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孔雀明王像

2021.01.02 06:40

https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kaiga/kujaku.html  【孔雀明王像 (くじゃくみょうおうぞう)】  より

 仏教のうちでも神秘性を重んじる密教(みっきょう)という宗派で信仰されたホトケさまの絵には、ふだん見慣れない不思議な絵があります。鳥の上にすわっていたり、ライオンの冠をかぶっていたり、火炎を背負っていたり。手の数も二本ではなく、何本もあったりします。なかでも「明王(みょうおう)」という怒りの表情をとるホトケの一群は、密教特有のものでした。

仏教の教えをなかなか聞き分けないものたちを、なんとか正しい道に導こうとするために、わざとこわい顔をしてみせているのです。

こうしたホトケたちの姿も、もとをたどれば、遠くインドからやって来た形でした。密教はインドで発生し、中国に渡ったあと、すぐ日本に伝えられた教えだったのです。まとまった形で日本に密教をもたらしたのは、有名な弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)でした。

さて、今回は「孔雀明王(くじゃくみょうおう)」について勉強したいと思います。

 孔雀の背中にすわっている姿のホトケがそれです。こわい姿の明王たちの中で、この孔雀明王だけが、やさしい顔をしています。じゃあ、どうして孔雀に乗っているのでしょう。わけを知るには、インドまでさかのぼらないといけません。

 コブラをはじめとするインドの毒蛇は、人間に害を与えるので、たいそうこわがられます。昔も今もそれは変わりません。蛇使いのように、笛を吹いて蛇を飼い慣らす方法もありますが、毒蛇をやっつけてくれる動物にお祈りする方法もありました。孔雀がそうです。聞いた話では、孔雀は蛇に向かい合ったとき、わざと弱ったふりをして自分の体に巻つかせ、蛇が襲いかかろうとする瞬間、いっきにつばさを広げて撃退するのだそうです。蛇には気の毒な話です。しかし、優雅な姿の孔雀がおそろしい毒蛇を退治してくれるイメージは、美女が野獣をこらしめるような、晴れやかな印象があります。こうした孔雀の力はやがて神様のように扱われ、鳥ではなくホトケの姿に結晶していきました。それが孔雀明王なのです。

 絵を見てみましょう。

 孔雀は翼を広げた形で、正面から描かれています。その顔はちょっとユーモラスでさえあります。明王のうしろにも、魚のうろこのように金色の羽根が見えますが、これは孔雀が尾羽根を開いたようすをあらわしています。背中にすわった明王は、4本の腕をもっています。どうして4本もあるかといいますと、腕が多いほうが、神秘的な力があると思われたのです。

 腕の持ち物は、蓮華と孔雀の尾羽根、それにレモンやザクロのような果実(グエン果(か)と吉祥菓(きちじょうか))です。これらの持ち物は、それぞれに神秘的な意味がありました。右手の蓮華はホトケの慈悲をあらわします。二番目の右手のまるいグエン果は、これを食べると元気がでるという、ありがたい果物です。左手の吉祥菓は鬼を撃退する霊力を持つめでたい果実です。二番目の左手の孔雀の尾は、災難をはらう力がありました。これらの持ち物は、孔雀明王の不思議な働きをしめしているのです。

 密教のホトケたちの画像には、あざやかな色彩が見られます。おごそかに飾りたてることによって、ホトケさまに対する尊敬の気持ちと、そのホトケさまが大きな神秘的能力を持っていることをあらわそうとしたのでした。孔雀明王の絵では、着ている服に、豪華な材料が使われています。服のひだの線には金の絵具(金泥)、服の文様には銀の絵具(銀泥)を用いています。いまでこそ、黒っぽく見えますが、描かれた当初は、金銀がきらきらと輝くような画像だったのです。

 この絵は、鎌倉(かまくら)時代の昔に作られたものです。密教ではこの絵をかけて、いろいろなことをお祈りしました。天然の災害をストップするときや、雨を降らせたいとき、お米をはじめ穀物が豊作になるように願うとき、お産がぶじに済むように願うときなど、なんでも祈っていました。近年、火山や地震で困っていますが、昔ならば、きっとこの孔雀明王をかけてお祈りしていたところです。

美術室 泉


https://butsuzolink.com/kujakumyooh/ 【【仏像の種類:孔雀明王とは、ご利益・梵字】あれ?明王なのに怒っていない!美しい孔雀に乗る美しい明王さまの謎】より

孔雀明王の主な働き

明王の中でただひとり、怒った表情をしていない、菩薩のような慈悲相を見せるのが孔雀明王。サンスクリット名はマハー・マーユーリーです。マハーは大いなるという意味で、マーユーリーはマユーラ=孔雀の女性名詞。つまり、「偉大なる孔雀」という意味。もともとは女神なんです。そう、明王の中の紅一点。優しい女性的な菩薩の姿に造像され、仏母大孔雀明王菩薩とも、孔雀王母菩薩とも呼ばれます。

なぜ孔雀なの?孔雀の意味について

それではなぜこの孔雀明王は別の鳥ではなく、孔雀明王なのでしょう? 鳥だったら、孔雀よりもダチョウのほうが乗りやすそうな気もします。

実は、孔雀は美しい鳥でありながら毒蛇やサソリを食べる強い鳥。その孔雀の強さを神格化したものが孔雀明王でした。

毒蛇というのは、いわば諸悪の象徴。三毒と呼ばれる人間を一番苦しめる毒薬である貪・瞋・癡(とん・じん・ち)つまり、貪りの心、怒りの心、愚痴の心の三つや、さまざまな煩悩を除き、あらゆる病魔を退散させる存在として信仰を集めることになりました。美しい者が悪を滅ぼすその晴れやかなイメージはいつの時代にもウケるんです。

その上、インドでは、孔雀が恵みの雨をもたらす吉鳥でもあったので、奈良時代の日本では雨乞いや鎮護国家の最重要のお経として孔雀明王の真言が用いられていました。

雨乞いなどと聞くと、ちょっと原始的な感じもするかもしれませんが、その頃の日本にとって作物の順調な成長は収穫に関わる最重要事項。豊かな雨は必須でしたから、かなり生活に直結した問題に直面してくださっていた明王だということがわかります。

実は孔雀明王は日本では仏画が一般的で、仏像になっているものは珍しいといえます。画像が多いのは、孔雀明王のイメージがとても絵画的なせいなのかもしれませんね。

孔雀明王の見た目・見分け方

最も特徴的なのが孔雀の背中にのっていること。全て独尊の坐像として作られ、姿形は菩薩と全く同じです。二・四・六臂(ひ/ぴ)像があり、四臂像は孔雀の尾羽と蓮華、吉祥果(きちじょうか)と倶縁果(ぐえんか)を手にしています。吉祥果は桃に似た形の果物ですが、代わりにザクロを持つ像も多くあり、多産・豊穣を意味します。

倶縁果とは、レモンのような柑橘系の果実。他の明王が武器を持つのと違って果物を持っている孔雀明王は、あくまでも穏やかな菩薩形なんですね。

孔雀明王の成り立ち

インドでは古くからコブラやサソリなどの毒蛇や毒虫が多く、人々はこれをおそれていました。一方、孔雀は毒蛇の天敵で、これを捕らえて食べることから益鳥(えきちょう)として大切にされてきました。その証拠にインドの国鳥は孔雀なんです。

毒蛇はこの世の煩悩や汚れに例えられ、毒蛇を撃退する孔雀には霊力がそなわっていると考えられました。孔雀は煩悩を食い尽くし、人々を救ってくれるものとしてインドで神格化されたのです。その孔雀が仏教に取り込まれ孔雀明王になりました。

孔雀明王法

孔雀明王は、明王の中でも最も古い仏さまの一つで、6世紀頃のインドで生まれたと考えられています。日本では奈良時代ごろから信仰され、孔雀明王を本尊とした密教呪法が広がっていきました。

その密教呪法は、孔雀明王法、孔雀経法と呼ばれ、真言密教において孔雀明王法による祈願は鎮護国家の大法とされ最も重要視されました。雨乞いなど現世利益に直結する鎮護国家の最高の経法の一つです。

修験道の開祖、役小角(えんのおづの)はこの孔雀明王法を信仰して超人的仙術を得、飛行自在になったとか。また、天台密教の最澄、真言密教の空海など密教でもこの仏を重要視し、雨乞いや息災を祈願する孔雀明王法が修され平安後期から鎌倉時代にかけ篤い信仰を集めたのです。

孔雀明王のご利益・梵字・真言について

孔雀明王の梵字はこちら。「マ」と読みます。

ご利益としては苦しみや災いを取り除くことに効果があるとされています。

また孔雀明王の真言は「オン マユラ キランディ ソワカ」です。

孔雀明王の主な例

和歌山・高野山金剛峯寺/孔雀明王像【重文】(鎌倉時代)〈快慶作〉

高野山真言宗総本山金剛峯寺や、一山の寺院の貴重な仏像・仏画などの文化遺産を保存管理し、一般にも公開してきた高野山霊宝館。1921年に開館しました。ここに、伽藍孔雀堂の元本尊だった孔雀明王が安置されています。

後鳥羽法皇の命により仏師快慶が造像。鮮やかな金箔が残る孔雀と蓮華部分、そして華やかな尾羽が開かれた状態が光背のように明王像の背後に展開された絵画のような像です。画像にて表現されることが殆どの孔雀明王の2次元の美しさをそのまま3次元の「形」にした快慶の実力はさすが。孔雀の背に乗る明王は、倶縁果(ぐえんか)・蓮花・吉祥果(きちじょうか)・孔雀尾を4本あるそれぞれの手に持っています。美しい姿の反面、人間が嫌う猛毒を持った蛇(つまり諸悪)を食べ、その害から守ってくれる孔雀明王は、優しさの中にもどこか凜々しい気高さをたたえている素敵な像です。

奈良・正暦寺/孔雀明王像【重文】(鎌倉時代)

焼亡や衰退、そして再興を繰り返し、正暦寺は現在真言宗の寺院となっています。菩提山真言宗の本山で、古来より紅葉の鮮やかさから「錦の里」と呼ばれてきた美しい自然を配する寺院です。また日本酒の発祥の地としても有名で、日本各地にある日本酒の蔵主からも信仰を集めるお寺です。

その山の中にある福寿院客殿に安置されているのが孔雀明王像。菩薩像のように頭上に宝冠を頂き、アクセサリーもばっちり。他の明王にはない優しい表情です。一面四臂像で金色の孔雀の上に、蓮華座を載せ、その上に結跏趺坐するお姿は、バランスの美と繊細美との結晶です。孔雀明王像には彫刻となっている像の数が少ないだけに、孔雀明王ファンは必見です。孔雀明王の真言が流れるお堂の中でどっぷり孔雀明王の世界に浸ってみてはいかがでしょう。


http://blog.livedoor.jp/cremony/archives/1053076836.html 【『孔雀の背に乗る明王』】より

孔雀明王は、両翼を広げ尾を光背のように展開した孔雀の背に乗る姿の明王。

24歳の時、初めて訪れた憧れの高野山。霊宝館で対面した、 快慶作の孔雀明王の姿に強く惹かれました。

不動明王や愛染明王のように怒りをこめたきびしい忿怒相の表情ではなく、慈愛をこめた

慈悲相といわれるやさしい顔で、他の明王とは異なった姿で表現されています。

日本ではあまり一般に信仰されてはいませんが、明王の中でも最も早くインドで成立していたのがこの孔雀明王です。

元来は、インドの女神マハーマーユーリーで、パーンチャ・ラクシャー(五守護女神)の一柱。マハーマーユーリーは、「偉大な孔雀」の意。

摩訶摩瑜利、孔雀仏母、孔雀王母菩薩、金色孔雀王の名を持ちます。

憤怒の相が特徴である明王のなかで唯一、慈悲を表した菩薩形で、孔雀の上に乗り、一面四臂の姿で表されることが多くあります。

孔雀明王は、倶縁果・蓮花・吉祥果・孔雀尾をそれぞれ4本の手に持っています。

孔雀明王は、孔雀が美しい姿をしながらも、人間の最も嫌う猛毒をもった蛇を食べ、その

害から守ってくれるところから信仰を集め、一切諸毒を除去する能力をもつ功徳から、息災や祈雨などの本尊として祀られてきました。

日本では奈良時代には祀られていたようで、孔雀明王菩薩・摩訶摩由璃菩薩といわれ、堂に安置されていたようです。

オン・マユ・ラ・キランディ・ソワカ孔雀明王を本尊とした密教呪法は、孔雀経法とよばれ、真言密教において孔雀経法による祈願は鎮護国家の大法とされ最も重要視されました。

主人公の退魔師「孔雀」が、化け物を退治する話で、闇の密法集団・六道衆との戦いが描かれました。

伝説の大魔王・孔雀王の復活を画策する大聖歓喜天、魔神軍荼利の画策により闇の大日如来と化した悲劇の姉弟オルガとオカン、これらの敵と戦い抜いた孔雀は神の聖杯を巡るラストバタリオンとの最終対決へと向かうというもの。孔雀出生の秘密を縦糸とし、世界中のいろいろな神話をモチーフとした壮大な物語は、大変ユニークな内容でした。

その中で紹介されていたとても興味深い話。

「ヤジディ教」というイラクのクルド人の間で信奉される教えがあり、彼らが崇拝する主神は マラク・ターウース

この神こそが「孔雀天使」。人類を救うために天に反逆した堕落天使とされています。メレクタウスとも呼ばれ、ヘブライ語ではマラクは天使の意味を表します。

最初に生まれた原初の天使である、マラク・ターウースは一万年地上を支配するとされ、今から6000年前より支配。

反逆の罪で一度地獄に落とされた後、神に許された孔雀天使マラク・ターウースは、神とともにアダムを作ったが、楽園からいつまでも出ないことに対して、神と共謀してアダムに知恵を与え、楽園から追放。

しかし、同時にあらゆる恵みを人間に与えたという伝説があります。

遊牧民族の「クルド人」が、何故ヘブライ語を使用しているのでしょう。一説には、古代イスラエル王国の失われた十二支族のうち、未だ行方が知られていない十支族の中の一つではないかと言われています。