回久し振りに源太勘当を見て、やはりおかしいなと思った事がある。源太は佐々木高綱に受けた父の恩を返すために、わざと負けた、勝ちを譲ったので、これは、父への孝行として、自信をもって行った行為であって、恥じるところは全くないはずである。だからもっと堂々と鎌倉に帰ってもいいはずである。父から切腹を命じられて帰る訳でもなく、戦争の最中、一人だけ鎌倉に戻されたところから、父は激怒しているとは思うが、よもや切腹させるとは思っていないだろう。となると、源太を、愁いを含め過ぎた、靜かな佇まいで演技する所に、疑問があるのだ。
芝居の後半で、母延寿との情愛を、くどくど見せ涙を誘うが、母の情愛を受ける、まるで子供のような源太を見ると、勇猛な武将というイメージではなく、始めから悲劇性をもった悲運の侍として描いた方が、芝居全体として、観客の涙を誘える効果があると作者が狙ったいう事なのだと思うしかない。江戸時代の初演当時、源太を役者はどう演じたか、見てみたいと思った。
新作の幸希芝居遊(さちねがうしばいごっこ)は、幸四郎を含め、役者たちが、コロナ禍で芝居が出来ず、芝居をしたくて、したくて仕方がないという思いが強く伝わってきた。たくさん出てくるお面を、順番を間違えず、瞬時に取り換え踊る幸四郎も素晴らしいと思ったが、お面を用意する役者たちも素晴らしい技だと感心した。