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鈴木桂一郎アナウンス事務所

11月12日(木)「国立劇場歌舞伎、1部俊寛。2部毛谷村、文売り、三社祭を見る」

2020.11.12 01:27

国立劇場11月歌舞伎公演を見る。一部が吉右衛門の当たり役俊寛、平家女護島で、いつもは出ない六波羅清盛館の場が出た。この幕で、俊寛の妻、東屋が清盛に、妾になれと迫られて、断って、教経が俊寛に操をたてて自殺しろと勧めるのに従って死ぬところが出た。敵方の平教経の勧めで、俊寛が遠島になっているのに、そんなに簡単に死ぬものかなと、やはり唐突のような感じがした。

喜界が島の場は、吉右衛門の俊寛の出で、これまで何回も見た俊寛の中で、一番疲れ切り、精神的にも肉体的にもボロボロの状態の様に演じていると感じた。杖を本当に頼りに歩いていたし、腰を降ろすのにも、立つにも木の柱を掴みようやく立ち上がっていた。三十代でありながら、島流しの長い生活で,やつれて果て、老人にしか見えない、結婚の祝いの場面で舞を行い、すぐ後ろに倒れ込むが、これも本当に疲れ切って、お祝いしたい気持ちはあるが、身体がついていかないようにみせた。俊寛は、すでに絶望感と虚無感に包まれて、肉体の限界にいたのである。ところが赦免船が来ると、急に元気さを取り戻し、使者の前に誰よりも前に進むあたりに、許されて京都に戻り、妻に会えるという小さな期待が、いきなり大きく膨らみ、元気さを取り戻す人間性を強く感じた。だからこそ赦免状に自分の名前がない事で、一気に奈落に落とされ、涙を流して怒り狂い、猛烈に抗議する姿に共感できるのである。絶望の中に、希望が一つ灯ったのに、再び絶望に突き落とされた時の人間の気持ちが良く出たと思う。舞台の最後で、おーいと言って赦免船を見送るが、高い所に上って松の枝を折って船を見やる最後のシーン、今回の吉右衛門は、絶望感、虚無感に包まれ、船の姿を見ているようで、実はなにもみていないのだと感じた、終わり方だった。

2部は、仁左衛門で何回か見た毛谷村。仁左衛門の毛谷村六助は、腕は立つが、人のいい人物で、仁左衛門は柔和に、徹底的に優しい人物として演じていて、老母を抱える微塵弾正に勝ちを譲り、敢えて負けて、500石の侍として仕官するのを助ける位、超絶優しい人物なのだ。その六助が、だまされたと分かった瞬間、一気に怒りを爆発させた。この振り幅の大きさに驚いた。優しい顔の仁左衛門は素敵だが、怒りの頂点に立った仁左衛門は、目だけが怒りに燃えるだけでなく、顔の筋肉が、一気に怒りの表情に変わるところが見事だった。この怒りの爆発があるからこそ、庭石を踏み込んで、地面に埋めてしまうところが納得できた。梅枝の息子小川大晴君が出演していた、可愛いの一言。

最後に清元舞踊が二本、梅枝の文売り、鷹之助と千之助の三社祭、千之助が奇麗だ、鷹之助にはバイタリティーがあった。